6月6日 芒種(ぼうしゅ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は24節気の芒種にあたります。
小満から数えて15日目頃になります。
稲や麦のような芒(のぎ)のある穀物穂の出る穀物の
種をまく季節ということから、芒種と言われています。
実際にはもう少し早く種を撒くようです。
芒は、イネ科の植物の花についている針のような突起のことで
禾とも書きます。
天目茶碗には禾目とよばれるものがあり、
茶色や銀色の細かい縦筋が無数に見られます
これを日本では穂先の禾に見立て、
この種の釉薬がかかった天目茶碗を禾目天目と呼んでいます。
6月 5日 今井宗久(いまいそうきゅう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今井宗久の命日です。
今井宗久は近江に生まれ、後に堺で活躍する商人です。
武野紹鴎の娘婿となり、紹鴎が没すると
紹鴎秘蔵の名物茶器(松島茶壷・紹鴎茄子・玉澗筆波の絵)
を譲り受けます。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際には、
松永久秀が九十九髪茄子を献上し、
宗久も紹鴎の遺品である松島茶壷・紹鴎茄子を
献上します。
信長は堺の町衆の懐柔と支配のため宗久を重用し、
茶の湯においても茶堂として活躍しますが、
信長が本能寺の変で倒れてからは
次第に力が衰えていきます。
永正十七年ー文禄二年(1520ー1593)
6月 4日 鮎(あゆ)
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。
11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。
鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。
春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。
塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。
6月3日 水無月(みなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
6月に入ると和菓子屋さんで
三角形の小豆を散らしたお菓子
を目にしたことはありませんか?
これは水無月というお菓子で、
外郎(ういろう)で氷をかたどったものです。
昔、宮中では氷室(ひむろ)といわれる洞窟のような場所に
氷や雪を冬のうちに保管していました。
ここから氷を取り寄せ、氷を口にして、暑気払いをしていましたが
高級品である氷は、とても庶民の口に入りません。
そのため、麦粉を練り、氷片に見立てて食べたのが「水無月」です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、
上の小豆は氷の中にある泡を表し、
また悪魔払いの意味をもつと言われています。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。
京都ではこのお菓子を6月30日の「夏越の祓え」でいただく
のが習慣なのだそうです。
6月2日 菖蒲(あやめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう5月5日 端午の節句です。
5月5日には、邪気を払うとして菖蒲湯や、
宮中の薬玉に菖蒲が用いられました。
しかし、これらは、現在私達が連想する
艶やかな花を咲かせるアヤメ科の菖蒲とは
別の、芋サトイモ科の植物で
両者のうち花の咲く方を「ハナアヤメ」、
サトイモ科の方を「アヤメグサ」といって
区別していました。
邪気払いとして用いるのは、
その葉に特有の香りを持つ「アヤメグサ」の方です。
「ハナアヤメ」のほうも、茶花として用いられることは
昔から少なかったようで茶会記に名を見ることも
あまりありません。
昔から「六日のあやめ、十日の菊」などと言い、
節句(5月5日、9月9日)を過ぎて「役に立たないもの」
の例えなどに挙げられます。
6月1日 水無月(みなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から6月
今年も折り返しとなります。
旧暦でいう6月は梅雨も明け、暑さも厳しくなる時期
です。雨が降らないので「水が無い月」と言われたなど、
水無月という名前の由来には諸説あります。
6月に入ると、着物は単衣(ひとえ)と呼ばれる
裏地のない着物に衣替えします。
遠州流では袱紗の生地が絽に変わります。
こちらもお家元が毎年好まれて作られており、
腰につけるととても涼しげで、
お道具を清める手元まで、季節感を感じさせてくれます。
お茶会などでご覧になった方にもお声をかけていただきます。
綺麗さびの美意識ならではの
細やかな心配りです。
5月31日 遠州公の愛した茶入
「埜中(のなか)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「埜中」を
御紹介します。
中国から渡ってきた茶入で
おもはくは埜中にとては
植えおかじ 昔は人の軒のたちばな
慈鎮和尚
の歌意にちなんだものと思われます。
遠州公の茶会記には特に記載が残っていません。
松花堂昭乗との関係があるようで
挽家の「埜中」の字は松花堂昭乗によるもので、
茶入に添えられているお盆の箱書も松花堂昭乗の筆です。
さらに「遠州松花堂贈答の文」の一軸が添えられています。
5月30日 遠州好 「七宝文(しっぽうもん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公の好んだ「七宝文」をご紹介します。
遠州流の、様々なものにこの文様が入っておりますので
皆様にもお馴染みのものと思います。
正しくは「花輪違い」と呼ばれます。
以前は「鶴の丸と丸に卍」が小堀家の紋でしたが
遠州公によって小堀家の定紋と定められたもので、
多くの茶道具にあしらわれています。
七宝文自体を形どって作られているものは唯一
「七宝透蓋置(しっぽうすかしふたおき)」
が好まれています。
またオランダのデルフトへ注文したと思われる
箱書きは「をらむだ筒茶碗」にもこの文様を上部にめぐらせて
いて、今の時代にみてもモダンな茶碗です。
5月 29日 五月晴(さつきばれ)
ご機嫌よろしゅうございます。
気候も穏やかな新緑の季節、
爽やかに晴れ渡ったこの空のことを
「五月晴」と表現します。
しかしこの「五月晴(さつきばれ)」という言葉
本来は旧暦の5月を指しました。
梅雨の間の晴れの日に使われていましたが、
現在では五月の晴天という意味でも使われるようになったのです。
三寒四温同様、
誤用が一般化して定着した一例といえます。
5月28日 虎が雨
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は5月28日
この日は必ず雨が降るという伝承があります。
建久四年(1993)
仇討ちで有名な曽我兄弟が父の仇討ちに敗れて討ち死にし、
兄祐成の愛人、虎御前が悲しみに涙した日なのだそうです。
その後虎御前は兄弟を弔うため出家します。
旧暦では梅雨に当たるため、
江戸時代には俳句の季語でした。
また神奈川県小田原市城前寺では
仇討ちが行われたこの日
「曽我の傘焼き」と 呼ばれるお祭りがあります。
富士の裾野で傘を焼いて松明とした故事にちなむ祭りで
周辺をまわって古い傘を集め、火を放って供養します。
さて今年は虎御前の雨が降りますでしょうか?