5月 1日 (金)遠州公所縁の地を巡って

2015-5-1 UP

5月 1日 (金)遠州公所縁の地を巡って
備中と遠州公

ご機嫌よろしゅうございます。
遠州公が備中で奉行を務めたのは
およそ十三年間。
その間まちづくりにも深く関わったと言われています。

松山城が荒廃していたため、父・新介正次と共に遠州公は
頼久寺を居とします。
この頼久寺の庭園は、遠州公が初めて作った庭園と
言われています。
愛宕山(あたごやま)を借景(しゃっけい)に、
砂の波紋で海洋を表現し、
鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配しています。
サツキで大海の波を表す大胆な大刈込みは、
遠州公独特のものです。

またこの地の特産品にも遠州公と関係が

古くから紙の生産が盛んであった備中。
特に戦国時代から朝廷や幕府に檀紙を納入する柳井氏
を指導・保護し、備中特産の紙の流通に大きく関わっていました。
また柳井氏は、遠州公の指導で茶の湯で使用する
「釜敷紙」生産したとも言われています。

遠州公がこの地に伝えたとされる「ゆべし」
もともとは戦の保存食であったものでしたが、
もち米に備中名産の柚子を練りこんだ和菓子に姿を
変えました。
現在でもこの地の特産品として根付いているそうです。