1月8日
本日は初卯(はつう)
この日は初卯詣といい、大阪の住吉大社、東京の亀戸天神社境内の妙義社京都の賀茂神社などに参詣に行きます。
また卯鎚(うづち)、卯杖(うづえ)と呼ばれる
縁起物を買って帰る風習もありました。宗家の点初めの寄付に飾られている卯鎚は、
先日ご紹介した玉箒同様、ご先代が文献を紐解き、宮中行事のしつらいを点初めにとりいれたものです。
この卯鎚は、昔宮中で初の卯の日に飾られていたもので邪気を払うとされる桃の木に日陰の葛(ひかげのかつら)とよばれるシダ植物の仲間を長く垂らしたものです。時代によっても作り方はいろいろあるようですが、
毎年この卯鎚を点初めに飾るため事前に念入りな用意を致します。
葛についた根を一つ一つハサミで切り、土を洗い流して、長さを整えて束ねていきます。
例年4束ほど用意して、点初め期間中毎日交換しています。
当日使用するまで乾燥しないように大きなバケツに水を張り、
その中に沈めて蓋をしておくのですが、
冬の冷たい水と寒い野外での作業はなかなか大変です。
こうして下準備をした葛と藪柑子、桃の木を
いよいよ点初め当日寄付きに掛けます。
普段目にすることのあまりない飾りですので、
初めて点初めにいらした方はとても驚かれます。
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遠州流茶道ドキュメンタリー映画 父は家元
1月25日よりテアトル新宿にて公開
前売り券をご購入の方で席を指定したい方は、前日までに劇場で席を指定してください。
1月7日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの和歌からご紹介したいと思います。
『君がため春の野にいでて若菜つむ
我が衣手(ころもで)に雪は降りつつ』 古今集
あなたにさしあげるために野辺に出て、若菜を摘んでいると、 まだ春が浅く、私の袖に淡雪がしきりに降りかかってきます。
光孝天皇(830ー887)作、百人一首でもおなじみのお歌です。
初子の日にもご紹介しましたが、 若菜摘みの風習は古くからあり、 春の若菜を食するのは、邪気を払うものとされ、 現在でも七草粥を食べる風習が残っています。
この七草粥の風習は 平安時代、中国の年中行事である「人日」(人を殺さない日)に作られる 「七種菜羹〔ななしゅさいのかん〕(7種類の菜が入った吸い物)」 の影響を受けた「七種粥」が、「若菜摘み」と結びつき、 七草粥になったと考えられます。
この七草粥の風習が庶民に定着していったのは 人日の節句として公式行事となった江戸時代から。
さて1月7日の今日はその七草です。
「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」 ゴギョウはハハコグサ、ハコベラはハコベ、 スズナはカブ、スズシロはダイコンのこと。
これらは今で言う日本のハーブのようなもので お節料理で疲れた胃を優しくいたわります。
ビタミン補給の意味もあり、理にかなった食事です。
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ご機嫌よろしゅうございます。 今日は今年の干支にちなみ、馬が登場する和歌についてお話したいと思います。
平安時代以降は「馬」を優雅な表現として「駒」と表すようになります。 有名なものに 『駒並めていざ見に行かむ故里は雪とのみこそ花は散るらめ 古今』 馬を並べてさあ見に行こう。 故里(旧都奈良か)はただ雪のように桜の花が美しく散っていることだろう。
『駒とめて袖打ち払ふ陰もなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ 新古今』 道中どこか物陰に入って袖にかかった雪を払おうとしたら、辺りには物陰がない。 馬をとめて袖の雪を払う物陰もないのだなあ。 この佐野の渡し場の雪降る夕暮れ時よ。
この歌は藤原定家の歌で、遠州流と定家は深い関係がありますが、また改めてお話したいと思います。
さてさて、毎年恒例の点て初めでは お家元がその年の御題に因んだ和歌を詠み、 自作の茶杓に歌銘としてしたためたものが使われます。 今年はどんな茶杓が拝見できるか楽しみです。
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ご機嫌よろしゅうございます。 本日は初子(はつね)正月の最初の子の日のことをさします。 古来中国の風習が日本にも取り入れられ、 安時代は子の日の遊として、盛んに行われた行事で、野外に出て小松を引いたり、若菜を摘んだりした、一種のレクリエーションです。 松は常緑樹であり、長寿の象徴、そしてこれから成長していく小松を引くことで、 行く末がたのしみだという想いがこめられています。また万葉集を編纂した大伴家持の歌に『はつはるのはつねのけふの玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒』という和歌があります。 初春の初子の日である今日、 頂戴したこの玉箒を手に致しました途端、ゆらゆらと音をたてる玉の緒です。 初子には天皇陛下が「手辛(てがら)の鍬」で自ら田を耕し、皇后陛下が蚕室をはらう儀式があり、蚕を飼う棚を清めるために使われたのが「玉箒」です。これが正倉院に一組だけ現存しており、その写真をもとに先代の宗慶宗匠が寸法を割り出し再現したものが、 毎年点初めで飾られています。ご先代は大和絵を学びながら、日本の故事や宮中行事の研究をされていて、この「手辛の鍬」「玉箒」の他にも様々なものを正月のしつらいにとりいれられました。そちらについても また後日お話したいと思います。
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ご機嫌よろしゅうございます。 本日は初亥(はつい)
摩利支天(まりしてん)縁日が最初に行われる日で この日に多くの参詣者が訪れます。
摩利支天は陽炎を神格化した女神です。 陽炎なので、捉えらるることも傷つけられることもなく自在の力を操り、また目には見えずとも常に身近にいて人々を護ってくれる護身の神として信仰を集めました。
日本では昔から忍者、武士、力士などの戦勝の神としても信仰され、出陣の際には鎧の中にお守りとしてひそませたそうで、毛利元就は摩利支天の像を旗印に、山本勘助、前田利家も信仰していたといわれています。
この摩利支天が走猪に乗っているとされるものが多く、ここから猪が神使とされました。
東京徳大寺、京都建仁寺塔頭・禅居庵のお堂「摩利支天堂」、金沢「宝泉寺」 この三寺が日本三大摩利支天と言われています。
ご利益は護身除災、旅行安全、財福授与、武徳守護など
初詣がまだの方 お詣りしてはいかがでしょうか?
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ご機嫌よろしゅうございます。
お正月休みも3日目の今日までという方も多いのではないかと思います。
エネルギー充電は十分にできましでしょうか?
さて宗家ご家族の正月3日目の過ごし方は、
菩提寺である練馬広徳寺へお墓参りです。
広徳寺は早雲寺(北条氏)の子院として、
元亀・天正の頃(1570-92)小田原に建立され、小田原城落城の際焼失
天正18年(1590)徳川家康に招かれ、神田に広徳寺と称して建立。
寛永12年(1635)下谷へ移転
加賀前田家、会津松平家など諸大名を檀家とし、名だたる家々の墓石や宝塔の建ち並ぶ様は壮観で、 「ビックリ下谷の広徳寺…」と称されるほど隆盛を極めました。
その後昭和53年練馬に移転し、現在に至ります。
小堀家の墓をはじめ
剣法指南役として名高い、柳生宗矩、十兵衛、宗冬の柳生三代の墓もあります。
庭は先代である宗慶宗匠が監修されています。
禅修行の道場のため、気軽に参詣はできませんが、
お寺の方にお尋ねしてお墓参りをすることは可能のようです。
【告知】
御家元舞台挨拶のお知らせ
2月1日、テアトル新宿にて映画「父は家元」上映後、女優榊原るみさんと舞台挨拶を予定しております。
ご機嫌よろしゅうございます。
新年明けて2日目。
見慣れた街の景色も、なぜか清々しく改まったように感じられる気がします。皆様も帰省されたり、自宅でのんびり過ごしたり、はたまたすでに仕事…など様々にお過ごしのことと思います。
さて本日は1月2日に因んで、三世正恒宗実公についてお話したいと思います。
三世宗実公は1649年に江戸屋敷で生まれます。
有職故実に長け、朝鮮通信使来日の際にご馳走役を務めたほか、日光東照宮の祭礼奉行などを歴任し、諸大名と茶道を通じて交友を深めました。1694年1月2日に亡くなっています。
遠州公以来三代に渡って収集された蔵品を整理した「小堀家器財帳」を作成し、これが後の「遠州蔵帳」の基礎となります。 この遠州蔵帳についてはまた改めてお話したいと思います。
このような資料から、茶人の好みや茶の湯の形を窺い知ることができるため、歴史研究に大変重要な資料であり、その礎を築いた宗実公の功績は大きいでしょう。
また当代十三世家元は三世宗実公の号を継承されました。
〈告知〉
世界初茶道ドキュメンタリー映画【父は家元】
テアトル新宿の公開初日はナレーションを務めた家元の次女、小堀優子が舞台挨拶を予定しております。
皆様あけましておめでとうございます。
遠州流メールマガジン 綺麗さびの日々
本日から本格的にスタート致します。
遠州流に関すること、 また折々の行事や美術館情報、 茶会や宗家でのお稽古風景など、様々な話題をお届けしていく予定です。
こんなことにふれてほしい、 ちょっと聞いてみたいことなど 皆様のご意見ご感想を是非お聞かせください。
さて第一回目の今日は門松に関するお話。
お正月に飾る門松は、歳神様をお迎えする依代の意味があります。
では宗家ではどんな門松か、と申しますと、実は宗家では門松を飾りません。
その理由は、十一世其心庵宗明宗匠の時代から 遠州流茶道宗家の正面玄関の両脇には松が植えられているからです。 そのためあえて松を飾ることをやめ、青竹の花入に千両と万両、 そして梅を入れて飾り付けしています。
今度宗家にお越しの際には 是非両脇の松を御覧になってみてくださいね。
〈告知〉
遠州流茶道ドキュメンタリー映画
【父は家元】が1/25よりテアトル新宿にて公開。
2/1からは横浜ニューテアトル。
大阪、福岡、金沢、名古屋、青森でも公開致します。
公式ホームページ
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映画の情報も日々更新してまいります。
皆様ご機嫌よろしゅうございます。
本日は季節の花、山茶花(さざんか)についてお話いたします。
《季節の花:山茶花》
山茶花は、その年の気候によってかなり早く咲き始めることもありますが、あまり暖かな季節にふさわしい花とはいえません。
やはり秋風が冷たさを一層加えて、木枯しの吹きすさぶ頃が、まさにこの花の色が美しく映えてくるといえます。
山茶花は、ツバキ科の常緑小高木で、日本及び中国が原産とされ、現在は80種ほどの園芸種もあります。
ツバキ科の中では、最もよく椿に似ており、この実から採れる「さざんか油」もまた「つばき油」と同じ不乾性油で、髪や皮膚に付けると、抜け毛や毛切れ、裂毛を防ぎ、皮膚の炎症を抑え、フケや痒みなどを防止する効能があります。
また、食用としても良いし、時計などの精密機器用の潤滑油としても効果があるので、ほとんど「つばき油」と同じ性質を持っています。
この山茶花という、少し無理のある読ませ方をする名前ですが、もとは椿の漢名(中国の名)である「山茶(さんちゃ)」の「山茶花(さんさか)」の字音が変化したもの、というのが一定の説となっております。
春に花を盛んに咲かせるのを「つばき・椿」とし、それに対し、木も葉も花も実も小振りで、主に、冬に盛んに花を咲かせるのを山茶花としていたとも言われ、一年を通して、人間の眼を楽しませてくれます。
皆様、ご機嫌よろしゅうございます。
本日は、正座についてお話いたします。
≪茶の湯:正座≫
古来より座り方には、跪座(きざ:ひざまずく)、箕距(ききょ:なげあし)、胡坐(あぐら)、立膝、結跏趺坐(けっかふざ:あぐらの状態から両足を交差させた状態で両太ももにのせる座禅時の座り方)など、様々なものがありますが、正座という座り方を用いるのは世界でも日本のみとされています。
しかし、日本においても、正座が一般的な座り方として知られるようになったのは、一説によると江戸中期の元禄・享保頃からと言われております。
それまでは、胡坐で座る事が一般的で、重要な祭典や祭儀があるときに用いられました。
また、他国では拷問時に使用されることもあるほど負担のかかる座り方であり、畳が開発・普及されるまで、日本人にとっても、大変特殊な座り方とされていました。
畳は古事記に初出しますが、一般民家で使用されるようになったのは江戸時代中期以降であり、茶道の広がりと相まって、正座も認知・使用されていきます。
しかし、現代では、畳の部屋が減り、椅子の使用が増え、また学校などにおいては正座が罰則として用いられるなど、正座・畳を取り巻く環境が変化しており、特殊化されつつあります。
茶道とは切り離すことのできない正座というものとの対話が、今後望まれているように感じられます。