8月4日 権十郎篷雪命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は権十郎篷雪の命日です。
寛永二年(1625)遠州公の次男として生まれ、
後に小堀を改めて小堀家と所縁の深い浅井姓を称し、
権十郎篷雪と称しました。
兄の大膳宗慶とは5歳離れた弟になります。
正保四年(1647)遠州公が没すると、
父の遺領のうち近江国浅井郡の千石を分地されました。
茶会でもよく名を目にする通り、
道具の目利きに優れていたので、その鑑定眼にかなった
道具の箱書が多く伝来しています。
元禄七年(1694)8月4日江戸でなくなります。
70歳でした。
8月3日 明智光秀(あけちみつひで)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜となりましたので
官兵衛の時代のお話しを。
主君信長に反逆する裏切り者としての
一面が目立つ光秀ですが、文武両道で
和歌・茶道の嗜みも深い文化人でした。
天正十年(1582)
6月に本能寺の変の起こる年ですが、
この年の正月7日の朝、
光秀は山上宗二と津田宗及を招き、
茶会を開いています。
床の間には信長直筆の掛物
通常床の間に掛ける掛物は墨跡や唐絵、古歌など
を掛けることが一般的でした。
主君の筆による掛物を飾り、恩恵に感謝していた
ように感じられます。
この数ヶ月後、その主君を討つことになるとは
当時の光秀は思いもよらなかったのではないでしょうか。
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8月2日 ねぶた
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期、青森では有名な「ねぶた祭り」が
行われます。
このねぶたの由来は諸説あるようで
もともとは酷暑でたまった疲れや眠けを、
秋の農繁期の前に水に流そうという
「眠り流し」の行事だとされています。
これに七夕祭りの灯籠流し、送り火の要素が加わって
現在の形につながったようです。
歴史上の人物をかたどった巨大な張り子の
中に灯りをともし、笛や太鼓の音と共に練り歩く
姿は迫力満点です。
賑やかな練り歩きと張り子の灯りも、もとは眠けを
飛ばすためのもの。
その狙い通り、夜の静けさを吹き飛ばす人々の熱気が
今年も祭りを包みます。
ねぷた(弘前)についてはまた改めてお話したいと思います。
8月1日 八朔(はっさく)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から8月。
8月は「葉月」とも言われ、
木の葉が紅葉して落ちる月ということから
「葉落ち月」「葉月」となったという説があります。
また8月1日には
昔から農家では早稲の穂を恩人に贈って
「田実(たのむ)の祝い」といわれる
豊作祈願を行いました。
お世話になった人に贈り物をし、
よろしく「たのむ」日とされ、この風習は
後に武家にも伝わりました。
またこの8月1日に秀吉により関八州を与えられた
徳川家康が江戸入城の日でもあり、後に江戸幕府の
大事な式日、八朔御祝儀の日となりました。
この話はまた後日改めてお話したいと思います。
7月 31日 年寄りの冷や水
ご機嫌よろしゅうございます。
真夏のうだうような暑さには、
冷たく冷やした飲み物や
食べ物が美味しく感じられますね。
でも冷たいものばかり食べていると、
体を冷やしてしまうことはよく言われています。
お年寄が自分の身体の状態を考えずに
無理をするのを注意する言葉を
「年寄りの冷や水」と言ったりします。
水が今ほど満足に使えなかった江戸時代
生水は毒とされ、必ず沸かして利用されていましたが
河の真ん中の水は毒が無いと言う迷信が有り、
夏の暑い時期は隅田川から汲んできた水を
「冷や水」と言って飲料水として氷を浮かべたりして
売り歩いていました。
しかし、街中を流れてる川の水ですから、抵抗力の
弱い高齢の方はお腹を壊してしまいます。
ここからさきほどのことわざが生まれたといわれています。
とはいえ年齢に関わらず
冷たいものの食べ過ぎ飲み過ぎは要注意です。
7月30日 つりしのぶ
ご機嫌よろしゅうございます。
皆さんは「つりしのぶ」をご存知でしょうか?
釣りしのぶは、山苔を巻きつけた上に
シノブと呼ばれる根茎を巻き付けて、
さまざまな形に仕立てたもので、
これを軒先に吊るして、眺めることで涼をとります。
シノブは山地に育つシダで、乾燥にも強く、
水がなくても「耐え忍ぶ」という意味から
シノブという名がついたとされています。
このつりしのぶは、江戸の中期に
庭師がお得意様へのお中元用に作り始めたもので
江戸の手狭な長屋などでも気軽に楽しめるので
庶民に人気がでて
明治から昭和初期にかけて一般にも広まりました。
7月 29日 土用の丑の日(どようのうしのひ)
ご機嫌よろしゅうございます。
日本の夏 土用の丑の日という言葉は
必ずこの時期に耳にします。
そしてついつい鰻が食べたくなるのも不思議なものです。
この土用の丑の日という言葉は
江戸時代、売れゆきが悪く困っていた近所の鰻屋に
頼まれて博物学者の平賀源内が作り、貼り出したものでした。
もともと丑の日に「う」のつくものを食べる習慣と
あいまって、今日までしっかりと日本人に定着したキャッチコピーです。
土用とは、立春・立夏・立秋・立冬の四季の変わり目の前の
18日間のことを指します。
つまり、土用は本来夏だけではないのですね。
立秋前の土用は暑さが厳しく農作物の収穫にも関わるため
特に重視されてきました。
その土用の間の十二支のうちの丑の日が
「土用の丑の日」にあたります。
7月 28日 桔梗(ききょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
風炉の茶花として重宝される花の一つに
桔梗があります。
桔梗ですが
そもそもは発汗剤、咳止めなどの漢方薬として渡来し
たもので、日本では全国の山野に自生し
ていて、大変馴染みのある花です。
戦国時代には紋所や旗印として多く用いられました。
桔梗の字が「更に吉」の組み合わせで縁起がいいということも
理由の一つのようです。
明智光秀は「水色桔梗」
江戸城を築いた太田道灌は「太田桔梗」
坂本龍馬は「組み合い角に桔梗」
の家紋が使われています。
7月 27日高山右近(たかやまうこん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は利休七哲にも数えられる高山右近について
荒木村重とともに籠城の構えをとった
高山右近はキリシタンを弾圧との信長の脅迫に,
人質として妹と息子を差し出している村重と
キリシタンへの迫害との狭間で悩みます。
最終的には、城や家族を捨て身一つとなり信長に降伏。
右近の降伏により形勢が信長有利となったため
高く評価され加増されました。
官兵衛をはじめ、牧村政治・小西行長・大谷吉継・蒲生氏郷など
多くの武将が影響を受けてキリシタンとなります。
信仰と茶の湯に熱心で、秀吉の世となって
禁教後、家康の時代に国外追放となるまで
前田家の加賀藩に住み、茶所としての金沢の発展に貢献しました。
7月 26日 花火(はなび)
ご機嫌よろしゅうございます。
夏の花といえば
朝顔、槿、いろいろありますが
夜空に咲く花火も、やはり夏の花。
ほんの数秒の短い命ながら
その夜空に光る美しさと
どーんというお腹の底に響く音
暗闇に漂う火薬の匂い
私たちの五感に響くその美しさは
時を経て現代の今も日本人に親しまれててきました。
特に東京・隅田川の花火は、毎年多くの見物客で賑わいますが
もとは死者を弔うための火であったことをご存知でしょうか?
飢餓や疫病が流行した江戸時代
時の将軍であった徳川吉宗が犠牲者の慰霊と悪霊退散のため
隅田川で水神祭を開き、この時両国橋周辺の
料理屋さんが上げた花火が隅田川の花火の由来
といわれています。