如水と家康のエピソード

2014-9-28 UP

9月28日 如水と家康のエピソード

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
官兵衛の時代のお話を。

如水は慶長五年(1600)の関ヶ原の役以後、
豊前に引退し、参禅の師を大徳寺の
春屋宗園に求めた頃から茶の湯を勢力的に
始めたようです。

家康とのエピソードとして面白いのは
黒田家に伝わる「南条」の茶壺です。

慶長六年(1601)の五月
家康が伏見城で宴会を催しました。
関ヶ原の役で活躍した大名が招かれ、その中に
如水の姿もありました。

ここに名物の茶壺が数個並べられ
家康は如水に、冗談半分に
「この中で他人の手を借りずに自分で持って帰れる
ものがあれば、どれなりとも差し上げよう」
と語りました。

すると如水はすっと立ち上がって
一番大きい「南条」の茶壺を自らの手で持ち帰った
ので、家康も如水の豪放さに驚嘆した
といわれています。

黒田如水

2014-3-20 UP

3月20日 黒田如水

ご機嫌よろしゅうございます。
今日3月20日は黒田如水(官兵衛)の命日です。

軍師として活躍し、名将の誉高い官兵衛ですが
「連歌」や「茶の湯」を嗜む文人としての才も持つ人物でした。

しかし官兵衛は当初、茶の湯は
「勇士の好むべきことでない」と考えていました。
その官兵衛の考えを変えた秀吉との
逸話が「名将言行録」に記されています。

秀吉は「武士が他の場所で密談をすれば人の耳目を集めるが、
茶室ならば人に疑われることもない」
そう官兵衛に話したと書かれています。
その後官兵衛はその奥深さに魅了され
とくに千利休を尊敬し、
秀吉の邸宅・聚楽第(じゅらくだい)で開かれた茶会で、
官兵衛が秀吉や利休と同席したという記録が、
「天王寺屋会記(てんのうじやかいき)」に残っています。

また官兵衛の茶の湯観を表した
『黒田如水茶湯定書(くろだじょすいちゃのゆさだめがき)』
を残しており(こちらはまた改めてお話ししたいと思います)
「(自分の流儀は)我流にてはなく利休流にて候」と書いています。