9月25日 お萩とぼた餅
ご機嫌よろしゅうございます。
お彼岸になると店先に並ぶ
お萩…ぼた餅とも言いますね。
モチ米とうるち米を捏ねた餅に
漉し餡をつけた「牡丹餅」は、
牡丹の咲く春のお彼岸に作られ、
粒餡の「おはぎ」には小豆の粒が萩の小さな
花を連想させるので秋のお彼岸に好んでつくられました。
これは小豆の収穫の時期にも関係があるようです。
秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、
とれたての柔らかい小豆をあんにすることができるため
柔らかい皮ごと入ったつぶあんができます。
春のお彼岸では、冬を越した小豆を使うので
皮は固くなっているため、これを取り除いた
小豆を使い、こしあんとするのだそうです。
9月 24日 秋の社日(しゃじつ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋の「社日」にあたります。
「社日」とは、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)
の日に、大地の守護神をお祭りし収穫に感謝する日
とされています。
神様は春に山からやってきて、田畑の作物を
実らせ、秋の社日に帰っていくといわれているそうです。
この日は、神様の頭を掘ることになるので
土を耕すことは禁忌とされています。
もとは中国から入ってきた習慣のようですが、
日本の土地神様の信仰と融合して全国に広がり、
豊穣を祈願する節日になったといわれています。
作物を育てる方は、多くの手間と愛情を
注ぎ育てていく中、
目に見えない大きな力に助けられていることを
感じ、一年無事に収穫できることへの感謝を捧げます。
その大地の恵みをいただく私たちも、
育ててくださった方や、守ってくれた大地の神へ
感謝の気持ちを忘れずにいただきたいものです。
9月23日 秋分の日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は秋分の日、祝日です。
法律では
『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』
となっています。
明治時代には秋季皇霊祭といって
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿である
「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」、
一般のお彼岸の先祖供養にあたる行事が
彼岸の中日に宮中で行われていました。
歴代の天皇のご供養を春と秋の2回にまとめて皇霊祭
として行われるようになったといわれています。
一般市民もこれに倣うようになり、
1948年には祝日として法律で制定されました。
9月22日 今来むと…
今来むと言ひしばかりに長月の
有明(ありあけ)の月を待ち出(い)でつるかな
ご機嫌よろしゅうございます。
秋のお彼岸となり、暑い夏も
ようやく終わりが見えてくる頃でしょうか。
普段は慌ただしい毎日ですが
月を眺めてゆっくり過ごす心のゆとりも
忘れたくないですね。
冒頭の歌は「古今集」所載・素性法師の恋歌です。
「今すぐに参ります」とあなたが言ったから、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っていると
有明の月が出てきてしまいました。
有明の月は夜明けに現れる月
長い秋の夜の明け方、空が白々と
明
けるまで待っていたのに あの人は現れなかった…と少々さみしげな歌ですが
LINEやメールで瞬時に返信が返ってくる現代では
考えられないおだやかな時の流れと
その間に膨らむ期待と不安が
とても新鮮に、映ります。
9月21日 如水茶訓
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
軍師官兵衛の時代のお話を。
隠居して如水と名乗った官兵衛ですが、
秀吉の死後となる慶長四年(1599)の正月
茶の湯定書というものを発布しています。
一 茶を挽くときには、いかにも静かに廻し、
油断なく滞らぬように挽くべきこと
一 茶碗以下の茶道具には、
垢がつかないように度々洗っておくこと
一 釜の湯を一柄杓汲み取ったならば、
また水を一柄杓差し加えておくこと
決して使い捨てや飲み捨てにしてはならない
これらは利休流を守った教えであると記しています。
素朴で、華美なところは感じられず、
簡単なことのようでなかなか実践できない
そんな日常の心のあり方を、
如水は定書に記したのでした。
9月 20日 彼岸(ひがん)の入り
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は彼岸の入りです。
今日から中日の秋分の日をはさんで
26日までが秋の彼岸となります。
お彼岸には春と秋があり、
お彼岸については春のお彼岸の日にもふれましたが
仏教では、生死の海を渡り到達する悟りの世界を
「彼岸」といい、その反対側の迷いや煩悩に満ちた世界
(私たちがいる世界)を「此岸(しがん)」
と呼んでいます。
彼岸は西にあり、太陽が真東から昇って真西に沈む
秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると
考えられています。
お彼岸にご先祖供養をするのはこのためです。
暑さ寒さも彼岸まで
近年の異常とも思える記録的な暑さも
ようやく落ち着いてくる頃でしょうか。
9月 19日桂離宮(かつらのりきゅう)
雲は晴れ 霧は消えゆく 四方の岑
中空清く すめる月かな
ご機嫌よろしゅうございます。
上の歌は
桂離宮を手がけたといわれる
八条宮智仁親王の歌です。
この桂離宮は遠州公の好みが色濃く伝わる
建物としても有名で、かつては遠州公作と言われていた時代もあります。
さて、この桂離宮は月と深い関係があります。
仲秋の名月の夜、正面に月が見えるように
作られた「月見台」
これは書院座敷から庭へ突き出るように設置されていて
月を見るための角度や形が計算されています。
また「月波楼」という名の茶室
「浮月」という手水鉢
襖の引手も月型です。
他にも月にちなんだものがたくさんあり
親王の月を愛する心が伝わってきます。
9月 18日 松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公と大変交流の深かった
松花堂昭乗についてお話しします。
遠州公の正室の妹が、中沼左京元知の妻となったことで
その左京の実弟であった松花堂との交流が始まります。
松花堂は十七歳で男山石清水八幡に登り、
滝本坊実乗に師事します。
寛永の三筆の一人に数えられ、遠州公、江月和尚との
合作も多く残り、その親交の深さが伺えます。
しかし、松花堂、中沼兄弟はどんなに親しくなった
間柄でも自分達の出自を決して語らなかったと
言われています。
遠州公五歳年少でしたが、遠州公より早く
五十六歳、9月18日に亡くなりました。
その死を悼み、遠州公がこんな歌を詠んでいます。
我をおきて先立つ人とかねてより
しらで契りし事ぞくやしき
9月 17日 秋の七草
ご機嫌よろしゅうございます。
春には春の七草と言って、七草粥をいただく
ことからも、その七草の種類をご存知の
方は多いことと思います。
同様に秋にも七草と言われるものがあり、
こちらは食べられませんが
山上憶良が万葉集の歌で詠ったことで有名です。
秋の野に
咲きたる花を指折り
かき数ふれば
七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花
女郎花(おみなえし) また藤袴
朝貌(あさがお)の花
尾花はススキ
朝顔は当時まだ日本にありませんので桔梗の
ことをさすようです。
9月16日 流鏑馬(やぶさめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬が
行われます。
鎧兜を纏った武士が、走る馬の上から
的を射る流鏑馬は、
平安時代から行われてきた弓馬礼法の一つと
され、鶴岡八幡宮の流鏑馬については
『吾妻鏡』に源頼朝が、放浪中の西行に流鏑馬の
教えを受け復活させたと記されており、
文治3年(1187年)8月15日に
鶴岡八幡宮の放生会が行われた際、
源頼朝が流鏑馬を催行したことから始まる
とされています。
放生会とは8月27日の虫聞きでもふれました通り
仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を、山野や沼地に放って
供養する仏教の儀式です。
幕府が衰退していくまでは盛んに行われ、
流鏑馬の射手となるのは、当時
鎌倉武士の誉れであったそうです。