戸川宗積先生

2014-11-18 UP

11月 18日 戸川宗積先生

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はご先代紅心宗慶宗匠の御実弟
戸川宗積先生のご命日です。

道守り 其の身心を空となし
力つくして 今日ぞ散りゆく

ご先代が宗積先生の追悼の文で詠まれた歌です。

紅心宗匠の生死もわからない戦時中、勤めていた
仕事を辞して遠州流茶道の組織作りに力を注ぎました。
そして「茶道遠州会(現・遠州茶道連盟)」の下地を
完成させ、いつ紅心宗匠が戻られてもいいような
形まで作り上げたのです。

紅心宗匠がシベリア抑留から帰国し、昭和25年3月19日に、
音羽護国寺にて「宗慶」襲名披露の大茶会が終わった
夜の祝膳の時、紅心宗匠の御実弟・宗積先生はご両親、
ご姉弟に
「本日から兄弟の縁を切り、
己が命ある限り、遠州流茶道発展向上の
為に全力を尽くします」
と誓われます。
以後、その言葉通り、その身を砕くように
紅心宗匠を、そして遠州茶道宗家を
影となり日向となり支えてこられました。

大変面倒見がよく、修行中だった職方や道具屋さんなどに
よく食事をさせ、共に酒を飲み、そして親身に指導してくださった
と、宗積先生を知る方は、当時を懐かしそうに思い出して
お話しされます。

己の信念を貫き、また遠州流の発展のため、
全力を注がれた、先生のお人柄が偲ばれます。

大膳宗慶命日

2014-8-24 UP

8月 24日 大膳宗慶命日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公の後を継いだ二代目大膳宗慶のお話を。

元和六年(1620)2月15日、父遠州公四十二歳の
時、藤堂高虎の娘を母として、伏見奉行屋敷で
誕生します。

小さい頃から能書の誉れ高く、そのエピソードは
4月1日にもご紹介した通りです。

茶道修業にも熱心で、父遠州公にその茶法を学び、
二十代前後で大先達の御相伴も勤めるほどでした。

公職を離れた晩年五十三歳
江戸屋敷で連日連夜に渡り33回の茶会をするなどしています。
父遠州公より受け継いだ茶道の正統を文書に残し、
諸道具の整理・遺物帳等も作成しました。

延宝二年(1674)8月24日
五十五歳で江戸屋敷でなくなります。