9月11日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-11 UP

9月11日(金)遠州公所縁の地を巡って
「 南禅寺・金地院(八窓席)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は南禅寺・金地院をご紹介します。

黒衣の宰相とも称され、家康の側近として
絶大な権力を持ち活躍した以心崇伝。
その崇伝は応仁の乱でほとんど消失してしまった
南禅寺を再興します。その際、遠州公に複数の
建築や作庭を依頼しています。

崇伝の自坊であり、家康の東照宮が分祀された
金地院には、各大名や将軍が御成になることも
考えられ、遠州公は家康公への畏敬と崇伝の繁栄も
願って神仙蓬莱式の枯山水を構想しました。
各大名から寄進された名石を配したこの庭は
「鶴亀の庭」と呼ばれています

また三畳台目の茶室「八窓席」は
複数の連子窓や下地窓を機能的に配して
外からの自然光が茶室全体を回るように工夫がされています。
ちなみに全ての窓を数えても六窓ですが、
八窓席と呼ばれています。

遠州公が崇伝の依頼を受け、構想を始めたのは
先週ご紹介した大方丈の庭とほぼ同時でしたが
金地院の方が大方丈の二年後に完成しています。

9月 4日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-4 UP

9月 4日(金)遠州公所縁の地を巡って
「 南禅寺大方丈 虎の児渡しの庭」

ご機嫌よろしゅうございます。

各地の寺社などでは、その庭を
「遠州作と伝えられています」
と解説されていることが多く見受けられます。
その全ての真偽は定かではありませんが、
それだけ遠州公の当時の影響が強かった
ことがわかります。

そのような「伝遠州作」の庭の中で、
この南禅寺は、残された文献等から遠州公作
と確認できる数少ない作品の一つです。

借景、遠近法、大刈込といった、三次元的な技法を駆使し、
別名「虎の子渡し」と呼ばれ,左端の大きな親虎と
その横の小さな虎の子とが瀬を渡る様子を表すと
いわれています。
中国の説話では、虎の児は三頭いれば、一頭は獰猛で、
他の児虎を食べてしまうそうです。
そのため母虎は川を渡るとき、まず獰猛な児虎を
最初に向こう岸に渡して引き返し、次の一頭を連れて
渡ります。そしてまた獰猛な児虎を連れて戻り、
三頭目の虎を連れてまた川を渡ります。
そしてまた引き返して、最後に獰猛な児虎を再び連れて
渡るのだそうです。
母虎の子を児を想う気持ちが表れた
優しく雅雅な印象の庭園です。