8月 31日 やさいの日
ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは8月31日、やさいの日です。
16世紀に来日したイエズス会士たちの報告には
当時の日本の食事について
―本来甚だ肥沃にして僅かに耕作することにより、
多量の米を得、即ち当国の主要なる食料なり。
又、麦、粟、大麦、カイコ豆、其の他豆類数種、
野菜は蕪、大根、茄子、萵苣(ちしゃ)のみ、
又、果物は梨、石榴、栗等あれども甚だ少なし。
肉は少なく、全国民は肉よりも魚類を好み、
其の量多く、又、甚だ美味にして佳食なり。
(永禄9年ビレラ書簡)
とあり、大根、茄子などを食べていたことがわかります。
それらももとは外来種で、日本原産の野菜と考えられるのは
フキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリなど。
白菜やトマト、玉ねぎのような
現在私たちが毎日のようにいただく野菜のほとんどは
江戸時代~明治以後に日本に入ってきたもの
ということに驚きます。
8月 30日 白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)
ご機嫌よろしゅうございます。
そろそろ秋の気配もかんじられるこの頃
籠に入れる茶花も徐々に秋の風情を帯びてきます。
秋海棠というと一般的には淡紅色の花ですが
当時、信濃町にあった宗家の裏庭には
白花の秋海棠が咲いていました。
この秋海棠は八世宗中公が江戸屋敷で愛玩していた
もので、その種子を蒔いて繁殖させたものです。
淡紅色の秋海棠よりも葉の色が濃く、また葉裏の
葉脈が濃紅色で色映りが大変美しく、
また背丈も高いのが特徴です。
宗中公以来百年以上の歴史を持つ花で
近くに紅色の秋海棠が植わっているとその
色に染まってしまう性質があるため
白花は大変貴重です。
ご先代はこの白花秋海棠の写生をされています。
8月12日「徹底解剖 茶道テディベア②」
ご機嫌よろしゅうございます。
第②回は、シュタイフ社がどのようなところかをご紹介したいと思います。
創業者のマルガレーテは、車椅子のハンディキャップを乗り越え、シュタイフ社の前身となる会社を創立しました。
1903年シュタイフ社は、ライプチッヒの見本市にクマのぬいぐるみを出展したことがきっかけで、アメリカのバイヤーの目に留まります。そのベアが、ルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレイに使われ、テオドア・ルーズベルト大統領のニックネームにちなんで「テディベア」と呼ばれ大ブームを起こしたのです。
マルガレーテは、障害を持つ人に仕事を与え、子どものいる人には会社に連れてくることを認めるなど、19世紀では珍しい開かれた会社を作りました。
1909年、彼女は天国へと旅立ちますが、その後も現在に至るまで、「うれしい時も、寂しい時も、ぬいぐるみは子供のハートの一番近くにある大切なもの。だからこそ、最良のものを与えてあげたい。」というマルガレーテの精神は引き継がれ、今も最高のテディベアを産み出し続けています。
8月2日 ねぶた
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期、青森では有名な「ねぶた祭り」が
行われます。
このねぶたの由来は諸説あるようで
もともとは酷暑でたまった疲れや眠けを、
秋の農繁期の前に水に流そうという
「眠り流し」の行事だとされています。
これに七夕祭りの灯籠流し、送り火の要素が加わって
現在の形につながったようです。
歴史上の人物をかたどった巨大な張り子の
中に灯りをともし、笛や太鼓の音と共に練り歩く
姿は迫力満点です。
賑やかな練り歩きと張り子の灯りも、もとは眠けを
飛ばすためのもの。
その狙い通り、夜の静けさを吹き飛ばす人々の熱気が
今年も祭りを包みます。
ねぷた(弘前)についてはまた改めてお話したいと思います。
7月 4日 テディベアと遠州流
ご機嫌よろしゅうございます。
皆さんはテディベアご存知でしょうか?
このクマのぬいぐるみは、子供から大人まで
広く愛されています。
シュタイフ社(Steiff)は、1880年にドイツで誕生し、
世界で初めてテディベアを作りました。
職人の手作業で一体ごと丁寧に作られています。
このシュタイフ社では世界限定ベアを制作しています。
例年この限定物は瞬時に売り切れてしまうそうです。
この夏
お家元監修の茶道テディベアがシュタイフ社発売されます。
詳細はまた後日に
今回の限定テディベアは世界限定1500体。シリアルナンバーが刻まれた証明書が付いているそうです。