名物道具を拝見するには?

2014-9-27 UP

9月 27日 名物道具を拝見するには?

ご機嫌よろしゅうございます。
昨日は鷺の絵をご紹介しました。

そして遠州公が若干16歳でこの絵をみることが
できたこともお話ししました。

当時は美術館も展覧会もありません。
観たいと思う道具があったら、
その道具を持つ人の茶会に招待されなければ
みることは出来ないのです。

そして所有者も
この人なら見せてもいいなと思う人しか
呼ばないわけで、客には相応の知識と教養が必要
でした。

つまり、名物道具を拝見出来たということは
茶人として認められたという格を示すことにもなりました。

お金を出せば、いつでも博物館で名物道具を
拝見できる今とは違い
当時の茶人は常に真剣な気持ちで
名物道具と対峙していたのでしょう。

鷺(さぎ)の絵

2014-9-26 UP

9月 26日 鷺(さぎ)の絵

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は鷺の絵のお話をいたします。

鷺の絵は、松屋三名物の一つです。
奈良の松屋は漆屋を称した塗り師の家で
その茶を村田珠光に学びました。
鷺の絵は、その侘びた珠光表具のすばらしさから、
利休が「数寄の極意」としたこともあって
名だたる茶人はこぞってこの絵を松屋に拝見にいきました。

遠州公の師、古田織部
は利休に「数寄の極意」をたずねたところ
利休は松屋の鷺の絵を挙げられ
翌日、織部は直ちに馬で奈良に向かい
その鷺の絵を拝見したというエピソードもあります。

遠州公の父、新介正次は当時松屋の茶会に赴いたり、
自宅の茶会に招くなど親交を深めていました。
遠州公は父に連れられて、文禄3年2月3日、16歳の時に
この絵を拝見しています。

残念ながら現在は焼失し、見ることはできません。