12月 4日 遠州椿
ご機嫌よろしゅうございます。
遠州公は茶湯や作事、様々な分野で活躍し、
当時の文化に影響を与えますが、
その影響は着物の文様にも残っています。
着物の文様に「遠州椿」というものがあります。
もともと連歌師が好んで栽培したことや、
江戸時代に入って徳川秀忠や大名が好んで栽培したこと
から、「百椿図」と呼ばれる椿の姿が描かれた本が刊行されたり、
庶民の間でも椿が流行し、様々な品種がつくられ、
より鑑賞的な要素が加わりました。
遠州公も椿を愛好していました。
遠州公が椿を図案化し、
好んで使用した文様であったということから、
その名がついたとされています。
11月 24日 椿
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦の亥月亥日です。
風炉から炉の季節に変わり、床を彩る花も
草花から椿へ。
特にこの口切の季節には、白玉椿とよばれる
白くふっくらとした椿を入れることが
慣例となっています。
遠州公の時代にも白玉椿か、薄い色の
椿を使用した例が残っています。
この立派な椿を入れる花入も
やはり格調高い古銅や青磁などを用いて
茶の正月といわれる炉開きに清々しさを
与えます。
また、炭斗で使われる瓢の用意がない時などは
その代わりに、瓢の花入を用いることもあり、
遠州公が作った瓢の掛け花入も残っています。
11月 14日 おそらく椿
ご機嫌よろしゅうございます。
京都伏見にある安産祈願で知られる
御香宮神社をご存じでしょうか?
ここには遠州公ゆかりの椿が植えられています。
「おそらく椿」と呼ばれるその花は
白と薄紅の混ざった淡い色をした花弁が
幾重にも重なり合い、丸く可愛らしい印象を受けます。
この椿は豊臣秀吉が伏見城築城の際、
各地から集めた茶花の一つと伝えられ
樹齢約400年の古木です。
遠州公が伏見奉行を務めていた折、
この御香宮を訪れました。
「各地で名木を見て来たが、
これほど見事なツバキは、おそらくないだろう」
とたたえた事から、以後
『おそらく椿』
と呼ばれるようになったのだそうです。
3月11日 季節の茶花
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は茶花についてお話ししたいと思います。
十一月から四月までという長い期間
炉の季節の主役はやはり椿ですが
その椿に添える枝ものによって
季節感が現れます。
三月始めには西王母という桃の精の名前の椿を用いて
桃の節句の趣向とし
芽の膨らみかけた青柳や、菜の花をいれると
とても可愛らしい取り合わせとなります。
また三月中旬には、この頃咲き始める
木五倍子(きぶし)を添えたり
三月末には、やはりこの時期に多く咲き始める
八重咲きの椿に、辛夷(こぶし)などの花を添えます。
待ち焦がれた春の訪れを
茶花の調和によって表すことで
茶席も一層明るくなります。
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皆様ご機嫌よろしゅうございます。
本日は椿についてお話いたします。
≪季節の花:椿≫
椿は、日本には有史以前から、海流に乗って南方より渡来したといわれ、その時期や経路などは未だに不明とされています。
椿は他に「海石榴(かいせきりゅう)」、「海紅花」などの名を持っておりますが、「海」の字を冠せられることから、海外から上陸したことを表現しているものと思われます。
「やぶつばき」、「ゆきつばき」の二種を原種とし、大きいものでは10メートル近くの大木になるものもあります。
伊豆の大島や四国の室戸岬などがヤブツバキの名所としてよく知られております。
ユキツバキは新潟などの雪国の椿で、雪をかぶった姿は目の覚めるような色彩の妙をかなでます。
この二種を基とした自然交配や人工交配によって、「江戸」「中京」「京」「肥後」などの名花といわれる花々が生まれました。
茶の湯の世界では「炉」の季節、つまり11月~4月までの半年間、椿が茶花の主役を務めます。
炉を開いた始めの頃は、白玉椿など白椿を主に用います。