2月5日(金)能と茶の湯
「高砂(たかさご)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「高砂」についてご紹介します
平安時代前期の延喜(えんぎ)の頃。
都を見物しようと九州からのぼってきた友成一行は、
高砂の浜辺に立ち寄り、松の落葉を掃く老夫婦に
出会いました。
老夫婦は相生(あいおい)の松のいわれについて、
高砂の松は『万葉集』、住吉の松は『古今和歌集』
をあらわし、歌が盛んに詠まれ世の中が
平和であることを象徴する松なのだと語ります。
そして我ら夫婦は、それらの松の精なのだと
正体を明かし、住吉で待とうと告げて小舟に
乗って姿を消します。友成らが月夜に船を出し、
住吉の浜辺にやってくると、西の波間から
住吉明神が現れます。明神は長寿をほこる
松のめでたさを称え、さっそうと舞を舞います。
澄んだ月明かりのもと、舞につれて、
松の梢に吹き寄せる心地よい風の音が聞こえ、
明神は平和な世を祝福するのでした。
(※日本芸術文化振興会参照)
「高砂」は、祝いの曲として広く知られ、今でも
祝言やおめでたい席でうたわれます。
次週はこの「高砂」に関連した茶道具を
ご紹介します。
2月1日(月) 向栄亭の床の間拝見
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から二月、そして二月の四日は 立春です。
寒さは依然として厳しいですが そろそろ春の気配を感じられる頃になりました。
さて、今日は二月の宗家稽古場の床の間をご紹介します。
床 紅心宗慶宗匠筆 柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)
花 加茂本阿弥椿 木五倍子(かもほんなみつばき きぶし)
花入 志戸呂 鶴首
床の間の掛け物の言葉は 中国北宋時代の政治家であり詩人である
蘇東坡(そとうば)の「花紅柳緑真面目」 花は紅(くれない)柳は緑(みどり) 真面目(しんめんもく)
という言葉に由来するものです。
花は紅、柳は緑、このあたりまえのことが、
とりもなおさず真理の実相である
自然のあらゆるものがそのままで 真実を具現しているといっています
1月29日(金)能と茶の湯
「翁」
ご機嫌よろしゅうございます。
新年を迎えると、「翁」とよばれる演目が
必ず各地の能舞台で演じられます。
「翁」は能の中でも神能の特殊な演目で
「能にして、能にあらず」と言われ
霊的な力を授けられた”神の使い”である翁の舞は、
国家安静、五穀豊穣を祝う神事とされています。
「とうとうたらりたらりら
たらりあがりららりとう…」
という謡にはじまり、舞の間に翁が翁面を
つけるのですが、観客の前で演者が面をつけるのは
この曲だけ、この面をつけることにより
翁は神格を得ます。
遠州公がこの「翁」にちなんで銘をつけた
茶入があります。「大正名器鑑」には
「作行の古雅なる、黄釉のなだれの物寂びたる
人をして翁の面に対する想いあらしむ」
と記されています。
瀬戸破風窯のその茶入には挽家蓋・内箱蓋・仕覆蓋
の書付を遠州公自らしており、愛蔵ぶりが伺えます。
1月 22日(金)能と茶の湯
「利休と能」
ご機嫌よろしゅうございます。
侘び茶の大成者である千利休は、
大変能が好きで、勧進能といわれる
能の興行ごとに足を運び、宮王道三・三郎
兄弟の能楽師の楽屋をときおり訪ねていた
といいます。
また、この三郎には宗恩という妻がおり、
利休の様々な質問にも明朗な回答をする
聡明な女性でした。
利休は謡曲をこの兄の道三に学び、道三は
利休に茶を学ぶ大変親しい間柄であったことも
あってか、
天正九年(1581)に利休の先妻が
亡くなった翌年、三郎を亡くしていた宗恩と
利休は道三を親がわりとして結婚しています。
また利休には実子道安がいますが、
三郎と宗恩との間にできた息子道安と同い年の
少庵を養子とします。
この少庵が千家第二代であり、三代目は
少庵と利休の娘お亀との間に生まれた宗旦です。
この宗旦と遠州公は同い年になります。
1月18日(月)お稽古場の風景
ご機嫌よろしゅうございます。
今年の点初めも無事に皆様をお迎えし
宗家道場では本年初の稽古が始まりました。
床の間を拝見し、お稽古の支度
新年を寿ぐ清々しい道具組に
気持ちも自然と引き締しまります。
そんな宗家道場の稽古場の様子をお伝えします。
床 紅心宗慶宗匠筆 千年丹頂鶴
花 曙椿 白梅
花入 青磁 鳳凰耳
掛け物の「千年丹頂鶴」は「万年緑毛亀」
(まんねんりょくもうのかめ)
と対句になります。
「鶴は千年、亀は万年」という言葉も
ありますように、鶴と亀は共に長寿と福寿を
象徴するものです。
新年や慶事の際に掛けられる、
祝慶を尽くした語です。
1月 15日(金)茶の湯と伝統芸能
「能について」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能と茶の湯についてのお話を
して行きたいと思います。
庶民の芸能から昇華され、室町時代には
足利将軍家の力を得て社会的地位を獲得した能
そして、同じく室町時代に侘び茶が大成し
権力者の支持を得て発展した茶の湯
江戸時代には、能・茶の湯共に武家社会の
嗜みとしての地位を確立していった歴史があります。
またその精神性においても
村田珠光の言葉に「月も雲間のなきは嫌にて候」
とあるのを、室町後期の能役者・金春禅鳳が
「珠光の物語とて、月も雲間のなきは嫌にて候。
これ面白く候」
と語っているように
茶の湯の「侘び」と能の「幽玄」の世界には
相通ずる点が多くあります。
そういった面からも茶の湯の道具には、
能に由来する銘が多く見受けられるのです。
能の銘がつけられることによって、
一つ一つの能の世界が茶の湯に広がります。
1月 8日 (金)茶の湯と伝統芸能
ご機嫌よろしゅうございます。
先日6日は二十四節気の小寒にあたりました。
この小寒から節分までが「寒の内」と
呼ばれ、厳しい寒さの始まりです。
さて、本年から能・狂言について
毎週金曜日にご紹介する予定でおりますが、
茶の湯と能、花などの芸能は同時代に
昇華された芸能と考えられています。
遠州公も茶道具の銘に和歌を用いた歌銘を
つけたことはよく知られていますが、
和歌だけでなく、能や狂言からも銘を
つけている道具が多くみられます。
今年の前半では能・狂言の演目をご紹介しながら
所縁の茶道具をいくつかご紹介していきます。
後半では落語の中に登場する茶の湯を
ご紹介します。
落語の祖とされる安楽庵策伝は遠州公とも
所縁の深い人物です。
近世、茶の湯が人々にどう親しまれていたのか
その笑の中に見えてくるのではないかと思います。
1月 1日(金)元旦
皆様
明けましておめでとうございます。
本年も遠州流茶道の精神である
「茶の湯を通して心を豊かに」を胸に、
日々の生活に茶の湯の心を取り入れ
ていきたいと思います。
本年は宗実御家元の華甲の年に当たり
遠州流茶道にとっても大変重要な一年間と
なります。
9月17日のお家元の誕生日 には記念の大茶会がと祝賀会行われます。
全国の門人一丸となって
関連行事に取り組み、盛り上げていきましょう。
さて、本年から毎週月曜日は季節の便り、
金曜日は伝統芸能と茶道をテーマに
主に能・狂言・落語について、
ご紹介していく予定です。
本年もメールマガジン「綺麗さびの日々」を
よろしくお願いいたします。
12月 30日 (水)遠州流茶道の点法
「大晦日の茶」
ご機嫌よろしゅうございます。
明日はいよいよ大晦日。
新しい年を迎える準備はお済みでしょうか?
宗家では明日、恒例の除夜釜が行われます。
寄付で温かい御手製の蕎麦がきをいただいたら
成趣庵で家元がお客様に濃茶を点てて下さいます。
歳暮のお茶では挽貯の茶入のように、普段裏方で
使われているような道具類が使われたり
深くて温かみの感じられる茶碗、会席では寄向(よせむこう)
といって色々な種類の焼き物をとりまぜて、
方々から寄せ集めてきた向付などをお出しして
暮れの風情を楽しみます。
普段の茶事では広間に席を移していただく薄茶も
年の瀬では薄茶を続けて差し上げる配慮をしたりします。
一年あっという間に過ぎてしまった名残惜しい
気持ちと、また新たな年が始まる期待感、
その二つの気持ちが入り混じった特別な時間。
茶の湯では、その想いを道具にのせて
一同お茶をいただきます。
さて、今年のメールマガジンも今日で最後。
本年もありがとうございました。
来年のメールマガジンも新たなテーマで
配信していく予定です。
それでは皆様
どうぞよいお年をお迎えください。