7月1日 (金)能と茶の湯「関寺小町」

2016-7-1 UP

7月1日 (金)能と茶の湯「関寺小町」

ご機嫌よろしゅうございます。今日から7月に入りました。例年七夕の7月7日はまだ梅雨が明けきらない頃で、すっきりとしない星空に溜息がでることも。今日は七夕にちなんだ謡曲をご紹介します。「関寺小町」は、「檜垣」「姨捨」と並ぶ「三老女」の一つで、演じる者に最も高度な技術と精神性が必要といわれています。老いた小野小町は、江州関寺の山陰で小さな庵を結んで侘びしく暮らしていました。そこに国関寺の住僧が七月七日の七夕祭の日に、あたりの稚児たちを連れて小町を訪ね、歌道の物語を聞かせてほしいとお願いします。小町は断りますが、強いての僧の頼みをききいれ、歌道についての古いことなどをねんごろに語って聞かせます。寺では今宵は織女の祭が行われています。糸竹管弦、童舞の舞に小町の心も昔にかえりふらつきながらも舞を舞いつつ昔を偲んでいましたが、やがて夜明けと共に杖にすがりながら自分の庵に寂しく帰っていきます。

6月27日(月)久保権大輔

2016-6-27 UP

6月27日(月)久保権大輔

ご機嫌よろしゅうございます。 明日6月28日は久保権大輔の命日にあたります。 久保権大輔は奈良春日社の神官の家に生まれます。 「長闇堂」とも呼ばれ、侘茶人としても知られています。そして遠州公とも深い親交がありました。 身分も低く貧しい権太夫が、名物道具を拝見するには どうしたらよいかと遠州公に相談したところ、袋師になることを勧められたという話が残っています。 袋を作るには実際に道具が手元になくては作れません。袋を作る間だけ、様々な道具が手元におけるというわけです。 息子の杢(もく)もその後を継いでいます。 また権太夫が方丈の庵を作り遠州公に 額を頼みました。 それが「長闇堂」 この名は遠州公が鴨長明にちなみ、「長明は物知りで明晰であったがあなたは物を知らず”智にも暗いので ”闇”だ」 というわけで長闇堂と名付けたと言われています。 寛永十七年(1640)六月二十七日亡くなります。遠州公は死を悼み、自ら筆をとり 文に歌を書き付けています。

春の日の光をあふぐ法の舟 ちかひのうみは 浪かぜもなし

6月24日(金)能と茶の湯

2016-6-24 UP

6月24日(金)能と茶の湯
「今春金襴」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「金剛裂」をご紹介しました。

今日ご紹介するのは「今春金襴」
これも豊富秀吉がシテ、家康がワキを
演じた大坂城中の能の会に招かれ
後見をつとめた今春太夫が、秀吉から
賜ったものと言われています。
今春は鎌倉期から興福寺春日社に
奉仕していました。

秀吉は大変な能好きで今春を習い、
三日間の天覧能に十四番も自分で舞ったり、
家康や前田利家と三人で狂言を演じた
と言われています。

この「今春金襴」は「金剛裂」より縞が細い
ものが多く、様々な金文が円形に配置されて
います。
茶入の仕覆としては、中興名物広沢手「秋の夜」
「皆ノ川」本歌、薩摩甫十「玉水」などがあります。

6月 20日(月)6月の花嫁

2016-6-20 UP

6月 20日(月)6月の花嫁
結婚とお茶

ご機嫌よろしゅうございます。

6月に入り、雨の多い季節となりました。
お天気が崩れることが多く、気分も
晴れないこの時期ですが
ジューンブライドという言葉もよく
聞かれるように結婚にとっても
よい時期とも考えられています。

この結婚に際して、北九州などでは結納の品として
お茶を用意することがあるようです。
これには理由がありまして、茶の木は植え替えが
しにくいことから、嫁入り先にしっかり根づくように、
という願いが込められているのだそうです。
またおもしろいことに、中身のお茶は
あまり上等でないものが選ばれます。
結婚に「出る」という言葉は禁句のためよく
「出る」お茶はあえて贈らないのだそうです。

6月 17日(金)能と茶の湯

2016-6-17 UP

6月 17日(金)能と茶の湯
「金剛裂」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は能に所縁の深い裂地のご紹介を
致します。
黄・白・浅緑などの八色の縦縞の地全面に、
菱の模様をおりこみ、金の色を抑えながらも
瀟洒で高雅な趣を醸し出しているのが
「金剛裂」です。
この裂は、能楽師の金剛太夫が大坂城中での
会に招かれ豊富秀吉から引出物として
賜ったと伝えられています。
金剛座のもとは、古くは鎌倉期法隆寺に奉仕していました。
能装束が縫箔や唐織の華美なものになるのは
この頃からで、そいれ以前は武家の日常衣服の狩衣
水干、小袖を用いており、それを演技の褒賞に与える
ことが恒例となっていました。
これが応仁の乱の後、能の様式化、
衣装の特殊化が進んでいきます。

この金剛裂は大名物「種村肩衝茶入」や、「槍の鞘茶入」
中興名物「金華山鷹羽屋」「玉川」本歌などの仕覆に
用いられています。
卍や雲鳥模様などがみられるものは、この裂の反物の
織留部分を好んで多く使われたことによります。

6月 10日 (金)能と茶の湯

2016-6-10 UP

6月 10日 (金)能と茶の湯
「羽衣」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「羽衣」のあらすじをご紹介しました。
今日は「羽衣」を銘にもつ志野茶碗をご紹介します。
志野の名碗「羽衣」は

正面に見える強い焦げがあり、
見る者全ての目をひきつけます。
高台は荒々しく、暴れていて特徴的です。
今に伝わる志野茶碗の中でも特に印象的で力強い茶碗です。
志野は桃山時代を代表する美濃焼の一つです。
艾土(もぐさつち)と呼ばれる白い土に長石釉(志野釉)
を厚めにかけて作られます。
釉の下に鬼板と呼ばれる顔料で文様を描き焼成すると
条件によって黒や赤、鼠色、褐色に変化します。

内側に一筆ふわっと引かれた線があり、これを
天に舞う天女の羽衣に見立てられたことからの
銘とされています。

6月3日(金)能と茶の湯

2016-6-3 UP

6月3日(金)能と茶の湯

「羽衣」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能の中でも特に人気の高い「羽衣」
をご紹介します。
 
ある朝、三保の松原に住む漁師である白龍は
松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。
家宝にするため持ち帰ろうとしたところ、
天女が現れ、その羽衣を返して欲しいと頼みます。
初めは返すつもりのなかった白龍でしたが
天女の嘆く様子を哀れんで、舞を舞ってくれるならば
返そうと言います。
羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、
と疑う白龍に、天女は
「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」
と返します。この天女の言葉に感動し、
白龍は衣を返します。
 
羽衣を着た天女は、月世界の神秘と美しさ
さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い、
やがて富士山へ舞い上がり消えていきました。
 
羽衣伝説は各地に伝わっており
古くは「丹後国風土記」などに見られます。

5月30日(月)ほととぎす

2016-5-30 UP

5月30日(月)ほととぎす

 

ご機嫌よろしゅうございます。

先週御紹介しました小倉色紙が登場する

こんな逸話がありますので、御紹介します。

 

聚楽第にて関白秀次が、

利休をはじめとする客を招いた時のこと

時は四月二十一日、暁の頃茶室には短檠の明かりもなく、

ただ釜の煮え音ばかりが聞こえるだけ

さて一体どういった御作意でろうと思っていると

利休の後ろにある障子が、ほのぼのと赤くなっていく

不思議に思って障子を開けると

月影が床の間を照らしている。

にじり寄って見てみると

 

ほととぎす鳴きつる方をながむれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

の小倉色紙の掛け物がかかっていました。

なんと素晴らしい御作意であろうと

皆感嘆したのだそうです。

5月 27日(金)能と茶の湯

2016-5-27 UP

5月 27日(金)能と茶の湯

「大会(だいえ)」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「大会」のあらすじをご紹介しました。

今日はこの「大会」という銘の竹花入をご紹介します。

遠州流では、例年正月にお家元が青竹を自ら切り花入とします。

青竹の清々しさと、綺麗さびの瀟洒な美意識が表された

姿の花入とは対照的に、この「大会」は、

どっしりとした根付きの迫力ある花入です。

豊臣秀吉作、利休所持の由緒を持ちます。

「大会」とは大規模な法会、大法会の意味を表す言葉です。

禁中での能・狂言の会を含め、秀吉は「大会」を六度演じています。

スペクタクルな視覚的にも楽しめる内容の能で、

天狗扮する釈迦説法の荘厳な大会の光景が

目の前に広がるような姿の花入です。

5月 23日(月)ほととぎす

2016-5-23 UP

5月 23日(月)ほととぎす

 

ほととぎす鳴きつる方を眺むれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

ご機嫌よろしゅうございます。

初夏の訪れを知らせるものに、ほととぎすが挙げられます。

平安の時代、貴族の間ではほととぎすの第一声である

「初音」を聴くのがもてはやされました。

山鳥の中で朝一番に鳴くといわれるほととぎすの声を

なんとか聴こうと、夜を明かして待つこともあったようです。

先ほどの歌は百人一首、後徳大寺左大臣、藤原実定の歌です。

 

ほととぎすが鳴いたその方角を眺めやると、

そこにはただ明け方の月が暁の空に残るばかりだ。

 

実定は定家の従兄弟に当たる人物で、

詩歌管弦に非常に優れた人物でした。

祖父も徳大寺左大臣と称されたので、

区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれます。

実定も夜を徹して初音を待っていたのでしょうか。

一瞬のほととぎすの声に、はっと目をやるとそこに姿はなく、

夜明けの空にうつる月の明かりだけがみえる

聴覚世界と視覚的世界を美しく詠み込んだ歌です。