11月 16日(月)空也と茶筅
ご機嫌よろしゅうございます。
三日前の11月13日は空也忌でした。
空也上人は平安時代、諸国を遍歴して踊りながら
念仏を唱えることで庶民に念仏を勧めました。
「寺を出る日を命日とせよ」と遺言したため、
寺を出たこの日が命日になっています。
さてこの空也上人は、当時流行した疫病を
退散させるおまじないとして柳の木を削り
削り花をつくりました。
これが茶筅の原型と言われています。
そして京都の空也堂の僧が、
青竹茶筅を作り、竹の竿にその茶筅を
藁にさしたものをつけて肩に担いで売り歩く
「茶筅売り」という年末の風物がありました。
この茶筅で正月にお茶を点てていただくのが
「大福茶」とよばれるもので、無病息災の
御利益があるといわれました。
この大福茶についてはまた来月ご紹介します。
8月 24日 大膳宗慶命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の後を継いだ二代目大膳宗慶のお話を。
元和六年(1620)2月15日、父遠州公四十二歳の
時、藤堂高虎の娘を母として、伏見奉行屋敷で
誕生します。
小さい頃から能書の誉れ高く、そのエピソードは
4月1日にもご紹介した通りです。
茶道修業にも熱心で、父遠州公にその茶法を学び、
二十代前後で大先達の御相伴も勤めるほどでした。
公職を離れた晩年五十三歳
江戸屋敷で連日連夜に渡り33回の茶会をするなどしています。
父遠州公より受け継いだ茶道の正統を文書に残し、
諸道具の整理・遺物帳等も作成しました。
延宝二年(1674)8月24日
五十五歳で江戸屋敷でなくなります。
8月18日 豊臣秀吉
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は8月18日 豊臣秀吉の命日に当たります。
秀吉と小堀家との所縁は深く、
浅井家が滅亡した天正元年以後、
秀吉が長浜在城の際、
出家の身であった遠州公の父・新介公を、見出して還俗させたと
いわれています。
昨日、また5月25日にも触れました通り
天正4年には信長に初めて茶道具を拝領し、6年に初茶会
その後は数々の大規模な、華やかな茶会の記録を残します。
異例の出世、天下取りの野望を果たしながら、
その後は幼い我が子の前途を案じて
慶長三年(1598) 六十三歳で、こんな歌を残してこの世を去ります。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢
6月 24日 宗中公命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日6月24日は小堀家8世 小堀宗中公の命日です。
天明6年(1786)小堀大膳亮政寿(まさひさ)の嫡子として
近江の小室に生まれました。
小室領地が没収されてからは、京都孤篷庵で育ちます。
この頃の日本は大飢饉が起こり、世の中が疲弊し乱れはじめます。
田沼時代から松平定信が政治の実権を握る時代。
40年という長い間、浪人としての生活が続きますが
要職を歴任し譜代大名並の格式を許された五世政峯宗香公の功績
と遠州公以来の家柄を評価され、
文政11年(1828)に幕臣として召しだされます。
改易の時に親類に引き取られていた、
遠州以来の諸道具も戻され「遠州蔵帳」のほとんどが伝来します。
茶法は父、政寿や小堀家茶道頭の富岡友喜から学び、
多くの弟子を排出します。
尾張徳川家に招かれ御蔵器財の分類、目利き、整理なども行っています。
また、茶道を通じて狩野派など芸術分野の人との交流も多く、
合作で各種の作品を残しています。
慶応三年6月24日、82才で江戸屋敷で亡くなります。
遠州流中興の祖です。
6月 5日 今井宗久(いまいそうきゅう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今井宗久の命日です。
今井宗久は近江に生まれ、後に堺で活躍する商人です。
武野紹鴎の娘婿となり、紹鴎が没すると
紹鴎秘蔵の名物茶器(松島茶壷・紹鴎茄子・玉澗筆波の絵)
を譲り受けます。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際には、
松永久秀が九十九髪茄子を献上し、
宗久も紹鴎の遺品である松島茶壷・紹鴎茄子を
献上します。
信長は堺の町衆の懐柔と支配のため宗久を重用し、
茶の湯においても茶堂として活躍しますが、
信長が本能寺の変で倒れてからは
次第に力が衰えていきます。
永正十七年ー文禄二年(1520ー1593)
5月15日 村田珠光(むらたしゅこう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日5月15日は村田珠光の命日です。
珠光は応永三十年(1423)に生まれ、文亀二年(1502)の
5月15日に亡くなったといわれています。
少年のころ奈良の称名寺に入り出家
その後30歳の頃に大徳寺の一休和尚に参禅します。
月も雲間のなきは嫌にて候
藁屋に名馬繋ぎたるがよし
など
「冷え枯るる」精神を茶の湯に吹き込み
侘び茶の創始ともいわれています。
それまでは部屋に茶道具を飾り、別の部屋でお茶を点てて
運んでいた茶室が、珠光によって
主客同座となり、床の間に墨跡を掛け、
禅の精神で茶を喫する場に変わっていきます。
珠光という号は剃髪し僧となってからの号なので
俗名である村田と並べて呼ぶのは本来おかしいのですが
現在では、村田珠光と呼ぶのが通例となっています。
3月9日 遠州忌茶筵
ご機嫌よろしゅうございます。
本日3月9日は流祖遠州公を偲び
東京美術倶楽部において、
遠州忌の茶会がとり行われます。
遠州公のご命日旧暦2月6日にちなみ
新暦の3月第二週日曜日に
茶会を行います。
映画「父は家元」にもありましたが、
大床脇の厨子には流祖小堀遠州公の尊像が祀られ
お家元が遠州公に献茶をし、その後
天目茶碗にてお茶をいただきます。
お家元はじめ、門人一同
流祖遠州公に想いを馳せ、偲ぶ
ひと時です。
【告知】
映画 父は家元 【舞台挨拶】
金沢 シネモンドにて御家元舞台挨拶がございます。
3月15日(土) 2回目(17:25~)の上映前に行います。
2月6日 遠州公ご命日
本日は流祖小堀遠州公のご命日です。
毎年この祥月命日の2月6日には
ご家族揃って京都の大徳寺孤篷庵へ
お墓参りにいかれます。
本堂において法要を営み、
その後遠州公のお墓参りをされ
お墓参りが済むと
茶室「忘筌(ぼうせん)」において、ご住職と一緒に
お抹茶をいただきます。
孤篷庵は
1612年、大徳寺塔頭・龍光院内に、
遠州公が自らの菩提所として建立します。
この龍光院は、黒田長政が父・如水(黒田官兵衛)
の菩提寺として建立した寺です。
1643年、孤篷庵を龍光院から
現在の場所(瑞源院隣地)に移転しています。
最晩年の2年ほどはこちらにいたといわれます。
1647年、2月6日に伏見奉行屋敷で亡くなり、
ここ孤篷庵に葬られました。
【告知】
2月8日 長浜の慶雲館にて盆梅展がございます。
その際御家元の命名式が予定されております。