11月 8日 遠州公の愛した茶入
「伊予簾(いよすだれ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳帳所載の茶入「伊予簾」
をご紹介します。
この茶入の形が編笠に似て、もの侘びた姿を
していること、また鶉のような斑模様をしている
ことからから遠州公が詞花和歌集 恋下の
逢ふことはまばらに編める伊予簾
いよいよ我をわびさするかな 恵慶法師
の歌の意味をもって銘命されたと言われています。
遠州公の茶会記では、
寛永十四年(1637)十二月二日夜に、江月和尚
松花堂昭乗を招いてこの茶入を用いています。
この茶入に添っている仕服の一つは「伊予簾」と
呼ばれています。
このように、茶入の銘から仕服の呼称がつけられたものを
名物裂と言います。
小堀家の手を離れ、所有者を転々とした後、
現在では昭和美術館の収蔵品となっています。
10月 4日 遠州公の愛した茶入
「正木(まさき)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入「正木」をご紹介します。
この茶入は釉薬のかかり具合が片身かわりとなって
おり、その景色の美しさを正木のかづらの
紅葉に見立てて
深山には霰ふるらし
外山なる正木のかづら色つきにけり
古今集
神無月時雨降るらし
佐保山の正木のかづら色まさりゆく
新古今和歌集
このともに同じような歌意を持つ二首の和歌から遠州公がつけた銘
といわれています。
遠州公所持の後、土屋相模守、細川越中守等の手を経て
現在は根津美術館に収蔵されています。
8月 9日 遠州公の愛した茶入
「唐大海(からたいかい)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「唐大海」を
ご紹介します。
大海とは大振りで口が広く、内側が大きいので
それを海に例えたことからこう呼ばれています。
唐物大海茶入を所有していたうちの一つで
遠州公自身が「唐大海」と箱書きしています。
小堀家に代々伝わり、八世宗中の時代
尾関文右衛門の懇望により譲り、
その後木津宗隆、松井左兵衛と伝わり、
現在は香雪美術館に収蔵されています。
7月19日 遠州公の愛した茶入「勢至」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「勢至」をご紹介します。
この茶入の胴の部分の景色を勢至菩薩の姿に似ている
ことから命銘したと思われます。
勢至菩薩は、観音菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍として知られており
知恵の水が入っている水瓶を持っています。
遠州公の茶会記には特に記載はありませんが、
遠州公が8月22日付で書いた書状が掛物として添っています。
また小堀家七代宗友政方(まさみち)が
安永八年(1779)9月18日、11月4日に使用したことが
記録されています。
小堀家歴代に伝わった後、
森川五郎右衛門の所持となり
江戸鹿児島清兵衛の手に渡った後
東京馬越恭平、その後恭一へ伝わりました。
6月14日 遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「面壁」について
お話します。
作者は泉州堺の眼科医であり儒者であった
正意という人物と言われています。
茶人としても名高く、この茶入の他に
「初祖」「六祖」などの茶入もその手によると言われています。
茶入れの姿から達磨大師が、中国の少林寺で無言のまま九年間
壁に面して座禅し、悟りを開いたという故事をとって、
遠州公が命銘しました。
正意作の茶入はいずれもずんぐりとして肩が丸いので
禅僧の姿にちなんだ銘を付けています。
遠州公の茶会では5回ほど使用された記録が残っています。
5月 24日 遠州公の愛した茶入
「玉柏(たまがしわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「玉柏(たまかしわ)」を
ご紹介します。
「玉柏」は
奈良屋弥兵衛が、摂津国の難波の浦で
見出したことから、遠州公が千載和歌集の恋歌
ちなんで命銘されました。
難波江の藻にうづもるる玉柏
あらわれてだに人をこはばや
難波江の藻に埋もれている石が水面にあらわれるように、
せめて思いをあらわして人を恋いたいなあ。
玉がしわは玉堅磐、海中の岩のことで
井伊直弼の『閑窓茶話』には「玉柏といふ茶入は、
黒きなだれの薬どまりに大なる石はぜあり、
因て遠州玉柏と名づけらる、玉柏は石の異名なり」とあります。
遠州公の茶会では
寛永十九年(1642)を最初に三回ほど使用されています
3月8日 遠州蔵帳
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「遠州蔵帳」についてお話しします。
「遠州蔵帳」は
流祖遠州公から二世宗慶、三世宗実の
小堀家三代に渡る茶道具の来歴をまとめたものです。
遠州の自作の他、所有した道具、好んだ道具を含みます。
1月3日のメールマガジンでご紹介しましたように
三世宗実公が、遠州公以来三代に渡って収集された蔵品を
整理し作成した「小堀家器財帳」が元となっています。
後代に伝わる遠州蔵帳は写本が複数あり
定本がありませんでした。
昭和13年に、明治の数寄者益田鈍翁が
もっとも信頼性の高い写本から
『遠州蔵帳図鑑』を編集しました。
今月から土曜日にこの「遠州蔵帳」所載の
お道具についてご紹介していきたいと思います。
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電話04-2998-8000 ※上映時間は未定。(劇場にご確認ください)
映画 父は家元 公式ホームページ
ご機嫌よろしゅうございます。
新年明けて2日目。
見慣れた街の景色も、なぜか清々しく改まったように感じられる気がします。皆様も帰省されたり、自宅でのんびり過ごしたり、はたまたすでに仕事…など様々にお過ごしのことと思います。
さて本日は1月2日に因んで、三世正恒宗実公についてお話したいと思います。
三世宗実公は1649年に江戸屋敷で生まれます。
有職故実に長け、朝鮮通信使来日の際にご馳走役を務めたほか、日光東照宮の祭礼奉行などを歴任し、諸大名と茶道を通じて交友を深めました。1694年1月2日に亡くなっています。
遠州公以来三代に渡って収集された蔵品を整理した「小堀家器財帳」を作成し、これが後の「遠州蔵帳」の基礎となります。 この遠州蔵帳についてはまた改めてお話したいと思います。
このような資料から、茶人の好みや茶の湯の形を窺い知ることができるため、歴史研究に大変重要な資料であり、その礎を築いた宗実公の功績は大きいでしょう。
また当代十三世家元は三世宗実公の号を継承されました。
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テアトル新宿の公開初日はナレーションを務めた家元の次女、小堀優子が舞台挨拶を予定しております。