8月 22日(月)南瓜 (かぼちゃ)
ご機嫌よろしゅうございます。
明日23日は二十四節気の「処暑(しょしょ)」
にあたります。
この「処暑」は暑さが止まるという意味で
残暑厳しい日は続いていますが、次第に
朝夕の風に初秋を感じられるようになって
きます。
夏の暑さで体力も落ちているこの時期に
食べるとよい野菜の一つが南瓜。
冬至が有名なので、冬野菜と思いがちですが
実は南瓜の旬は夏なのです。
デンプン質が多めで疲れがとれ、
またビタミンAやCなどのビタミンも豊富
またキュウリなどと同様に瓜科なので、
暑さで弱った体の熱を取ってくれるのだとか。
夏バテ防止、食欲増進が期待できます。
ホクホクの甘い南瓜で、夏の疲れが和らぎます。
7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)
ご機嫌よろしゅうございます。
日々続く夏の暑さの中、日本人は様々な楽しみを
見つけ、涼をとる工夫をしてきました。
今日はそんな夏の楽しみの一つ
「鵜飼」についてご紹介します。
鵜飼という漁法で捕獲する「川狩(かわがり)」は
長良川が有名ですが、古くは日本各地で行われてきました。
古来から日本の伝統漁法として守られ、
現在でも夏の風物詩として親しまれています。
夏以外は鯉や鮒などをを中心に昼間漁師が
川に入り、鵜をあやつって魚をとっていましたが
捕獲量も低く、次第に夏の夜に鵜匠が鵜を遣う
技術を楽しむ鑑賞用の遊猟となっていきました。
遠州公も、伏見奉行屋敷の傍を流れる宇治川で
鵜飼の鑑賞を楽しんだことがわかる書状が
残っています。
七月十九日付の五十嵐宗林に宛てた書状には
昨日もお会いしましたが、今日の宇治川の
鵜飼へお招きし、夕食を共にしてゆっくり
語りたい…としたためています。
この書状の宛先となる五十嵐宗林は
生没年も職業も不明な人物ですが、晩年の遠州公の
茶会記には度々登場する人物で、この鵜飼の
文を詠んでも、相当に深い親交があった
ことが伝わってきます。
7月 31日 年寄りの冷や水
ご機嫌よろしゅうございます。
真夏のうだうような暑さには、
冷たく冷やした飲み物や
食べ物が美味しく感じられますね。
でも冷たいものばかり食べていると、
体を冷やしてしまうことはよく言われています。
お年寄が自分の身体の状態を考えずに
無理をするのを注意する言葉を
「年寄りの冷や水」と言ったりします。
水が今ほど満足に使えなかった江戸時代
生水は毒とされ、必ず沸かして利用されていましたが
河の真ん中の水は毒が無いと言う迷信が有り、
夏の暑い時期は隅田川から汲んできた水を
「冷や水」と言って飲料水として氷を浮かべたりして
売り歩いていました。
しかし、街中を流れてる川の水ですから、抵抗力の
弱い高齢の方はお腹を壊してしまいます。
ここからさきほどのことわざが生まれたといわれています。
とはいえ年齢に関わらず
冷たいものの食べ過ぎ飲み過ぎは要注意です。
7月 17日 打ち水
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は打ち水のお話を。
温暖化が危惧される現代、打ち水で気温を下げようと
いうイベントが行われているのを時折
ニュースで目にします。
水が蒸発する際、周囲から気化熱を奪い
気温を下げる効果があります。
日本人は古くからこの打ち水で
暑い夏の日に涼を得てきました。
しかし、打ち水は夏の暑い日ばかりに行う
ものではありません。
お茶事では、お客様をお迎えする準備が整った際
門前に打ち水をし、支度の整ったことを知らせます。
日常でも自宅の玄関先にやはり水を打ち、土埃を静め、
清々しさでお客様をお迎えします。
葉から零れる雫や、しっとりと濡らした
地面のみずみずしさ、そこからほのかに漂う清々しい匂い
迎えられる側も玄関先からその心遣いに触れる一瞬です。
撒きムラや、一方向から水を打っていると、
裏にうち残しができてしまい、お客様に見えると
格好悪いものです。
撒きムラや打ち残しのないよう、綺麗に打てると
迎えていただいた方も、道中の暑さをしばし忘れられる
ことでしょう。
7月1日 文月(ふみつき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から7月。
旧暦7月の異称である文月は、
七夕に短冊に詩歌や文字(文字上達を願って)を書いて
笹につけて飾る風習があるから「文披月(ふみひらきづき)」
七夕の夜に書物を夜風に当てる風習ので「文の月」
となったとか
稲穂の実が熟し始める「穂含月(ほふみつき)」
からとも言われています。
梅雨があけると夏もいよいよ本番です。
着物も絽や紗といった薄物になり
軒先に
風鈴を吊るして、耳で涼しさを感じたり、
日本では暑さをしのぐ工夫が
昔から行われてきました。
四季の移り変わりを感じる余裕も
なくなっていることの多い近年ですが、
そういった夏の設えをどこかでふと目にした時、
その風情に、日本らしさを感じ、豊かな気持ちになるのは
やはり、日本人が古くから培ってきた
特有の感性を忘れず持っているからではないかと思います