9月15日 敬老の日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は敬老の日、祝日です。
この祝日は、長い間社会の為に尽くしてきた
高齢者を敬い、長寿を祝う日です。
ハッピーマンデー法の成立により、9月15日から
9月の第三月曜日に改正されました。
兵庫県のある村で行ったある取り組みから、
祝日に発展したこの「敬老の日」
はじめは「としよりの日」「老人の日」と名称に関して
議論が各地で起こり、1965年に現在の名称に定まりました。
「母の日」のように海外から入ってきた記念日とは異なり、
日本独自の祝日です。
この祝日の由来を
593年の9月15日に聖徳太子がが四天王寺に
悲田院(現在の高齢者施設のようなもの)
を建立した日とする説や
欽明天皇が養老の滝(貧しいきこりがお酒好きな祖父
のために泉から湧き出る酒を汲みにいった)
に御幸した日
とする説など諸説あるようです。
9月 14日 心に庵(いおり)を…
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州茶道宗家にて、許状授与式が
執り行われます。
受伝者の皆様おめでとございます。
この許状式では、全国から門人が集まり
準師範をはじめ、宗号・庵号を
お家元から直接いただきます。
宗号とは茶道の世界においては茶人としての名前といえるものです。
古へに茶を嗜むものは禅寺で修行を積んだことから由来するものであり、
許状式において御家元から詳しいお話をいただきます。
また庵号はその名の通り、茶室(庵)の名前です。
式中、お家元が受伝者に向けて贈られる
言葉の中に、こんな一節があります。
「庵を持たない方も心に庵を持って
日々の生活を送られて下さい。」
実際に茶室を持つ人も、そうでない人も
常に胸の中に茶の湯の心を意識して日常を過ごす…
それこそが茶の湯の真の修養であり
お家元からいただいた号に恥じない茶人と
なれるのではないかと思います。
9月13日 遠州公の愛した茶入
「廣澤(ひろさわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「廣澤」をご紹介します。
廣澤は千年を超える月の名所です。
釣鐘型のこの茶入は
澤の池の面に身をなして
見る人もなき秋の夜の月
という古歌にちなんで、
遠州公が銘をつけたとされています。
これほどの茶入を今まで見る人もなかった
という心からの銘とのこと。
この「廣澤」には蓋裏を銀紙で貼ると伝承されて
います。月の銘を持つ茶入に相応しい趣向です。
遠州公自身が茶会で使用した記録は見つからず、
内箱に金粉字形で「廣澤」と書き付けています。
遠州公所持の後、松平備前守、土屋相模守、
朽木近江守昌綱が所有。
松平不昧公が羨望したものの手に入れることが出来ず
天保の頃、姫路酒井家が所蔵。
現在は北村美術館に収蔵されています。
9月12日 遠州公と中興名物
ご機嫌よろしゅうございます。
茶入などの名物道具には
大名物、中興名物、名物という格付けがありますが、
その中で、遠州公といえば中興名物。
しかしこの中興名物という表現は遠州公の時代に確立していたわけではありません。
中興名物という表現で名物の一つとして格付けたのは
江戸時代後期の大名茶人である松平不昧公です。
つまり遠州公が亡くなってずっと後のこと。
不昧公は遠州公に深く傾倒し、その遠州公が、
名物道具として仕服牙蓋をはじめとする付属品を調べ、歌銘を付け
箱書きをした道具を中心に中興名物として自身の蔵帳に分類をされました。
徳川という平和な時代の到来とともに、
茶の湯を新しく嗜む人が増え、必然的に
茶道具も必要となりますが、しかるべき道具は既に
大名などの手に渡ってしまっているか、戦乱の中で焼失してしまっていました。
そんな中、当時茶の湯の第一人者としての地位を
築いていた遠州公は新たな名物茶道具の選定や指導を受けた
新しい茶道具を生みだしていくのでした。
遠州公の好みによって生み出された「綺麗さび」
の茶道具たち。
これらが後に中興名物と呼ばれるようになるわけです。
9月11日 厄日と台風
ご機嫌よろしゅうございます。
夏のうだるような暑さからまだ抜け切らない頃
ですが、今度は台風の到来です。
「二百十日」は、「彼岸」「土用」などと同じく
「雑節」の一つです。
「立春」から210日目(9月1日ごろ)をいいます。
この頃は稲の開花期にあたり、台風がよく来るので
農作にとっては厄日とされています。
そして今日は二百二十日(にひゃくはつか)
立春から数えて220日目
八朔(旧暦8月1日)、二百二十日とともに
台風の来襲しやすい時期として三代厄日として
昔から数えられてきました。
この頃に吹く風を「野分」と呼んでいます。
江戸時代季語としても盛んに詠まれました。
厳しさ、荒々しさをはらんだ秋の風です。
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 松尾芭蕉
9月 10日 菊(きく)
ご機嫌よろしゅうございます。
道に咲く花に目をやると、薄や撫子、女郎花など
草花もやはり秋の風情を季節を感じられるものが
咲きだすようになりました。
菊も重陽の節句に用いられるように
秋には欠かせない花ですが、
この菊、夏には夏菊、冬には冬菊、春には春菊(はるぎく)
と一年を通じて用いられる、日本人に
昔から愛されてきた花です。
茶人達も古くから菊を愛用し、戦国時代には
津田宗達、宗及、今井宗久、千利休などの
茶会記に、名器に生けられた菊が頻繁に登場します。
江戸時代に入ると花の種類も沢山増え、
用いる回数もだいぶ減ってきますが、
それでもやはり、日本人にとっての菊は
今日まで特別な存在であることは間違いありません。
9月9日 重陽の節句
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は9月9日 重陽の節句です。
現在ではあまり馴染みが薄いかもしれませんが
端午、七夕などと同じ五節句のうちの一つです。
古来中国では陰陽の考えから奇数を陽とし
その奇数が重なる日を節句としてお祝いしていました。
そして奇数のうちで最も大きい奇数である9が重なる
9月9日は大変おめでたいとされ、
菊を浮かべた酒を飲んだり
被綿(きせわた)といって、真綿で菊を包み、菊の露や香りの移った
その綿で肌をぬらすなどして長寿を祝いました。
「枕草子」にも
菊の露もこちたく
覆いたる綿などもいたれ濡れ、
うつしの香ももてはやされて…
と着せ綿の様子が記されています。
宗家の稽古場でも、この日には
ご先代が大和絵をもとに再現した着せ綿
をお家元が床の間に飾られます。
9月 8日 七世宗友公命日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は小堀家七世宗友公についてお話しします。
寛保2年(1742)、5世宗香公が53歳の時に
伏見で誕生します。
宗香公の嫡子には不幸が多く、
孫にあたる政寿を養嗣子として願い出ますが
その後に宗友が生まれ、11歳で元服、
嗣子となることが幕府より許されます。
20歳の時、父宗香が他界すると遺領を継ぎ、
後に伏見奉行となります。
歴代の小室藩主は、遠州公以来伏見奉行などの
幕府の重要な役職に就いていたので、主に江戸にいて
小室藩の実際の治世は、陣屋にいた家臣達が担っていました。
その結果、小室藩の財政は徐々に悪化。
領民への借財や増税などでこの難局を乗り切ろうとした小室藩は、
幕府からそのことを咎められ、天明8年(1788)に改易されます。
小室藩は、遠州公以来の土地を没収され、借金の返済のため、
遠州公以来収集してきた数々の美術工芸品を失い、
宗友公は小田原に退身します。
茶法は父宗香より伝承し、
小堀家茶道頭の富岡友喜(とみおかゆうき)と共に、
「喫茶式」「数寄記録」等の伝書を自書、編纂して、
古法の伝達と共に、今日の遠州流茶道のまとめの役を果たし、
その作品等も数多く伝来しています。
享和3年(1803)の9月8日になくなります。
62歳でした。
9月7日 蒼天庵(そうてんあん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は名古屋の「蒼天庵」にて茶会が行われます。
この茶室は宗実お家元が監修された茶室で
中京地区における遠州流茶道研修道場としても位置付けられております。
施主は家元直門の鈴木宗霄氏で、
建造にあたっては、御家元とご一緒に茶室に使用される木材から露地の
石に至るまで吟味されています。
三好市工業地区に位置する内藤商会の
工場最上階に作られたその茶室は、
室内でありながら、 そのスケールを越えて
外へつながる広がりを感じさせ
ビルの上ながら、露地を一望でき、
茶室の庵号も「蒼天庵」と
どこまでも続く空の青さを想起させてくれます。
四畳半台目の小間「蒼天庵」に、
各十畳の二間続きの広間
さらに厨房や、控えの間などが設備され
この度新しく70人程が研修できるホールが完成しました。
さらに映画「父は家元」でも放映されていましたが、
お家元が小間に竹型の照明を考案され、
茶室の雰囲気を壊すことのない、調和のとれた
灯りの中お茶を楽しむことができます。
本日の茶会は、一般の方にもご参加いただけますので
ご興味のある方は、事務局まで
お気軽にお問い合わせください。
9月6日 中秋の名月
ご機嫌よろしゅうございます。
明後日の9月8日は十五夜です。
中国では旧暦7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といい
それぞれの月の満月の夜には月見の宴を開きました。
特に一年のうちで最も明るく美しい月がでるとされる
仲秋8月15日は、「十五夜」と呼び、愛でられており
日本でもこの風習が平安時代に貴族の間に広まります。
中国では満月が最も美しいとされていましたが、
日本ではこれから満ちて行く月、欠けていく月
新月から満月に至るまでのそれぞれの月に名前をつけ
その月の変化も楽しみました。
立って待つから「立待月(たちまちづき)」
座って待つ「居待月(いまちづき)」
寝て待つから「寝待月(ねまちづき)」
…といった具合です。
遠州公の「満つれば欠くる」美意識
それに共通する、不可足の美の精神が
古くから日本人の心の中にあったことが
この月の名前からも感じられるのではないでしょうか。
さて、今年の十五夜は満月になり、とても珍しいとのこと。
十五夜だから毎回満月…ではないのです