10月 26日 銀茶会(ぎんちゃかい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は銀座で「銀茶会」が行われます。
銀座の街そのものが野点の会場となる
という大胆な行事ですが、今年で13回目。
遠州流茶道をはじめ、表千家・裏千家など茶道五流派が
一堂に銀座の十数か所で野点を開催します。
「茶の湯」という一つの形のもとに
それを愛する人々が流儀を問わず銀座に集う
聞いただけでもなんだかワクワクするイベントです。
老舗の和菓子屋さんがこの日のために作る
和菓子も見所の一つ。
普段の街並みが今日は一味違った姿を見せる…
「銀座」のもう一つの顔をお楽しみ下さい。
9月5日 袱紗をつける位置
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は袱紗を腰につける位置について
お茶を点てる際、点法で使う袱紗を
腰につけますが、これを右につける流儀と
左につける流儀があります。
遠州流は右側です。その理由は
近衛家の待医師であった山科道安が、近衛予楽院の言行を
日記風に著わした「槐記」という
文献の中にこんな記述があります。
宗旦は生まれ付き左利きにてあり故に…
千宗旦は利休の孫にあたり、後にその子供達が表千家、
裏千家、、武者小路千家をつくっていきます。
つまり宗旦から広まった千家流では
袱紗を左につけているということのようです。
要するに利き手の違い。
右利きだった茶人は、当然右につけていたと考えられます。
その違いが今お流儀の点法の違いにつながっていく
のだとすると、面白いですね。
皆様、ご機嫌よろしゅうございます。
本日は加賀百万石を築いた前田利常公についてお話いたします。
≪人物エピソード4:前田利常≫
前田利常は遠州の14歳年下で、文禄2年(1593)11月25日に前田利家の四男として生まれた。
9歳で兄・利長の世嗣となり、徳川秀忠の二女珠姫を正室として迎えている。
そして兄が引退したため、13歳で家督を継ぎ、119万石を領した。
先日のメルマガでもお送りした通り、利常は茶の湯を大変好み、遠州とも懇意であった。
そのため遠州は道具の目利をしたり、墨蹟を表装したり様々な面で利常からの厚い信頼を得ていた。
また、利常の嫡男である光高も遠州に茶を習い、茶会にも参会している。
何よりも挙げておきたいのが、遠州、利常、千仙叟の関係である。
裏千家を興した仙叟は、千宗旦の四男として1622年に生まれた。
仙叟は加賀藩前田家に召し抱えられるのだが、その斡旋をした人物が、前田家の茶頭として仕えていた遠州の弟・佐馬助正春であった。
長いこと仕える先を探し続けていた仙叟であったが、31歳にしてようやく大藩に就職ができ、76歳の宗旦はそれを大変喜び、小堀佐馬助にも礼状を出したという。
これらのエピソードは『元伯宗旦文書』の中に記録され、裏千家創世と、また裏千家と遠州流とを繋ぐ重要な資料として今でも残っている。
本日10月12日は前田利常の命日である。
享年66であった。