遠州公と高取焼

2014-11-2 UP

11月 2日 遠州公と高取焼

ご機嫌よろしゅうございます。

先月遠州公の国焼指導についてのお話を
致しました。

黒田官兵衛の子・長政が開く福岡藩にも
遠州公指導の御庭焼である「高取焼」があります。

黒田長政は朝鮮の役で、後の高取八山を
妻子共に日本に連れて帰り、
黒田公の召し抱え、しかも月俸七十人扶持、寺社格
という高禄で迎えられます。

慶長六・七年頃に永満寺宅間窯に開窯しますが
遠州公の指導を受けるようになったのは
そのもう少し後。

この遠州公と高取焼の出会いには
ある有名なエピソードがあるのです。
その話はまた改めて…。

遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

2014-5-17 UP

5月17日 遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「下面」を
ご紹介します。

昨日遠州好みの面取についてお話ししました。
この茶入はその好みがもっともよく表れたもので
その形状から遠州公が命銘したと思われます。
書籍等でご覧になったことのある方も多いかと思います。

高取焼きは遠州公指導の窯の一つで
遠州高取とも呼ばれます。

この茶入は、その遠州高取の絶頂期である
白旗山窯(寛永七年・1630)
のときに作られたものとされています。

遠州公の茶会記に高取焼茶入が初めて登場するのが
寛永五年(1628)4月23日で、同じ年に6回
寛永十年(1633)に1回、寛永十九年(1642)に2回
合わせて約九回使用したことが確認できます。

このうちこの下面が使用されたと考えられるのは
寛永十年以降と思われます。

遠州公以来小堀家歴代に伝わる茶入です。