4月27日 道成寺鐘供養
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は4月27日です。
毎年4月27日には和歌山県川辺町の道成寺で
鐘供養が行われます。
道成寺は和歌山県最古の寺で、
大宝元年(701年)に創建されました。
この寺は『安珍清姫伝説』で知られており
能や歌舞伎・浄瑠璃などでも大変人気の高い演目です。
寺の創建から230年経った、延長6年(928年)。
参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が
恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、
最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという
悲恋の物語です。
平安時代の「法華験記」(11世紀)、今昔物語などに同じような
お話をみつけることができ、
内容は伝承によってそれぞれ若干違いがあります。
4月 26日 遠州公の愛した茶入「藤波(ふじなみ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「藤浪」
をご紹介します。
この茶入の釉薬のかかった景色が
藤の花の垂れ下がるようすに見られることから
新古今集 春歌の
かくてこそ みまくほしけれ 万代(よろずよ)を
かけて忍べる 藤波の花
の歌から命銘したといわれています。
箱の裏には遠州公がこの歌をしたためた小色紙が
貼り付けられています。
挽家(ひきや)とよばれる茶入の入れ物に施された意匠は、
紫檀(したん)に藤の花が咲く模様を全面に彫り、
沈金を施していて大変珍しいものです。
藤の花は二季草(ふたきぐさ)の名もあるように
春から夏へ、ふたつの季節にまたがって咲き
和歌でも古今集等、春・夏の部ともにその名が見られる花です。
4月25日 前押(まえおせ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の好みの形である前押について
お話ししたいと思います。
茶碗や水指などの道具に見られる意匠です。
正面に手で押したわずかなへこみを作り
アクセントとしています。ここが正面ですよと
お客様にわかっていただけるように
との心配りからついています。
遠州流では濃茶の後、数名のお客様に次々と
薄茶を点てる場合に重ね茶碗というものを使用します。
同じ出生(窯)のもので、天目型の成りに
正面をわずかにへこませた前押の形
のものを大小重ねて使用する茶碗です。
遠州公は当初三島茶碗などの平茶碗をお客様の人数分重ねて
点法したようですが、
それを国焼きに改めて考案しました。
切形(きりがた)と呼ばれる型紙をもとに
遠州公の作為による前押茶碗を、八世宗中公が作らせた
高取の重ね茶碗も今に伝わっています。
この重茶碗というお点法は、
遠州流特有のお点法です。
4月24日 十二世宗慶宗匠命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は4月24日
先代 紅心 宗慶宗匠のご命日です。
昭和25年 音羽護国寺において
二代小堀正之 備中守大膳宗慶公の宗号
「宗慶」を襲名されました。
並々ならぬ才を持ちながら、父である遠州公の存在に
かくれてしまい注目されることが少なかったことや
十一代の宗明宗匠から一巡した新たな一代目と捉え
二代目の「宗慶」を名乗ることとなりました。
そして当代家元は三代宗実公の名を襲名。
小堀遠州から続く綺麗さびの血脈は、
今も確実に受け継がれ、そしてこれからも
繋がっていきます。
根津美術館で行われた米寿の茶会の折
ご先代の無事と長寿を願って
お家元が床にいけられた
袋藤と延齢草の花
そしてその床の間をお二人でご覧になる姿が
今でも鮮やかに胸に蘇ってきます。
4月23日 春眠暁を覚えず
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの漢詩をご紹介します。
春眠不覺曉 (春眠暁を覚えず)
處處聞啼鳥 (処処啼鳥を聞く)
夜来風雨聲 (夜来風雨の声)
花落知多少 (花落つること知んぬ多少ぞ)
孟浩然の春暁の詩です。
一般的には、次のような意味に解釈されています。
春の眠りは心地よく、うっかり寝過ごし、
夜明けに気付かない。
目覚めてみると、ところどころで
鳥がさえずっていて天気が良さそうだ。
そういえば、昨夜は風雨の吹き荒れる音がした。
せっかくの花がどれほど落ちたことか。
近年では
春は日の出が早いので、同じ時刻に起きても
すでに空は明るい。
という意味で解釈する説もあるようです。
ただ、春のうららかなあたたかさとのどかさを表すのは
やはりこれまでの解釈の方があっているのではかなと思います。
4月22日 桜鯛(さくらだい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は、この時期旬を迎える「桜鯛」について
お話しします。
桜鯛は、春に旬を迎えるマダイのことを指します。
マダイは桜の花が咲き始める3~6月頃
産卵の為に浅瀬に来るので、この時期のマダイのことを
桜鯛と呼びます。
産卵期の鯛は赤みが増し、身が肥えて脂がのり、
一番美味しくなります。
他の季節のものと区別され珍重されています。
この時期、大阪の船場では親戚や親しい家の間で
とびきりの桜鯛を贈答する風習が、
江戸時代から大正頃まで続いていたそうです。
会席でも旬の食材を取り入れた献立が考えられ
その季節にあった旬の食材でお客様をもてなします。
これまでもいくつか「旬」の食材という
お話をしてきましたが
旬の時期においしくなるのは何故だかご存知でしょうか?
それは1年のサイクルの中で、
その生物が次の世代を産むために体に栄養を蓄える時期
と重なることが多いからなのだそうです。
4月21日 初花(はつはな)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は漢作唐物「初花」茶入についてご紹介します。
楢柴・新田肩衝と並んで、天下三肩衝の1つ。
もとは楊貴妃の油壷であったとも伝えられます。
初花とはその季節に一番に咲く花を指します。
この銘は足利義政が、
その形姿を天下に先駆ける初花にたとえて
くれないの はつ花ぞめの色ふかく
思ひしこころ われわすれめや
に因んで付けた銘であろうと『日本陶瓷史』
にありますが定かではありません。
織田信長が名物狩りで商人の大文字屋から取り上げたもので、
信長・秀吉・家康という三人の天下人の
所有するところとなり
柳営御物として三百年もの間を
幕府の権威を誇示することとなります。
現在は国の重要文化財に指定され、
東京の徳川記念財団に保管されています。
この初花と並んで好まれる「遅桜」茶入を
来週月曜日にご紹介します。
4月 20日 穀雨(こくう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の穀雨です。
春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、
雨で潤った田畑は種まきの好期を迎えます。
もとは、秋に種蒔きした麦類の生長を助ける雨のこと
を指し、麦は穂が出て実をつけるようになります。
のちに稲にも適用されるようになりました。
「清明になると雪が降らなくなり、
穀雨になると霜が降りることもなくなる」
といわれますが
変化の多い春の天気もこの頃からようやく安定し、
日差しも強まってきます。
昔から、この日に合わせて田畑の準備をするそうです。
また穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。
いよいよ春から初夏へ向かう季節になりました。
この穀雨の恵みを受けて
山野は5月の美しい新緑の準備をしているのですね。
4月19日 遠州公の愛した茶入 春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。 今日は遠州蔵帳所載「春慶瓢箪」についてお話します。
春慶とは、瀬戸窯の初代である加藤四郎左衛門 (藤四郎)が、晩年に春慶と称してから作ったものであると言われてる 茶入れの一群です。 この茶入は形そのままに、遠州公が命銘したものです。
瓢箪の形については 遠州公の好みの形で昨日ご紹介させていただきました。
お茶会ではおよそ七回使用されていて、第一回を除いて いづれもお正月に使われています。
瓢箪という形は縁起の良い形です。 また遠州公が好んだ意匠でもあり、 遠州公が関係する様々なところで、この瓢箪の形を目にします。
4月 18日 瓢箪(ひょうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公の好んだ形「瓢箪」について。
12日にもご紹介しました
薩摩の窯に注文して焼かせた「甫十瓢箪」
と呼ばれる茶入をはじめ
遠州公は瓢箪の形をとても好みました。
これは禅の教えとも関係があります。
水に浮かべた瓢箪は上から押すと、
一度は沈みますが、手を離すと別の場所に
ぽこっと浮かんできます。
「至りたる人の心は
そっとも(少しも)ものにとどまらぬことなり
水の上の瓢を押すがごときなり」
相手の心に逆らうのではなく、素直に意に従い
しかも自分の心というものは決してまげないという
「瓢箪の教え」からくるもののようです。
茶道具の他に、文様や透かしにも瓢箪を
多く用いています。