12月 27日 鐘聲(かねのこえ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入ではなく
先々代から当代のお家元まで、
大晦日の除夜釜で使用している
「鐘聲(かねのこえ)」という銘の茶入を
ご紹介します。
大正12年震災により、稽古中水屋に置いてあった
一つの茶入が割れてしまいました。
当時は稽古道具というものはなく、お弟子さんが
お稽古をする際にも小堀家に伝わる、歴史ある
道具が使われていました。
その茶入も利休が好んだとされる利休瀬戸。
それが見事に割れてしまったのです。
先々代の宗明宗匠は、その茶入の破片を丁寧に
つなぎ合わせ、歌銘を添えました。
百八の煩悩くだく鐘の音に
鬼もすみかにたちかへるらむ
壊れたことで、逆に道具に新しい命が吹き込まれ
以後、除夜の鐘が打たれる年の瀬に、
この茶入が用いられるようになりました
12月26日 御用納め(ごようおさめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今年最後のお仕事に向かわれている方も
多いのではないかと思います。
この日を「仕事納め」とか「御用納め」
などといい、官公庁では、
行政機関に関する法律により、
二十九日から一月三日を休日としていて
民間の企業もこれに準じでお休みとしている
ところが多いようです。
今年のように二十八日が日曜だと
二十六日の今日が御用納め。
今年一年
お仕事お疲れ様でした。
まだまだお仕事が続く方、
あともう少し頑張りましょう。
12月25日 今日は何の日?
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は12月25日。
イエスキリストの誕生を祝う降誕祭は、
もはやすっかり日本に根付いた
一大イベントになりました。
しかし今日はもう一つ、
「終い天神(しまいてんじん)」
という日でもあります。
学問の神様である菅原道真公は、
誕生が6月25日、逝去が2月25日で、
毎月25日はご縁日とされています。
京都の北野天満宮では、この今年最後の25日
終い天神が、一年を締めくくる恒例神事として
全国から参詣者が訪れます。
正月も近いこの日には荒巻鮭や注連(しめ)飾り
の露店も多く出て賑わうようです。
12月 24
ご機嫌よろしゅうございます。
いよいよ今年も残すところあと一週間と なりました。
大晦日の年越しに欠かせないものといえば、 年越し蕎麦。
この風習は江戸時代から定着したといわれています。
蕎麦のように、“細く長く”ということから
「健康長寿」「家運長命」などの縁起をかついで
また他の麺類よりも切れやすいことから
「今年一年の災厄を断ち切る」ということから
食べられるようになったという説もあります。
また年末の茶の湯の菓子としては、蕎麦饅頭が出されたり、
宗家の除夜釜では、蕎麦粉を練って茹でたものに
温かい餡をのせて頂く「蕎麦がき」が振舞われます。
お客様の到着にあわせて茹で上げられる
この蕎麦がき。蕎麦と餡の優しい甘みは絶妙です。
この蕎麦がきをいただきながら
一年を振り返り、年の瀬を迎える喜びが
じわじわと湧いてきます。
12月 23日 天皇誕生日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は12月23日
祝日です。
奈良時代から戦前は天皇を神とし、「天長節」
という名称で、誕生日をお祝いしました。
戦後、天皇は「日本国民統合の象徴」
という新しい意味を持つようになり
国民と天皇との距離を縮めることを目的とした日として
「天皇誕生日」が設けられました。
さて、今年の祝日も今日で終わり。
来年は元日が新年最初の祝日になります。
2007年から15の祝日が日本に定まり、
これは先進国では最多なのだとか。
働き者の日本のイメージとしては
ちょっと意外な気もします。
2016年には8月11日が山の日として
更に祝日が増えることが決まっています。
12月22日 今日は19年に一度の特別な日です
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は冬至(とうじ)。
そして旧暦の11月1日。
この11月1日が冬至にあたることを
朔旦冬至(さくたんとうじ)と言って、
19年ごとに1度巡ってくる大変おめでたい日として
宮中などでは祝宴が行われていました。
旧暦は月の満ち欠けにより作られていて
月の始まりが新月に当たります。
一方、冬至は一年で最も日が短い日。
この日を境に日の長さは徐々に長くなっていきます。
「朔」は新月、「旦」は朝や夜明け、
つまり太陽が昇ってくるときという意味なので
このような太陽が復活するおめでたい日と
月が復活するおめでたい日が重なるのが
「朔旦冬至」というわけです。
次回の朔旦冬至は2033年です。
12月 20日 六世 宗延
ご機嫌よろしゅうございます。
今日12月20日は小堀家六世の
宗延公のご命日にあたります。
16日にお話した五世宗香公の嫡子に不幸が続き、
遠州公の弟・仁右衛門政春から続く
四代目仁右衛門惟貞の子であった宗延公は
九歳で、宗香公の養子となります。
宗延公の母は、宗香公の娘ですので、実際には
祖父と孫という関係です。
しかし、養子となった後に、宗香公に実子が誕生し
その子が無事成長したため、十九歳で退身して家督を
譲り、養父宗香公の領地・小室に移ります。
小堀家が改易されると、京都代官を勤める兄の
邦直のもとに移りますが、その兄も翌年他界。
不遇の生涯のうちに七十一歳で亡くなります。
作品等も伝来するものは少なく、極めて稀です。
12月 19日 千宗旦(せんのそうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は利休の孫にあたる千宗旦について
ご紹介します。
遠州公の一歳年上、12日にご紹介した
宗和と共に、この時代を代表する茶人です。
父は千少庵、母は利休の娘亀と言われ、
天正六年(1578)に生まれます。
天正十九年祖父である利休の切腹、
父少庵は秀吉の許しがでるまで
蒲生氏郷に預けられます。
子供の頃の宗旦は大徳寺に預けられ、後に
遠州公も参禅する春屋宗園のもとで修行します。
遠州の「綺麗さび」、「姫宗和」の金森宗和
そして「むさし宗旦」と表現された宗旦の茶は
清貧・高潔を旨とした徹底した侘び茶でした。
祖父・父の生き様を目の当たりにしてきた宗旦は
決して士官することはありませんでした。
しかし、自分の子供達の行く末を案じ、
仙叟宗室の士官先を加賀百万石前田家とすべく
遠州公の弟・左馬之介に斡旋してもらったことが
わかる文章が今でも残っています。
12月 18日 遠州公の選ぶ和歌
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯の盛んになった時代から、
床の間の一番の掛物といえば、墨跡。
そして唐物などであったことは既にお話ししました。
また、武野紹鴎が「天の原」の和歌の歌意をもって
墨跡に準ずるとして、床の間にかけたことも
何度かふれました。
そのような流れの中で、
茶の湯では暗黙のうちに、和歌の中でも
恋歌は、茶の精神にそぐわないということから
用いられませんでした。
しかし、遠州公はこのタブーを破り、
恋歌を多くの茶道具に用いています。
これは、道具への恋にも似た密かな想いを
歌銘に託しているともとれます。
本来「和歌」は、男女の交流の貴重な手段でした。
遠州公は、その和歌の本質を生かし、
日本らしい奥ゆかしさ・日本の美しさを
茶の湯に取り込んでいこうとしたのではないでしょうか。