お萩とぼた餅

2014-9-25 UP

9月25日 お萩とぼた餅

ご機嫌よろしゅうございます。

お彼岸になると店先に並ぶ
お萩…ぼた餅とも言いますね。

モチ米とうるち米を捏ねた餅に
漉し餡をつけた「牡丹餅」は、
牡丹の咲く春のお彼岸に作られ、

粒餡の「おはぎ」には小豆の粒が萩の小さな
花を連想させるので秋のお彼岸に好んでつくられました。

これは小豆の収穫の時期にも関係があるようです。

秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、
とれたての柔らかい小豆をあんにすることができるため
柔らかい皮ごと入ったつぶあんができます。

春のお彼岸では、冬を越した小豆を使うので
皮は固くなっているため、これを取り除いた
小豆を使い、こしあんとするのだそうです。

秋の社日(しゃじつ)

2014-9-24 UP

9月 24日 秋の社日(しゃじつ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋の「社日」にあたります。

「社日」とは、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)
の日に、大地の守護神をお祭りし収穫に感謝する日
とされています。

神様は春に山からやってきて、田畑の作物を
実らせ、秋の社日に帰っていくといわれているそうです。

この日は、神様の頭を掘ることになるので
土を耕すことは禁忌とされています。

もとは中国から入ってきた習慣のようですが、
日本の土地神様の信仰と融合して全国に広がり、
豊穣を祈願する節日になったといわれています。

作物を育てる方は、多くの手間と愛情を
注ぎ育てていく中、
目に見えない大きな力に助けられていることを
感じ、一年無事に収穫できることへの感謝を捧げます。

その大地の恵みをいただく私たちも、
育ててくださった方や、守ってくれた大地の神へ
感謝の気持ちを忘れずにいただきたいものです。

秋分の日

2014-9-23 UP

9月23日 秋分の日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は秋分の日、祝日です。

法律では
『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』
となっています。

明治時代には秋季皇霊祭といって
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿である
「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」、
一般のお彼岸の先祖供養にあたる行事が
彼岸の中日に宮中で行われていました。
歴代の天皇のご供養を春と秋の2回にまとめて皇霊祭
として行われるようになったといわれています。

一般市民もこれに倣うようになり、
1948年には祝日として法律で制定されました。

今来むと…

2014-9-22 UP

9月22日 今来むと…

今来むと言ひしばかりに長月の
有明(ありあけ)の月を待ち出(い)でつるかな

ご機嫌よろしゅうございます。
秋のお彼岸となり、暑い夏も
ようやく終わりが見えてくる頃でしょうか。
普段は慌ただしい毎日ですが
月を眺めてゆっくり過ごす心のゆとりも
忘れたくないですね。

冒頭の歌は「古今集」所載・素性法師の恋歌です。

「今すぐに参ります」とあなたが言ったから、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っていると
有明の月が出てきてしまいました。

有明の月は夜明けに現れる月
長い秋の夜の明け方、空が白々と

けるまで待っていたのに あの人は現れなかった…と少々さみしげな歌ですが

LINEやメールで瞬時に返信が返ってくる現代では
考えられないおだやかな時の流れと
その間に膨らむ期待と不安が
とても新鮮に、映ります。

如水茶訓

2014-9-21 UP

9月21日 如水茶訓

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。

隠居して如水と名乗った官兵衛ですが、
秀吉の死後となる慶長四年(1599)の正月
茶の湯定書というものを発布しています。

一 茶を挽くときには、いかにも静かに廻し、
油断なく滞らぬように挽くべきこと

一 茶碗以下の茶道具には、
垢がつかないように度々洗っておくこと

一  釜の湯を一柄杓汲み取ったならば、
また水を一柄杓差し加えておくこと
決して使い捨てや飲み捨てにしてはならない

これらは利休流を守った教えであると記しています。

素朴で、華美なところは感じられず、
簡単なことのようでなかなか実践できない
そんな日常の心のあり方を、
如水は定書に記したのでした。

彼岸(ひがん)の入り

2014-9-20 UP

9月 20日 彼岸(ひがん)の入り

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は彼岸の入りです。
今日から中日の秋分の日をはさんで
26日までが秋の彼岸となります。

お彼岸には春と秋があり、
お彼岸については春のお彼岸の日にもふれましたが
仏教では、生死の海を渡り到達する悟りの世界を
「彼岸」といい、その反対側の迷いや煩悩に満ちた世界
(私たちがいる世界)を「此岸(しがん)」
と呼んでいます。

彼岸は西にあり、太陽が真東から昇って真西に沈む
秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると
考えられています。

お彼岸にご先祖供養をするのはこのためです。

暑さ寒さも彼岸まで
近年の異常とも思える記録的な暑さも
ようやく落ち着いてくる頃でしょうか。

桂離宮(かつらのりきゅう)

2014-9-19 UP

9月 19日桂離宮(かつらのりきゅう)

雲は晴れ 霧は消えゆく 四方の岑
中空清く すめる月かな

ご機嫌よろしゅうございます。

上の歌は
桂離宮を手がけたといわれる
八条宮智仁親王の歌です。
この桂離宮は遠州公の好みが色濃く伝わる
建物としても有名で、かつては遠州公作と言われていた時代もあります。

さて、この桂離宮は月と深い関係があります。

仲秋の名月の夜、正面に月が見えるように
作られた「月見台」
これは書院座敷から庭へ突き出るように設置されていて
月を見るための角度や形が計算されています。

また「月波楼」という名の茶室
「浮月」という手水鉢
襖の引手も月型です。

他にも月にちなんだものがたくさんあり
親王の月を愛する心が伝わってきます。

松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)

2014-9-18 UP

9月 18日  松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公と大変交流の深かった
松花堂昭乗についてお話しします。

遠州公の正室の妹が、中沼左京元知の妻となったことで
その左京の実弟であった松花堂との交流が始まります。

松花堂は十七歳で男山石清水八幡に登り、
滝本坊実乗に師事します。

寛永の三筆の一人に数えられ、遠州公、江月和尚との
合作も多く残り、その親交の深さが伺えます。

しかし、松花堂、中沼兄弟はどんなに親しくなった
間柄でも自分達の出自を決して語らなかったと
言われています。

遠州公五歳年少でしたが、遠州公より早く
五十六歳、9月18日に亡くなりました。

その死を悼み、遠州公がこんな歌を詠んでいます。

我をおきて先立つ人とかねてより
しらで契りし事ぞくやしき

秋の七草

2014-9-17 UP

9月 17日 秋の七草

ご機嫌よろしゅうございます。

春には春の七草と言って、七草粥をいただく
ことからも、その七草の種類をご存知の
方は多いことと思います。
同様に秋にも七草と言われるものがあり、
こちらは食べられませんが
山上憶良が万葉集の歌で詠ったことで有名です。

秋の野に
咲きたる花を指折り
かき数ふれば
七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花
女郎花(おみなえし) また藤袴
朝貌(あさがお)の花

尾花はススキ
朝顔は当時まだ日本にありませんので桔梗の
ことをさすようです。

流鏑馬(やぶさめ)

2014-9-16 UP

9月16日 流鏑馬(やぶさめ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬が
行われます。

鎧兜を纏った武士が、走る馬の上から
的を射る流鏑馬は、
平安時代から行われてきた弓馬礼法の一つと
され、鶴岡八幡宮の流鏑馬については

『吾妻鏡』に源頼朝が、放浪中の西行に流鏑馬の
教えを受け復活させたと記されており、
文治3年(1187年)8月15日に
鶴岡八幡宮の放生会が行われた際、
源頼朝が流鏑馬を催行したことから始まる
とされています。

放生会とは8月27日の虫聞きでもふれました通り
仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を、山野や沼地に放って
供養する仏教の儀式です。

幕府が衰退していくまでは盛んに行われ、
流鏑馬の射手となるのは、当時
鎌倉武士の誉れであったそうです。