鐘聲(かねのこえ)

2014-12-27 UP


12月 27日 鐘聲(かねのこえ)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州蔵帳所載の茶入ではなく
先々代から当代のお家元まで、
大晦日の除夜釜で使用している
「鐘聲(かねのこえ)」という銘の茶入を
ご紹介します。

大正12年震災により、稽古中水屋に置いてあった
一つの茶入が割れてしまいました。
当時は稽古道具というものはなく、お弟子さんが
お稽古をする際にも小堀家に伝わる、歴史ある
道具が使われていました。

その茶入も利休が好んだとされる利休瀬戸。
それが見事に割れてしまったのです。

先々代の宗明宗匠は、その茶入の破片を丁寧に
つなぎ合わせ、歌銘を添えました。

百八の煩悩くだく鐘の音に
鬼もすみかにたちかへるらむ

壊れたことで、逆に道具に新しい命が吹き込まれ
以後、除夜の鐘が打たれる年の瀬に、
この茶入が用いられるようになりました

御用納め(ごようおさめ)

2014-12-26 UP

12月26日 御用納め(ごようおさめ)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は今年最後のお仕事に向かわれている方も
多いのではないかと思います。

この日を「仕事納め」とか「御用納め」
などといい、官公庁では、
行政機関に関する法律により、
二十九日から一月三日を休日としていて
民間の企業もこれに準じでお休みとしている
ところが多いようです。

今年のように二十八日が日曜だと
二十六日の今日が御用納め。

今年一年
お仕事お疲れ様でした。

まだまだお仕事が続く方、
あともう少し頑張りましょう。

今日は何の日?

2014-12-25 UP

12月25日 今日は何の日?

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は12月25日。
イエスキリストの誕生を祝う降誕祭は、
もはやすっかり日本に根付いた
一大イベントになりました。

しかし今日はもう一つ、
「終い天神(しまいてんじん)」
という日でもあります。

学問の神様である菅原道真公は、
誕生が6月25日、逝去が2月25日で、
毎月25日はご縁日とされています。

京都の北野天満宮では、この今年最後の25日
終い天神が、一年を締めくくる恒例神事として
全国から参詣者が訪れます。

正月も近いこの日には荒巻鮭や注連(しめ)飾り
の露店も多く出て賑わうようです。

蕎麦(そば)

2014-12-24 UP

12月 24

ご機嫌よろしゅうございます。

いよいよ今年も残すところあと一週間と なりました。
大晦日の年越しに欠かせないものといえば、 年越し蕎麦。

この風習は江戸時代から定着したといわれています。
蕎麦のように、“細く長く”ということから
「健康長寿」「家運長命」などの縁起をかついで
また他の麺類よりも切れやすいことから
「今年一年の災厄を断ち切る」ということから
食べられるようになったという説もあります。

また年末の茶の湯の菓子としては、蕎麦饅頭が出されたり、
宗家の除夜釜では、蕎麦粉を練って茹でたものに
温かい餡をのせて頂く「蕎麦がき」が振舞われます。

お客様の到着にあわせて茹で上げられる
この蕎麦がき。蕎麦と餡の優しい甘みは絶妙です。
この蕎麦がきをいただきながら
一年を振り返り、年の瀬を迎える喜びが
じわじわと湧いてきます。
そばがき

天皇誕生日

2014-12-23 UP

12月 23日 天皇誕生日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は12月23日
祝日です。

奈良時代から戦前は天皇を神とし、「天長節」
という名称で、誕生日をお祝いしました。
戦後、天皇は「日本国民統合の象徴」
という新しい意味を持つようになり
国民と天皇との距離を縮めることを目的とした日として
「天皇誕生日」が設けられました。

さて、今年の祝日も今日で終わり。
来年は元日が新年最初の祝日になります。

2007年から15の祝日が日本に定まり、
これは先進国では最多なのだとか。
働き者の日本のイメージとしては
ちょっと意外な気もします。

2016年には8月11日が山の日として
更に祝日が増えることが決まっています。

今日は19年に一度の特別な日です

2014-12-22 UP

12月22日  今日は19年に一度の特別な日です

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は冬至(とうじ)。
そして旧暦の11月1日。
この11月1日が冬至にあたることを
朔旦冬至(さくたんとうじ)と言って、
19年ごとに1度巡ってくる大変おめでたい日として
宮中などでは祝宴が行われていました。

旧暦は月の満ち欠けにより作られていて
月の始まりが新月に当たります。

一方、冬至は一年で最も日が短い日。
この日を境に日の長さは徐々に長くなっていきます。

「朔」は新月、「旦」は朝や夜明け、
つまり太陽が昇ってくるときという意味なので

このような太陽が復活するおめでたい日と
月が復活するおめでたい日が重なるのが
「朔旦冬至」というわけです。

次回の朔旦冬至は2033年です。

黒田藩の茶の湯

2014-12-21 UP

12月 21日 黒田藩の茶の湯
 
ご機嫌よろしゅうございます。
 
2014年の大河ドラマ軍師官兵衛も
 遂に本日完結となります。
 
このメールマガジンでも、日曜日に一年を通じて
 官兵衛の時代にまつわる茶の湯のお話を
 ご紹介してまいりました。
 今日はその最終回ということで、
 その後の黒田藩の茶の湯についてお話ししたいと
 思います。
 
官兵衛や、その子長政、孫忠之と続き、茶の湯に
 深く親しんだ黒田家ですが、
 三代藩主となる光之の重臣であった
 立花実山(たちばなじつざん)が後の黒田藩の茶の湯に
 大変な影響を与えていきます。
 以前にもご紹介しました「南坊録」と呼ばれる
 利休の茶の湯の精神や心得を表した「茶道の聖典」
 を編纂しました。
 現在「南坊流」として、福岡の地にその流れを汲む
 流儀が残っています。

六世 宗延

2014-12-20 UP


12月 20日 六世 宗延

ご機嫌よろしゅうございます。

今日12月20日は小堀家六世の
宗延公のご命日にあたります。

16日にお話した五世宗香公の嫡子に不幸が続き、
遠州公の弟・仁右衛門政春から続く
四代目仁右衛門惟貞の子であった宗延公は
九歳で、宗香公の養子となります。

宗延公の母は、宗香公の娘ですので、実際には
祖父と孫という関係です。

しかし、養子となった後に、宗香公に実子が誕生し
その子が無事成長したため、十九歳で退身して家督を
譲り、養父宗香公の領地・小室に移ります。

小堀家が改易されると、京都代官を勤める兄の
邦直のもとに移りますが、その兄も翌年他界。
不遇の生涯のうちに七十一歳で亡くなります。

作品等も伝来するものは少なく、極めて稀です。

千宗旦(せんのそうたん)

2014-12-19 UP

12月 19日 千宗旦(せんのそうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は利休の孫にあたる千宗旦について
ご紹介します。
遠州公の一歳年上、12日にご紹介した
宗和と共に、この時代を代表する茶人です。

父は千少庵、母は利休の娘亀と言われ、
天正六年(1578)に生まれます。

天正十九年祖父である利休の切腹、
父少庵は秀吉の許しがでるまで
蒲生氏郷に預けられます。
子供の頃の宗旦は大徳寺に預けられ、後に
遠州公も参禅する春屋宗園のもとで修行します。

遠州の「綺麗さび」、「姫宗和」の金森宗和
そして「むさし宗旦」と表現された宗旦の茶は
清貧・高潔を旨とした徹底した侘び茶でした。

祖父・父の生き様を目の当たりにしてきた宗旦は
決して士官することはありませんでした。
しかし、自分の子供達の行く末を案じ、
仙叟宗室の士官先を加賀百万石前田家とすべく
遠州公の弟・左馬之介に斡旋してもらったことが
わかる文章が今でも残っています。

遠州公の選ぶ和歌

2014-12-18 UP

12月 18日 遠州公の選ぶ和歌

ご機嫌よろしゅうございます。

茶の湯の盛んになった時代から、
床の間の一番の掛物といえば、墨跡。
そして唐物などであったことは既にお話ししました。

また、武野紹鴎が「天の原」の和歌の歌意をもって
墨跡に準ずるとして、床の間にかけたことも
何度かふれました。

そのような流れの中で、
茶の湯では暗黙のうちに、和歌の中でも
恋歌は、茶の精神にそぐわないということから
用いられませんでした。

しかし、遠州公はこのタブーを破り、
恋歌を多くの茶道具に用いています。
これは、道具への恋にも似た密かな想いを
歌銘に託しているともとれます。

本来「和歌」は、男女の交流の貴重な手段でした。
遠州公は、その和歌の本質を生かし、
日本らしい奥ゆかしさ・日本の美しさを
茶の湯に取り込んでいこうとしたのではないでしょうか。