11月 20日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記」(2)
ご機嫌よろしゅうございます。
先週に引き続きまして今日は「道の記 下り」を
ご紹介します。
「下り」が記された寛永十九年(1642)は
先日ご紹介した遠州公の江戸四年詰めが始まる
年でした。
「徳川実記・大猷院記」には五月二十六日に
将軍に参謁したという記録があります。
その江戸行きの前に、遠州公は江月和尚や京都所司代
などの親しい人を招いて、名残を惜しむかのように
「在中庵」や「飛鳥川」茶入などで茶会を催しています。
この旅が親しい人達との今生の別れとなる
と感じていたのではとも思える、
寂しさの感じられる節々もあり、
今一度京都へ戻りたいと願う心が読み取れます。
心を共にした友人たち、松花堂、長闇堂は既に
この世におらず、江月和尚も遠州公が
江戸に出府中の寛永二十年、十一月に
この世を去っています。
6月26日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記 」(2)
ご機嫌 よろしゅうございます。
今日は道の記の始まりの内容をご紹介します。
道の記は9月22日
午時許(うまのときばかり)、今で言うと
午後12時から2時にかけて
江戸駿河台の屋敷を出発するところから始まります。
午後4時から6時頃品川を通過
午後6時から8時に神奈川の宿に到着
駿河台から品川まで約9キロ
品川から神奈川まで約20キロ
計29キロを約六時間かけて歩いています。
この日は鶏の鳴き声を聞くまで夜を明かし、
日数経ば 末は都や 近からむ
別物うき 昨日今日かな
と、江戸をたち、別れを惜しみつつ
懐かしい京都へ向かう喜びと不安
これから始まる旅への想いを歌にしています。
6月 19日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記」その1
ご機嫌よろしゅうございます。
元和七年(1621)四十三歳の折、
江戸から京都への道中を記した旅日記が残っています。
まだ人々が自由に旅を楽しむことができなかった時代。
遠州公は公務のため江戸をたち、京都へ戻ります。
9月22日に江戸を出発、
10月4日に京都へ到着するまでの12泊13日の
様子を、和歌や詩を交え書き記しています。
道のりにして500キロ
東京から京都まで、新幹線に乗れば3時間かからない
現在に比べると、時間ははるかにかかります。
大変なことも多かったことと思いますが
四季の移り変わりを直接に感じ、
道みちの様子を眺めながら、そして知己との交流
を深めながらゆっくりと進む当時の旅は、
とても楽しそうです。
この旅日記は各大名から書院飾りとして求められた
りしたようで、二代目大善宗慶、権十郎蓬雪、
三男十左衛門正貴などが、父である遠州公の旅日記を
書写しています。
来週はその一部を紹介します。