10月 17日 若き遠州公の話
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公が茶の湯を始めたころの
お話を。
十五歳で大徳寺春屋宗園禅師に参行し、
修行を積みながら
古田織部のもとで茶の湯を本格的に学んで行きます。
遠州公が十八歳の時に
「洞水門(どうすいもん)」を考案しました。
これは現在水琴窟と呼ばれています。
茶室に入る前には手と口を
蹲(つくばい)で清めます。
当時の蹲は水はけが悪く、
何度か使用すると、周りに水が溜まってしまい
大変使いにくいものでした。
これを若干十八歳の遠州公が
この蹲の地下に瓶を仕込み、
水滴が瓶の中に落ちる時に、ポーンという
美しい反響音がする仕組みを考案し
水はけの問題も解消しました。
遠州公の茶の湯の師であった
古田織部も遠州公の才に大変驚いたと
言われています。
10月 16日 四世 宗瑞公
今日は小堀家四世の宗瑞公ご命日です。
貞享二年(1685)に小堀家の領主である
近江国小室で生まれました。
元禄七年(1694)正月二日、父である三世
宗実公の他界により、10歳の若さで跡目を継ぎ、
遺領を継ぐこととなります。
その後の
元禄十三年(1700)16歳となって元服し、
翌年結婚。江戸城御詰衆をつとめます。
宝永元年(1704)には将軍の御小姓として居候し
将軍の御前で「論語」の講釈をするなど、元服以前
より大変利発でした。
宝永六年、25歳で従五位下遠江守・諸大夫
に任じられます。
茶法は、父・三世宗実公が亡くなってからは
小堀家茶頭の桜山一有や大叔父小堀土佐守政武
から学びます。
正徳三年(1713)十月十六日
29歳の若さで江戸で亡くなります。
小堀家歴代の中で最も若くお亡くなりになった方です。
10月 15日 神嘗祭(かんなめさい)
ご機嫌よろしゅうございます。
皇室の祖先神である天照大神を祀っている
三重県の伊勢神宮では、今日から17日まで
「神嘗祭」が行われます。
これは「神宮神田」と呼ばれる場所で作られた新米と
新酒を献上し、今年最初の収穫を真っ先に
召し上がっていただくという神事です。
お米は私たち日本人にとって命の源であり、
そのお米が豊作になることを神様にお祈りします。
この「神嘗祭」が神宮の一年で最も重要な祭祀に当たり
この祭りの際には神宮で使用する祭具や装束など
新しいものに一新されるため、
「神宮の正月」とも呼ばれています。
10月 13日 顕彰会講演会
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は飯田橋のしごとセンターにて
「遠州の憧れた定家の世界」
をテーマに講演会が行われます。
遠州公と定家については、既にこの
メールマガジンで何度か触れてまいりましたが
定家様の第一人者であった遠州公と定家との
関係を、國學院大学 文学部教授の
豊島 秀範 氏 が、詳しくお話ししてくださいます。
月刊「遠州」にて「狭衣物語」を連載されていた
先生で、ご専門は中古、中世文学で特に和歌や日記
を研究されてます。
明日はその講演会の模様をお伝えする予定です。
講演会参加ご希望の方は、
顕彰会までご連絡ください。
10月 12日 博多文琳(はかたぶんりん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
官兵衛の時代のお話を。
黒田家にとって重要な茶入に
「博多文琳」があります。
もともと博多の豪商・神屋家に伝わる重宝で、
何度も求め続けられた秀吉にも、
黒田如水(官兵衛)、長政にも
ついに召し上げられませんでした。
しかし時代が移り、神屋宗堪の代になった寛永二年
(1624)2代藩主だった黒田忠之に献上。
金二千両と五百石の土地を下賜されました。
(これを固辞したという説もあります。)
この「博多文琳」はその後黒田家当主の代替わりのとき
しか見られないもので、勝手に見せると黒田家に
災いが起こるとされていました。
近代の数寄者であった高橋箒庵が「大正名器鑑」
を編集したときも拝見を許されなかったそうです。
10月11日遠州公の愛した茶入
「吹上文琳(ふきあげぶんりん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「吹上文琳」を
ご紹介します。
遠州公がこの茶入の美しい景色にちなんで
秋風の吹上に立てる白菊は
花かあらぬか波のよするか 古今集
の和歌から命銘したとされています。
蓋箱書付や、仕覆箱書付、外箱はともに
松平不昧公が書付しています。
これは遠州公所持の後、姫路酒井宗雅公に伝わり、
寛政元年(1789)四月二十八日、参勤交代の途中に
駿河蒲原という場所で休んでいたおり、
不昧公と出会い、この茶入を贈与したいきさつが
あります。「雲州蔵帳」にも所載されており、
現在は五島美術館に収蔵されています。
10月 9日 「占地」 これなんと読む?
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「占地」のお話を。
この漢字なんと読むかすぐにお分かりになったでしょうか?
正解は「しめじ」
普段店先ではひらがなで表記されていることが
多いようですね。
「香り松茸 味占地」
と言われますように、広く人々に親しまれてきた
秋の旬の食材の一つですが、
スーパーで手に入るのは人工栽培された「ぶな占地」
で、ほぼ一年中手に入ります。
天然ものの占地は、地元に出回るわずかなもの
に限られ、なかなか口にできません。
食物繊維が体内から有毒物質を排出し
免疫力を高めてくれる頼もしい食材です。
10月8日 寒露(かんろ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の寒露に当たります。
寒露は秋分から数えて15日目頃のことをいい
晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと
を指します。
秋の長雨が終わり、大気の状態も安定し、
秋晴れの日が多くなります。
本格的な秋の始まりです。
初夏に感じた清々しさとはまた違った
美しく過ごしやすい季節。
いよいよ草木は色づき始め、夏鳥が別れを告げ
雁などの冬鳥がやってきます。
10月7日 亥の子餅(いのこもち)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は亥の子餅のお話を。
西日本では刈り入れの終わった収穫祭として
亥の子祭りが行われます。
特に農家では10月の亥の日、
亥の刻(午後9時から11時)
新しく刈った穀物で猪型の餅やぼた餅を作り
田の神様に供え、それを家族で食べるという習わしがありました。
また東日本でも10月10日に「10日夜」と呼ばれる
同じような行事が行われます。
こちらの行事は田の神の帰る人される10日に
案山子(かかし)を持ち帰り、その傘を焼き
焼き餅を作って供えるそうです。
案山子は神様がこの世に現れた姿なのだとか。
お菓子屋さんでもこの頃に亥の子餅を
店先に並べますが、
こちらは新暦の10月より、旧暦の10月に
合わせて売り出すことが多いようです。
10月 6日 十三夜(じゅうさんや)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は十三夜。
今宵も月を眺めるよい日です。
皆さん先月の十五夜はご覧になりましたか?
もしご覧になった方は今宵も是非
お月見を。
というのも
昔から十五夜に月見をしたら、必ず同じ場所で
十三夜にも月見をするものともされ、
どちらかだけ見るのは
「片月見」といって忌まれていたからです。
旧暦の毎月13日の夜を「十三夜」といっていましたが、
9月13日の夜は、「十五夜」についで美しい月とされ、
宮中では、古くから宴を催すなど月を鑑賞する風習があった
そうです。
そもそも中国から「十五夜」の風習が入ってくるよりも
前に、「十三夜」の風習は民間に広く普及していたのだとか。