4月 17日(金)遠州公所縁の地を巡って 「将軍秀忠の御成」

2015-4-17 UP

4月 17日(金)

遠州公所縁の地を巡って 「将軍秀忠の御成」

ご機嫌よろしゅうございます。 龍光院に孤篷庵を営んだ年の十一月八日。 遠州公の江戸屋敷に将軍秀忠の御成がありました。 神田と牛込門内にあった遠州公の屋敷のうち 御成があったのは日常の屋敷である神田でした。 現在でいう千代田区駿河台三丁目辺り、オフィスビルが 立っています。 八畳敷の書院に二畳敷きの上段の間格天井などの 豪華な装飾が施された部屋に炉が切られており、 秀忠にはこの書院でお茶を差し上げたと思われます。 将軍が公式に臣下の屋敷を訪問するこの御成は、 将軍の威光を示し、主従関係を再確認する場として 機能していました。 もともと室町将軍家で行われており、それに倣い 新たな嗜好を加え、秀吉も行っていました。 特に二代将軍秀忠は、茶事を公式の行事にとり入れた 「数寄の御成」を展開します。 遠州公江戸屋敷御成の日。 この日秀忠は織部の茶会に出席しており その直後の御成であったようです。 織部から遠州へ 茶の第一人者としての将軍指南引き継ぎの布石と なったであろうことが推察される御成でした。

龍光院(りょうこういん)

2014-10-5 UP

10月5日 龍光院(りょうこういん)

ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので

軍師 官兵衛の時代のお話を。

官兵衛改め如水の子である黒田長政は
初代 黒田藩主となり、遠州公との深い縁もあります。

慶長九年(1604)三月二十日如水(官兵衛)は
京都伏見藩邸で亡くなります。
59歳でした。

1606年、如水の子・黒田長政が、三回忌のため
父の墓を塔頭・玉林院南に建てたました。
院名は、如水の院号「龍光院殿如水圓清大居士」から
龍光院とされました。
勧請開祖は春屋宗園、開山は江月宗玩。
1608年に春屋宗園の隠居所となり
1612年に遠州公が自らの菩提所として、
江月宗玩を開祖に、龍光院内に
「孤篷庵(こほうあん)」を建立しました。

1628年以降、現在の茶室「密庵」が建てられたと
されています。

毎年10月1日には開山忌法要が営なわれて、
宗実御家元もお参りされています。

遠州公ご命日

2014-2-6 UP

2月6日  遠州公ご命日

本日は流祖小堀遠州公のご命日です。

毎年この祥月命日の2月6日には
ご家族揃って京都の大徳寺孤篷庵へ
お墓参りにいかれます。

本堂において法要を営み、
その後遠州公のお墓参りをされ
お墓参りが済むと
茶室「忘筌(ぼうせん)」において、ご住職と一緒に
お抹茶をいただきます。

孤篷庵は
1612年、大徳寺塔頭・龍光院内に、
遠州公が自らの菩提所として建立します。
この龍光院は、黒田長政が父・如水(黒田官兵衛)
の菩提寺として建立した寺です。

1643年、孤篷庵を龍光院から
現在の場所(瑞源院隣地)に移転しています。
最晩年の2年ほどはこちらにいたといわれます。

1647年、2月6日に伏見奉行屋敷で亡くなり、
ここ孤篷庵に葬られました。

 

【告知】

2月8日 長浜の慶雲館にて盆梅展がございます。

その際御家元の命名式が予定されております。