10月 14日(金) 能と茶の湯

2016-10-14 UP

10月 14日(金) 能と茶の湯
「松風」
ご機嫌よろしゅうございます。

先週は能「松風」をご紹介しました。
この能は、「源氏物語」の「須磨」の巻と
『古今集』在原行平の
わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に
藻塩たれつつわぶとこたへよ
の歌を素材として作られています。

「熊野」と呼ばれる春の曲と並んで大変人気のある
曲目で「熊野松風に米の飯」などと言われる程
親しまれています。
この松風に縁の道具に千宗旦茶杓「松風」「村雨」
があります。
うち村雨は焼失し、現在松風のみ藤田美術館に
現存しています。
白寂胡麻竹を使用し、丸くて左下がりの櫂先など
宗旦の特徴が随所に見られる茶杓です。

また、日本では釜の六音といって、
魚目・蚯音・岸波・遠浪・松風・無音
と六段階に分類していました。
「松風」はその内の一つであり
現代では釜音の総称として多く用いられます

10月 10日 (月)秋季講演会

2016-10-10 UP

10月 10日 (月)秋季講演会
ご機嫌よろしゅうございます。
本日、江戸東京博物館にて新発田藩溝口家と小堀家を
テーマにした秋季講演会が開催されます。

溝口家は新潟新発田地方を治め、藩祖秀勝以来、
転封もなく明治維新まで続きました。
溝口家の藩祖・秀勝は古田織部の茶会に招かれ
茶碗を贈答され、また三代宣直は片桐石州
の茶会に招かれるなど、代々茶の湯に親しんでいました。
 
四代重雄は仲介を経て、当時小堀家所蔵の
遠州伝来道具五種を入手しました。
古瀬戸茶入銘「胴高」
古瀬戸茶入銘「大概」
中興名物茶入銘「蛍」
利休所持青磁香炉
閑極法雲東澗道洵両筆墨蹟
これらは小堀家三代宗実正恒の急死から、
四代宗瑞正房への跡目相続のため多額の金子が
必要となり溝口家に譲渡されたものです。

その後、宗中公と十代藩主直諒(翠濤)は、
江戸木挽町の新発田藩中屋敷・幽清館において交流し、
現在も二人の合作が数点残されています。
今日は講師宮武慶之(同志社大学研究開発推進機構特任助手)
先生が新資料をもとに、その後の江戸における両家
について講演されます。

10月 7日(金)能と茶の湯

2016-10-7 UP

10月 7日(金)能と茶の湯
「松風(まつかぜ)」
ご機嫌よろしゅうございます。

明日8日は二十四節気の寒露です。
野草には冷たい霜が宿り、山も色づき始める頃
秋風と共に、どことなく物寂しさも感じられます。

さて秋の夕暮れを舞台にした曲に「松風(まつかぜ」
があります。
西国に向かう僧が、途中須磨の浦で在原行平の
愛した松風・村雨に縁の松をみつけます。
懇ろに弔い、藻塩小屋で一夜を明かそうと
していると、海女の姉妹が汐汲車を引いて小屋に
戻ってきます。

そして自分たちが松風と村雨であると名乗り、
行平と共に過ごした三年の思い出や、都へ戻った
行平が亡くなったことを語り、形見の烏帽子狩衣を
身につけて舞い、村雨と共に妄執の苦しみを語り
僧に回向を頼みます。
やがて夜が明けると二人の姿は消えており
松風の音だけが響いているのでした。

宗家道場の床の間拝見

2016-10-3 UP

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10月 3日(月)宗家道場の床の間拝見

ご機嫌よろしゅうございます。

秋も次第に深まり、
赤や黄色に色の変わった草木に露がおりる頃
床の間にもその景色を切り取ったかのようです。
さて、今月の十三日は十三夜
また美しいお月様が楽しめます。

床 紅心宗慶宗匠筆 明月清風共一家
花 姫百合藤袴 山白菊 吾亦紅 尾花
花入 手付籐組

床の間の掛物「明月清風共一家」は
明月と清風はあいかわらず連れあっているという意味の
『五灯会元』所載の語です。

青山緑水元依奮
明月清風共一家

と対句をなし、悟りの後でも変わらない自然の姿を表現しています。

9月30日(金)能と茶の湯

2016-9-30 UP

9月30日(金)能と茶の湯
「比丘貞(びくさだ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は狂言「比丘貞」をご紹介します。

一人息子の元服親になってほしいと頼まれた老尼が、
自分の通称の「庵」をとって庵太郎(あんだろう)
と名付けます。
名のりも自分の比丘と、相手の家の通り字である
「貞」を合わせて比丘貞とつけ、祝言の舞を舞う
というあらすじです。
武家階級では元服の際、字アザナと諱イミナのふたつを名付ける
習いがありました。この格式のある名付けがゆるみ、
いわば「ごっこ」に近いようになった様子が描かれています。

老尼は烏帽子親を頼まれて悦びますが、
与えるべき諱をそもそも持っていません。
そのため比丘などとつけているところが
面白いところ。

この「比丘貞」の面に姿が似ていることから
遠州公が銘をつけたのが
瀬戸真中古窯茶入「比丘貞」です。
茶入の胴の締まった姿が、確かにユーモラスな
面の顔を想起させます。
遠州公の所持の後、数人の所有者の手を経て松平不昧が所持しました。

葛(くず)の花

2016-9-26 UP

9月 26日(月)葛(くず)の花

ご機嫌よろしゅうございます。

残暑厳しい日が続きますが、野山に咲く花は
次第に秋らしくなってくる頃

秋の七草については以前メルマガでご紹介
しましたが、今日はその内の一つ
「葛の花」についてご紹介します。

葛の花は、万葉の時代から愛されてきました。
紫紅色の愛らしい花を葉の根元につけ
風に葉をなびかせる様子は和歌にも
詠まれてきました。

その根は良質のデンプンが得る事ができ、
くず粉として珍重されました。
また、根には解熱効果があり、現在でも
葛根湯の名で風邪薬としてお馴染みです。

もともとは土着の原住民だった「国栖(くず)」
が葛粉を売りにきたことから、
その名がついたとされています。

「姥捨(うばすて)」

2016-9-23 UP

9月23日(金)能と茶の湯
「姥捨(うばすて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は、先週ご紹介しました謡曲「姥捨」
にちなんだ銘の茶碗をご紹介します。

「姥捨」は姥捨伝説を題材にされていますが、
その悲劇を主としているというよりも、
月光の下で舞う老女の遊舞、人の世界を脱し
浄化された美の世界を表しています。

黒楽茶碗「姥捨黒」左入作
楽家六代の左入が四十八歳の時に赤黒二百碗
連作したうちの一つで、穏やかな作風の黒楽です。

赤楽「姥捨」九代了入作
柔らかな趣の赤茶碗で、赤黒200碗の連作「了入二百」
の一碗です。

また本阿弥光悦の黒楽にも「姥捨」の銘を持つ
茶碗があります。

老婆の魂を浄化する姥捨山にかかる名月の清らかな光
「姥捨」という銘は、そんな情景を連想させます。

2016-9-20 UP

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9月20日(火)華甲記念茶会及び祝賀会

9月17日土曜日
前日までのぐずついたお天気がうそのようにすっきりと晴れ、
宗実御家元の華甲を祝う茶会及び祝賀会が催されました。
茶会では東京の直門二席を始め、お家元が直接出張稽古を
されている奈良 福岡 名古屋 大阪 金沢の門人の各席が

趣向を凝らした道具組でお茶を差し上げました。
祝賀会ではこれまで御家元が好まれた袱紗が飾られ、
袱紗に描かれた一年を思い思いに眺める姿が見られました。

鏡開きには遠州公が葡萄酒を茶の湯に用いたことから

赤ワインが用意され、一同乾杯。
また根津美術館理事長をはじめ、22名の錚々たる方々が

発起人として名を連ねられ、

「不傳会」が発足することが発表されました。

国内外にむけ、御家元の更なるご活躍の場が広がることとなりました。

田中支部長はじめ、東京支部一丸となって開催された

祝賀会には、参加者それぞれの御家元への感謝と

尊敬の想いに溢れ、温かさに満ちた時間が流れていました。
最後に御家元の和歌が披露されましたので、ご紹介致します

茶の湯とは

楽しみ学び生き甲斐と

傳えることぞ 我が道と知る

御家元から教えていただく茶の湯の楽しみ

それを自らの生き甲斐として今後も茶の湯の道に

精進していこうと心に思える一夜でありました。

お家元華甲記念茶会

2016-9-17 UP

9月 17日(土)お家元華甲記念茶会
ご機嫌よろしゅうございます。今日9月17日は宗実お家元の誕生日です。満60歳を目出度く迎えられ東京支部による記念茶会が催されます。平成十三年に家元を継承されて以来、全国の門人の指導、海外への文化交流など精力的に活躍されてきました。茶道以外でも未来を担う子供達への指導にも力を注がれています。今年のベストファーザー賞も受賞、昨年の9月にはQVC千葉ロッテマリーンズVSオリックスの始球式をおこない、ミスインターナショナル世界大会の審査員も今年で3年連続努めておられます。ご多忙な日々の中にあっても、御家族との時間を大切にされ、また門人一人一人の声に丁寧に耳を傾けられるお姿は、我々遠州流茶道を学ぶ者に日々の日常をいかに過ごすか、己の進むべき道を物言わず示してくださっているように感じます。これからも益々のご健勝、ご活躍を期待しますとともに、私ども門人に御指導願い申し上げます。

9月16日(金)能と茶の湯

2016-9-16 UP

9月16日(金)能と茶の湯
「姥捨(うばすて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は中秋の名月、皆さんはご覧に
なれましたでしょうか?
今日はその中秋の名月にちなんだ
老女物の演目「姥捨」をご紹介します。

ある日都の男が、中秋の名月を眺めようと、
名所である更科の姨捨山を訪れます。
夕方、眺めを楽しむ男の前に女が現れます。
男の問いかけに対し、
昔この山に捨てられた老女が

我が心慰めかねて更科や
  姨捨山に照る月を見て

と詠んだことを教え、
自分もここで捨てられた者だ、
今夜は月の出と共に現れて夜遊を慰めようと
言って姿を消します。
やがて女は老女の霊として現れ、月を愛で、
仏説を語り、昔を懐かしみ舞を舞います。
夜が明けて都の男が帰ると、またただ独り
山中に残されるのでした。