12月 17日 歌銘(うためい)
ご機嫌よろしゅうございます。
遠州公が中興名物茶入の選定に際し、
「歌銘」を多くつけたことは、
これまでに何度かお話してまいりました。
その出典は勅撰集を中心に、古典的な
和歌から言葉を選び、つけられています。
雅で洗練された「綺麗さび」を象徴するもの
の一つです。
しかしこの「歌銘」
遠州公が初めて使ったわけではありません。
今のところ一番古い「歌銘」は、
4月28日にご紹介した、義政公の「遅桜」
夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな
といわれています。
しかし、それ以後は遠州公ほどに「歌銘」
を多用した茶人は他にいません。
また、和歌の選び方にも、遠州公は
これまでにない感覚を茶の湯に吹き込んでいます。
12月 16日 五世 宗香
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州流五世正峯宗香公のご命日にあたります。
元禄三年(1690)三世宗実公の三男として生まれます。
五歳の時に父が他界
九歳で将軍綱吉の御小姓となり、
翌年の崩御まで仕えます。
二十四歳の時には、兄の四世宗瑞公が他界したため
その遺領を継ぐことになります。
小堀家を継いでからは
家継・吉宗・家重の三代に勤仕
若年寄として、幕府で活躍し、
遠州公以来の小堀家の家名を大いに高めます。
12月 16日 七十一歳で亡くなります。
12月 15日 歳の市(としのいち)
ご機嫌よろしゅうございます。
いよいよ今年も数えるほどとなりますと
「歳の市」が開かれる頃です。
正月用品や縁起物の他、陶器や乾物、古着など
様々なものが店先に並びます。
昔は今のように便利ではなく、日々物品の
売り買いがされていたわけではありませんでした。
そんな中庶民はこの歳の市で、次の年の
暮らしに必要なものを買い揃えていた地域が
多いのだそうです。
江戸時代から有名な場所としては
浅草の浅草寺、埼玉県の氷川神社、
川崎の平間寺や鎌倉のハ幡宮
などがありました。
最近ではアメヤ横丁などの、年末叩き売りの
風景がテレビで中継され、大勢のお客さんで
賑わっている様子が恒例となっていますが
これも「歳の市」のひとつです。
12月 14日 討ち入り
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は赤穂浪士討ち入りの日。
ご存知の方も多いかと思いますが、
この討ち入りの日には茶の湯も深い関係があります。
町人になりすまし、吉良家出入りの茶人
山田宗偏に入門した赤穂浪士の大高源吾が、
師から吉良邸での茶会の日にちを聞き出し、
吉良上野介の討ち入りが決行されたといわれています。
山田宗偏は、千利休の孫、千宗旦の弟子で
宗旦四天王に数えられる茶人でした。
この討ち入りの陣に、水屋に置かれていた桂籠を上野介の首代わり
として白布にくるみ槍に刺して四十七人が行進したという
エピソードがあります。
因みにその逸話を証明するかの如く、御影にある
香雪美術館所蔵の桂籠には槍をさした様な穴が開いています。
(※正しくは宗偏のにんべんはぎょうにんべん)
12月13日 心の駒(こま)
ご機嫌よろしゅうございます。
今年も残すところあと数日となりました。
茶の湯では年の初めに用いた干支のお道具を
この年末に再び使って、
一年を振り返りつつお茶をいただきます。
宗家の稽古場では、家元が今年好まれた
「手綱・七宝文」の茶碗が再び使われていました。
遠州公自詠の和歌に
よしやただ 心の駒は あれぬとも
ついにのりしる 道を尋ねむ
という歌があります。
駒というのは馬のことで
どんな荒馬であっても、その御し方次第で
最後にはその荒馬も乗りこなすことができる
ということから、
激しい変化に翻弄される日々の中にあっても
己の心を正しく持ち、荒馬のごとく
乗りこなすことができれば、仏の世界を知り
立派な人間となることができる
ということを表した歌です。
遠州公の時代から400年以上経った今
世の中は便利なものに溢れ、豊かになりました。
しかし、私たちの心はどうでしょう?
どのような状況にあろうとも、
己の荒馬を乗りこなし、
自在に操れるようにありたいものです。
12月 12日 金森宗和(かなもりそうわ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公と同時期に活躍した茶人
金森宗和についてご紹介します。
天正十二年(1584)、秀吉のもとで
飛騨の国を預かる可重(ありしげ)を父に、
嫡男として生まれます。
しかし、慶長十九年(1614)の大阪冬の陣で
の徳川方を批判したことで父・可重に廃嫡され、
母とともに京都へ移り住みます。
その後、遠州公や、松花堂昭乗などと交流を
深める中で、茶の湯についても大きな影響を
受けていきます。
京都や大阪周辺の町人は「宗和流」
と称して、宗和の茶を好み学ぼうとしたようです。
織理屈
綺麗きっぱは遠江
お姫宗和に
武蔵宗旦
という言葉があるように、公家との交流も深める中で
姫好み、公家好みの印象が強い宗和ですが、これは
後代に生まれた印象のようです。
明暦二年(1656)73歳でなくなります。
12月11日 沢庵和尚
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はたくあん漬けで知られる
沢庵 宗彭(たくあん そうほう)和尚を
ご紹介します。
天正元年(1573)12月1日に生まれ、
但馬国出石(いずし)にうまれます。
現在の兵庫県豊岡市あたりです。
徳川幕府の朝廷への圧力が増す中
起きた紫衣事件で出羽国に流罪となり、
その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開きました。
書画・詩文に通じ、茶の湯にも親しみ
徳川家光をはじめ、多くの大名や貴族
からの帰依を受けます。
遠州公も、師である春屋宗園との縁から
沢庵和尚とも深い交流を持ち、
茶禅一味の追求をしていきます。
正保2年(1646)2月11日
に亡くなられます。
12月 10日 看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は師走に入るとよく掛けられる
禅語をご紹介します。
看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
臘月(ろうげつ)は、十二月の別名です。
看々(みよみよ)とは、良く見なさいという
ような意味。
月日の流れはあっという間
もう十二月も終わってしまいますよ。
よくよく一日一日を大切にしなさい。
また「臘月」は、一年の終わりの12月を指すと
同時に、私たちの人生や命という意味も暗示しています。
十二月があっという間に終わるのと同じように、
人生もあっという間に終わってしまいますよ、
ぼんやり生きず、自分の命をしっかり見つめ直しなさい。
「また今度やればいいや」
普段、ついつい面倒なことを後回しにしがちですが
己の人生と向き合い、
看々臘月尽の心を忘れずに過ごしたいものです。
12月 9日 事始め(ことはじめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は、昨日少し触れました「事始め」について
ご紹介します。
師走に入って、一年を振り返り、そして
新年を迎える支度を始める時期
煤払いや、松飾り、餅つきなどの正月準備が
いよいよはじまります。
これを「事始め」の日といい、
関東ではコトノカミの祭祀を行う八日
に始まるといわれ、
江戸時代には陰陽道の影響から、
陽数(縁起の良い数)である十三から、
十二月十三日が江戸城の「御煤納め」と定められ、
この日が「正月事始め」とされるようになりました。
関西でも十三日が「婚礼日以外全て吉」
といわれる「鬼宿日」であることから、
十三日が事始めという地域も多いようです。
12月 8日 臘八(ろうはち)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は12月8日。
お釈迦様が悟りを開いて仏となった日で
臘月(12月の異名)の8日であることから
臘八とよばれます。
35歳のお釈迦様が、12月1日から7日にかけて、
菩提樹の下で瞑想し、明けの明星を
見て悟りを開いたのだそうです。
成道会(どうじょうえ)、臘八会(ろうはちえ)
とよばれる法要が多くの寺院で行われ、
乳粥がふるまわれたりします。
また関東では、
新年への準備をはじめる「事始め」の日
でもあります。
これについてはまた明日ご紹介します。