4月7日 桜
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「桜」について
お話します。
満開の桜を眺めると心躍る気持ちがします。
皆さんがお花見に行かれてご覧になる
桜のほとんどは「染井吉野」という
種類のようです。
この桜
桜好きの日本人のために手っ取り早く満開の桜を咲かせたい
ということで、江戸時代末期に
染井村(現在の東京駒込あたり)の植木職人が
何種かの桜を掛け合わせてつくったのだとか。
それまで全国的に有名だった奈良原産の吉野桜を
意識して名付けられたそうです。
葉が育たないうちに開花し散りやすいのですが
その散り際の見事さが日本人に受け
また栽培しやすいことからたちまち全国に広がり
従来の吉野桜を押しのけ
桜といえば染井吉野という程普及しました。
4月6日 天正19年の出来事
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。
天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。
1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日 千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。
主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。
年号変わって、文禄二年
15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入について。
桜にちなんだ銘を持つ遠州公ゆかりの茶入は
たくさんあります。
そのうちの一つが
「山桜芋子」です。
正面にかかる釉薬の具合が
山に咲く桜の姿を連想させることから
遠州公がこの名を付けたとされています。
芋子とは文字通り、その形が里芋の子のような形
をしていることからの名称です。
茶入の入った箱には遠州公の自筆で
「芋子」と書き付けがあります。
4月4日 清明(せいめい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の「清明」です。
「暦便覧」には
「万物発して清浄明潔なれば、
此芽は何の草としれるなり」
と記されています。
花々は咲きほこり、万物が若返り、
清らかで明るく美しい季節です。
中国における清明節は祖先のお墓参りをし、
日本におけるお盆に当たる年中行事です。
また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、
清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、
穀雨以後の茶葉を「雨後茶」といいます。
中国で清明節に近い時期に摘む茶葉は、特に香りと甘みがあり、
高級茶葉の扱いをされるそうです。
4月3日 映画「父は家元」
ご機嫌よろしゅうございます。
好評につき遠州流茶道 ドキュメンタリー映画
父は家元が
池袋、新所沢にて凱旋上映が決定されました。
4月19日にはシネリーブル池袋
(http://www.ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/)
にてお家元とナレーションを務めた次女の
優子さんお二人が舞台挨拶をされる
予定です。
先日の公開討論会において、
林屋晴三先生映画の感想を
このようにおっしゃっていらっしゃいました。
作りこまれたところがなく、全てが自然で
映画の内容が小堀家そのもの。
お茶の家はこうあるべきと
志ある人は感じたのではないかと思います。
前回の上映でご覧になれなかった方
一度ご覧になり、お知り合いにお勧めしたい方
是非映画館に足をお運びください。
詳細はホームページをご確認ください。
4月 2日 釣釜(つりがま)
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯では
炉から風炉へ
季節のうつろいを感じる設えがあります。
その一つが「釣釜」です。
釣釜は炉を閉じて、初風炉の直前にする設えで、
文字通り天井から鎖で釜を吊るし
次第に暖かくなってきた気候に合わせて
釜を深く下ろして湯を沸かし
火気を遠ざけられるような仕組みになっています。
お点前の際は釜を通常の高さまで上げて扱います。
宗家の稽古場でも釣り釜の用意がされると
いよいよ夏がやってくるのだなあと
感じられます。
遠州流では小間の茶室では台目柱がある
縦の線が重なるのをよしとしませんので
釣り釜ではなく透木釜
(五徳を使わず、炉縁に釜の羽根が乗る釜)をかけ、
広間で釣り釜を行います。
4月1日 一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から4月。
入学式や新生活を迎える方も多い月ですね。
四月は卯月ともいい、卯の花つまり空木の花の咲く月という
異名もあります。
たくさんの美しい花々を楽しめる
一年でも最も明るく華やかな時期でしょう。
さて、花を愛でるのは、その姿だけではありません。
花の持つ香りも楽しみの一つです。
お香を聞くときも、少し湿った雨の日の方が香の香りが
よく味わえますように、やはり花の香りも
しっとりとした雨上がりの方が、その甘い香りが際立ちます。
今日はそんな香りにちなんだ禅語を御紹介します。
一夜落花雨(いちやらっかのあめ)
この言葉は
美しい花を落としてしまうほどの雨
しかし、一夜明けると、その雨が地を潤し、
花の香りで満ちていた。
という意味です。
この語は
当時字がうまいと評判だった二代大膳宗慶が
八歳のとき(寛永五年・1628)、宮中に召され
後水尾天皇・東福門院の御前でこの言葉を書きました。
その日雨が降っており
「嘉泰普燈録(かたいふとうろく)」という禅宗史伝書の
第六にある「一夜落花雨満城流水香」の語を選び
一同を感心させたと言います。
3月31日 薬師寺 花会式(はなえしき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は奈良の薬師寺にて花会式が行われます。
正式には「修二会」といわれ、
三月末~四月の初めに七日間、
練行衆により懺悔を中心として昼夜に繰り返し行われる、
奈良・平安時代より続く行法です。
この修ニ会は奈良の色々なお寺で行われています。
例えば3月12日にご紹介した東大寺のお水取りも、
修ニ会の行事の一つ。
薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから
「花会式」と呼ばれ、お水取り同様、奈良に春を告げる行事
として親しまれています。
嘉承2年(1107)に堀河天皇が皇后の病気平癒を
薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したため、
10種類の造花を作り供えたことが
現在の華やかな「花会式」の始まりとされています。
現在の花会式においては、御家元がお献茶をご奉仕されることもあります。
また、例年 戸川宗彬先生が添釜をされていらっしゃいます。
3月30日 官兵衛 天正19年の出来事
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。
天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。
1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日 千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。
主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。
文禄22年15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。
3月29日 遠州公の愛した茶入「凡(およそ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の
「凡(およそ)」をご紹介します。
不思議な名前だな?と思われるかたも
いらっしゃるかもしれません。
この茶入の姿に「凡」の字が似ているところから
遠州公がつけたと言われています。
遠州公が将軍茶道指南役の任を終え
伏見に戻ってから行った最初の茶会で使用されて
その後12回ほど使用した記録が残っています。
遠州公最晩年によく使用された茶入で
後に松平不昧の手に渡り
「雲州蔵帳」にも記載されています。