11月 6日(日)能と茶の湯
「筒井」
ご機嫌よろしゅうございます。
季節は秋から冬へ、寂寥のおもいがつのる頃。
今日はそんな哀切の情を美しく表現した
お能「井筒」のお話をご紹介します。
ある秋の日、諸国を旅する僧が
奈良から初瀬へ行く途中に、
在原業平建立と伝えられる在原寺に立ち寄りました。
僧が在原業平とその妻の冥福を祈っていると、
さみしげな里の女が現れます。
僧の問いに、女は在原業平と紀有常の娘の
恋物語を語ります。
筒井筒井筒にかけしまろがたけ
生けにけらしな妹見ざるまに
比べ来し振り分髪も肩過ぎぬ
君ならずして誰か上ぐべき
その昔井戸のそばで遊び戯れていた
幼馴染の二人が恋をし夫婦になった。
女は自分がその有常の娘であると告げて、
井筒の陰に姿を消します。
夜も更ける頃、僧が仮寝をしていると、
夢の中に井筒の女の霊が現れます。
女の霊は業平の形見の冠装束をを身につけ、
業平を恋い慕いながら舞い、井戸の水に自らの姿を映し、
業平の面影を忍ぶのでした。
やがてしらじらと夜が明け、井筒の女は姿を消し、
僧も夢から覚めるのでした。
業平を想いながら舞い、在りし日を回想する幻想的な能「筒井」。
すすきを付けた井戸の作り物が秋の侘しさを際立たせます。
10月 21日 (金)能と茶の湯
「砧(きぬた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
晩秋の風が吹き始める頃となりました。
日が落ちるとなんとなく物悲しい気持ちに...。
そんな秋の夜空に寂しく響く
砧の音を扱った能「砧」をご紹介します。
九州芦屋の何某(なにがし)は、
訴訟のため上京し、既に三年の年月が経ちます。
故郷の事が気にかかり、今年の暮れには帰るという文を
侍女の夕霧に待たせて国許に返します。
寂しく月日を送っている妻はこの便りを聞き、
折から聞こえてくる里人の砧を打つ音に誘われ、
夕霧と共に砧を打ち、心を慰めます。
そこへ今年も帰れぬという知らせが都から入り
妻は絶望のあまり亡くなってしまいます。
帰国した何某が故郷に帰り、妻の菩提を弔っていると、
妻の亡霊が現れ、妄執のため地獄の苦しみを
受けていると訴え、夫の不実を恨みますが、
読経の功徳により成仏します。
8月12日(金) 能と茶の湯
「俊寛(しゅんかん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
明日から旧歴のお盆の入りにあたります。
お盆の送り火で有名な大文字山の麓に鹿ケ谷があります。
この地にあった僧俊寛 の山荘で、後白河法皇の近臣により
平氏討伐の謀議が行われました。
今日はこの事件をえがいた「平家物語」の「足摺」の段
を題材にした能「俊寛」をご紹介します。
時は平家全盛の平安末期
平家打倒の陰謀を企てた罪科により、
俊寛は藤原成経、平康頼とともに、薩摩潟
(鹿児島県南方海上)の鬼界島に流されていました。
都では、平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった
徳子の安産祈願のため大赦が行われ、鬼界が島の流人も
一部赦されることとなりました。
成経と康頼は、島内を熊野三社に見立てて祈りを
捧げて巡っていました。ある日、島巡りから戻るふたりを
出迎えた俊寛は、谷川の水を菊の酒と見立てて酌み交わします。
ちょうどそこに都の遣いが到着、恩赦の記された
書状を渡します。しかし成経が読み上げるとそこには、
俊寛の名前だけがなかったのです。
驚き嘆く俊寛
舟にすがりついて自分も乗せてほしいと
頼む俊寛を独り残し、舟は都へと戻っていくのでした。
8月 5日 (金)能と茶の湯
狂言「清水」
ご機嫌よろしゅうございます。
風炉の季節、涼を求めてこの時期に
行われる名水点、
茶の湯には美味しい水が欠かせません。
今日はこの名水にちなんだ狂言をご紹介します。
茶会を催すので、野中の清水へ汲みに行くように
主人に命じられた家来の太郎冠者。
面倒なので、七つ(午後4時)をすぎると、
あのあたりには鬼が出ると水汲みを断りますが、
主人は話を聞き入れず、家宝の桶を持たせて追い出します。
しぶしぶ出かけたものの
「野中の清水へ行くと鬼が出て、手桶を噛み
割ってしまったので逃げて帰った」
と報告する太郎冠者。
家宝の桶を惜しんだ主人はみずから清水へ向かいます。
先回りした冠者が鬼の面をかぶって脅し、
主人への不平不満を面の勢を借りてぶちまけます。
主人は一度は命乞いをして逃げ出しますが、
怪しみ戻ってきます。
冠者はもう一度鬼に扮して脅すものの、
今度は正体を見破られ、主人に追われて逃げて行くのでした。
野中の清水は名水として知られ、播磨国の印南野(いなみの)
現在の兵庫県、播磨平野の一部に湧き出ていたと言われます。
3月 18日(金)能と茶の湯
「桜川」
ご機嫌よろしゅうございます。
春の訪れを感じ、桜の便りを心待ちに
している近頃。
今日は「桜川」をご紹介します。
九州の日向国、現在の宮崎県の桜の馬場
ここに母ひとり子ひとりの貧しい家がありました。
その子・桜子は、母の労苦に心を痛め、
東国方の人商人にわが身を売ります。
人商人が届けた手紙から桜子の身売りを知った母は、
悲しみに心を乱し、桜子の行方を尋ねる旅に出ます。
それから三年
遠く常陸国(茨城県)の桜川は春の盛りを迎えています。
桜子は磯辺寺に弟子入りしており、
師僧と共に花の名所の桜川に花見にでかけます。
折しも母は長旅の末、この桜川にたどり着いた
ところでした。母は狂女となって
川面に散る桜の花びらを網で掬い、狂う有様を
見せていました。
師僧がわけを聞くと、母は別れた子・桜子に
縁のある花を粗末に出来ないと語ります。
そして九州からはるばるこの東国まで、
我が子を探してやって来たことを語り、
落花に誘われるように桜子への想いを募らせ、
狂乱の極みとなります。
僧は母子を引き合わせ、母はその子が
桜子であるとわかり、正気に戻って嬉し涙を流し、
親子は連れ立って帰ります。
母子の深い情愛を謡いつつ、
また舞台や名前、季節、心理描写などを
「桜」を主軸に据えながら美しく切ない叙情を
表現されている点も見所です。
この名前を持った茶道具に古染付 桜川 水指等があります。
1月29日(金)能と茶の湯
「翁」
ご機嫌よろしゅうございます。
新年を迎えると、「翁」とよばれる演目が
必ず各地の能舞台で演じられます。
「翁」は能の中でも神能の特殊な演目で
「能にして、能にあらず」と言われ
霊的な力を授けられた”神の使い”である翁の舞は、
国家安静、五穀豊穣を祝う神事とされています。
「とうとうたらりたらりら
たらりあがりららりとう…」
という謡にはじまり、舞の間に翁が翁面を
つけるのですが、観客の前で演者が面をつけるのは
この曲だけ、この面をつけることにより
翁は神格を得ます。
遠州公がこの「翁」にちなんで銘をつけた
茶入があります。「大正名器鑑」には
「作行の古雅なる、黄釉のなだれの物寂びたる
人をして翁の面に対する想いあらしむ」
と記されています。
瀬戸破風窯のその茶入には挽家蓋・内箱蓋・仕覆蓋
の書付を遠州公自らしており、愛蔵ぶりが伺えます。
1月 8日 (金)茶の湯と伝統芸能
ご機嫌よろしゅうございます。
先日6日は二十四節気の小寒にあたりました。
この小寒から節分までが「寒の内」と
呼ばれ、厳しい寒さの始まりです。
さて、本年から能・狂言について
毎週金曜日にご紹介する予定でおりますが、
茶の湯と能、花などの芸能は同時代に
昇華された芸能と考えられています。
遠州公も茶道具の銘に和歌を用いた歌銘を
つけたことはよく知られていますが、
和歌だけでなく、能や狂言からも銘を
つけている道具が多くみられます。
今年の前半では能・狂言の演目をご紹介しながら
所縁の茶道具をいくつかご紹介していきます。
後半では落語の中に登場する茶の湯を
ご紹介します。
落語の祖とされる安楽庵策伝は遠州公とも
所縁の深い人物です。
近世、茶の湯が人々にどう親しまれていたのか
その笑の中に見えてくるのではないかと思います。