12月 14日(月)王服茶
ご機嫌よろしゅうございます。
12月13日は事始め
いよいよ新しい年を迎える準備を
始める時期となりました。
かつて京都の空也堂では、
事始めから大晦日まで、
僧が手製の茶筅を売り歩く風習がありました。
この茶筅でお茶を点てると無病息災の
御利益があるといわれ、お正月に頂くのが
慣わしでした。
村上天皇の時代、都に疫病が流行しました。
空也上人は観音菩薩に疫病調伏を祈願し、
茶筅で点てた茶を供えて民衆に分け与えました。
この空也上人については11月16日にご紹介しました。
茶を服した者はたちまち平癒したといいます。
これを知った天皇が、正月三ヶ日に茶を
召し上がるようになったそうです。
その風習は「王服茶」と呼ばれ、
この故事に因み、空也堂の僧侶は師走になると、
正月の王服茶を点てるための茶筅を売り歩いたのでした。
11月 16日(月)空也と茶筅
ご機嫌よろしゅうございます。
三日前の11月13日は空也忌でした。
空也上人は平安時代、諸国を遍歴して踊りながら
念仏を唱えることで庶民に念仏を勧めました。
「寺を出る日を命日とせよ」と遺言したため、
寺を出たこの日が命日になっています。
さてこの空也上人は、当時流行した疫病を
退散させるおまじないとして柳の木を削り
削り花をつくりました。
これが茶筅の原型と言われています。
そして京都の空也堂の僧が、
青竹茶筅を作り、竹の竿にその茶筅を
藁にさしたものをつけて肩に担いで売り歩く
「茶筅売り」という年末の風物がありました。
この茶筅で正月にお茶を点てていただくのが
「大福茶」とよばれるもので、無病息災の
御利益があるといわれました。
この大福茶についてはまた来月ご紹介します。
皆様ご機嫌よろしゅうございます。
本日は空也上人が東国教化のために寺を出立した日であり、忌日とされています。
京都空也堂では、11月の第2日曜に空也上人を偲んで法要が営まれます。
≪茶道具:空也≫
【中興名物「空也」後窯・新兵衛作茶入】
瓢箪茶入である空也は、その形から念仏僧・空也上人の念仏踊りに因んで、遠州がその銘を付けました。
というのも、空也上人の念仏踊りは、瓢(ひさご)を叩いて唱えながら市中を徘徊することで知られ、そのことが由来となっているのです。
注目されるのは、底の釉裾から土見へかけて文字が彫られていることで、その内容は「早く御やき 頼入申候 有」とあり、恐らく唐物屋・有来新兵衛がその焼成を急がせるべく彫り込んだものと見られます。
挽家、内箱書付共に遠州筆で、仕覆は鎌倉間道、鷹羽切の二つが添っています。