武野紹鴎(たけのじょうおう)

2014-10-29 UP

10月 29日 武野紹鴎(たけのじょうおう)

ご機嫌よろしゅうございます。

侘び茶を提唱し、利休の師として知られる武野紹鷗
今日はその紹鷗の命日にあたります。

茶の湯の簡素化,草体化をさらにすすめたとされる紹鷗でしたが、武具を生業として
当時室町幕府の威光の衰えから武力衝突が多発した
時代を機に巨万の富を築いた富豪でした。

もとは若狭の守護大名武田氏の一族で,
父信久は諸国を流浪し、姓を武野に改めたとされます。
武田が野に下ったので「武野」というわけです。

三条西実隆に「詠歌大概序」を学び、連歌を得意とした
紹鴎は、茶掛けといえば墨跡か唐絵が主流であった当時
その歌意の真意を悟り、安倍仲麻呂の「天の原…」
の和歌を茶掛として初めて用いました。

六歳の息子を、娘婿の今井宗久に後見として託し、
54歳で亡くなりました。
(1502ー1555)