11月18日(金)能と茶の湯
「六浦(むつら)」
ご機嫌よろしゅうございます。
鮮やかに色変わりだす木々の葉、
風に吹かれて散ちる姿は、絵のような
美しさです。
さて、紅葉を題材にした能には「六浦」があります。
六浦の称名寺(神奈川県金沢)を訪れた都の僧が、
あたりの木々が紅葉する中で一本だけ紅葉していない
楓があることに気付きます。
そこへ現れた里の女に僧が尋ねると、
昔、冷泉為相卿が他の木に先駆けて紅葉する楓
を見て、
いかにして此一本にしぐれけん
山に先立つ庭のもみぢ葉
と詠んだところ、その楓はそれを名誉と感じ
この上は身を退くのが正しい道であるとして、
以降は紅葉することをやめたと語ります。
そして自分こそ、その楓の精であると明かして
消え失せます。
そして夜、ふたたび現れて四季ごとの草木の
移ろいを語り、月の下、舞を舞い
去っていくのでした。
11月 14日(月)石臼
ご機嫌よろしゅうございます。
茶の湯の世界では、11月は炉開きに口切と続き
お正月にあたるおめでたい月にあたります。
炉開きと口切りについては昨年のメルマガで
ご紹介しましたので、そちらもご参照下さい。
口切で取り出した新しい茶葉は石臼で
挽いていきます。
彦根藩主であった井伊直弼が
「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)」
において、
「茶を挽くは大事也
挽きもあらくては如何ほどの名器を出し
飾りても、実意あらず」
と書いているように、石臼は茶の味を左右する
大変重要な道具です。
にもかかわらず、石臼についての形や機能
などの資料はあまり残っていないそうで、
なぜ左回しなのか、それ自体についても研究は
あまりなされていないそうです。
11月 11日(金)能と茶の湯
「筒井筒」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能「井筒」をご紹介しました。
今日は高麗茶碗の中でも第一の格を持つ
井戸茶碗の中でも昔より特に声価の高い名物手井戸
「筒井筒」(重文)の茶碗をご紹介します。
「筒井筒」の銘は、もと筒井順慶が所持し、
茶碗が深めで高台が高いところから「筒井の筒茶碗」
といわれたと伝えられています。
筒井筒は順慶が秀吉に献上し秘蔵されていました。
しかしある日の茶会で近侍の小姓が誤って取り落とし、
5つに割ってしまいます。
激怒した秀吉が小姓を手打にしようとしたところ、
茶会に招かれていた細川幽斎が、
筒井筒五つにわれし井戸茶碗
とがをばわれに負ひにけらしな
と詠んだことで、秀吉の機嫌もたちまち直り
小姓は一命を取り留めた逸話が残っています。
細川幽斎は古今伝授を受けた歌道の大家で、茶の湯
や能にも非常によく通じた武将でした。
ちなみに秀吉も大変能を愛したことは以前にも
ご紹介しましたが、秀吉四十七番の所演の記録のうち
この「井筒」を三番舞っています。
11月7日(月)宗家道場の床の間拝見
ご機嫌よろしゅうございます。
11月に入り、炉を開きの季節がいよいよやってきました。 宗家の床の間も、無事炉開きを迎えることができた 祝いの気持ちをこめて飾られています。
床 紅心宗慶宗匠筆 本来無一物
花 白玉椿 万作の照葉
花入 伊賀 耳付
の間の掛け物「本来無一物」は 中国禅宗史上の大立物の六祖慧能が五祖弘忍から印可され、
その法を嗣ぐ機縁となった偈頌「菩提本樹無し、
明鏡も亦台に非ず、本来無一物、何れの所にか塵埃を惹かん」
(悟りという樹も鏡のような心もありはしない。
もともと何もないのだから、どこに塵埃がたまり、
何を払拭しようというのか)の一句で、禅とりわけ
南宗禅の真髄を端的直截に道破した一語です。
11月 6日(日)能と茶の湯
「筒井」
ご機嫌よろしゅうございます。
季節は秋から冬へ、寂寥のおもいがつのる頃。
今日はそんな哀切の情を美しく表現した
お能「井筒」のお話をご紹介します。
ある秋の日、諸国を旅する僧が
奈良から初瀬へ行く途中に、
在原業平建立と伝えられる在原寺に立ち寄りました。
僧が在原業平とその妻の冥福を祈っていると、
さみしげな里の女が現れます。
僧の問いに、女は在原業平と紀有常の娘の
恋物語を語ります。
筒井筒井筒にかけしまろがたけ
生けにけらしな妹見ざるまに
比べ来し振り分髪も肩過ぎぬ
君ならずして誰か上ぐべき
その昔井戸のそばで遊び戯れていた
幼馴染の二人が恋をし夫婦になった。
女は自分がその有常の娘であると告げて、
井筒の陰に姿を消します。
夜も更ける頃、僧が仮寝をしていると、
夢の中に井筒の女の霊が現れます。
女の霊は業平の形見の冠装束をを身につけ、
業平を恋い慕いながら舞い、井戸の水に自らの姿を映し、
業平の面影を忍ぶのでした。
やがてしらじらと夜が明け、井筒の女は姿を消し、
僧も夢から覚めるのでした。
業平を想いながら舞い、在りし日を回想する幻想的な能「筒井」。
すすきを付けた井戸の作り物が秋の侘しさを際立たせます。
10月 31日(月)ハロウィン
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は10月31日、ハロウィンです。
ハロウィンはもともとヨーロッパの民族行事でしたが
秋の収穫を祝い、亡くなった人たちをしのぶ
収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、
現在のハロウィンになったと言われています。
さて、茶の湯の道具には阿古陀と呼ばれる、
カボチャの仲間の植物を形どったものがあり
香炉や茶器などにも見られます。
御先代も阿古陀形の水次を好んでいます
一昔前にはまだ海外の習慣としてしか
馴染みのなかったハロウィンですが、
最近では、10月に入ると街はオバケや
顔型にくりぬかれたカボチャが並び、
ハロウィンムード一色に。
子供から大人まで楽しいイベントの
一つとしてすっかり定着した感があります。
和菓子屋さんでもカボチャ形のお菓子が
ならんでいたりしますので、自宅や友人同士カジュアルなお茶にカボチャを取り入れても楽しいですね。
10月 28日(金)能と茶の湯
「砧(きぬた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は能「砧」をご紹介しました。
茶の湯の道具で「砧」といって思い浮かぶのは
砧青磁ではないかと思います。
砧青磁は、南宋・元時代に浙江省龍泉窯でつくられた
青磁の一種でこれらは「砧手」と呼ばれました。
この砧とは、青磁鳳凰耳花入「千声」(重文)や
「万声」(国宝)の形が砧に似ていたためという説や、
青磁鯱耳花入(仙台伊達家旧蔵)のヒビを、
砧を打つ「ひびき」にかけて千利休が名付けた
ことからという説があります。
そもそも砧とは、衣を柔らかくし、光沢を出す
ための生活用具でした。
蘇武の妻子が高楼に登って砧を打つと、その音が
胡国の蘇武に届いたという故事があり、
妻が遠国にいる夫に想いを馳せて砧を打つという
形ができあがりました。
この能の情趣が想起され
砧は忘れられた女性の寂しさや恨みを表し、
また俳句の秋の季語としても、「砧」「砧打つ」
などが用いられるようになります。
10月 24日(月)全国大会・観光
「高取焼宗家」
ご機嫌よろしゅうございます。
10月22日土曜日より福岡にて開催されている
第50回遠州流茶道全国大会。
本日は最終日で全国から福岡に集まった門人が
宗実御家元と共に名所を観光します。
今回は太宰府天満宮と高取焼宗家。
高取焼といえば遠州指導窯の一つ
(詳しくは2013年のメルマガでご紹介しています。
ご参照下さい。)
黒田藩の御用窯として栄えた高取焼ですが、
初代八山は遠州公の指導を受け茶陶を焼いたことで、
その作風は瀟洒なものに変化していきました。
現在13代宗家八山氏の長男・春慶氏が宗実御家元の下で、内弟子として修行中です。
遠州公に指導を受けた高取八山のように、
未来の八山が御家元指導のもと、素晴らしい茶陶を
生み出すことを楽しみにしています。
高取焼宗家HP
http://www.takatoriyakisouke.com/homepage-new2.html
10月 21日 (金)能と茶の湯
「砧(きぬた)」
ご機嫌よろしゅうございます。
晩秋の風が吹き始める頃となりました。
日が落ちるとなんとなく物悲しい気持ちに...。
そんな秋の夜空に寂しく響く
砧の音を扱った能「砧」をご紹介します。
九州芦屋の何某(なにがし)は、
訴訟のため上京し、既に三年の年月が経ちます。
故郷の事が気にかかり、今年の暮れには帰るという文を
侍女の夕霧に待たせて国許に返します。
寂しく月日を送っている妻はこの便りを聞き、
折から聞こえてくる里人の砧を打つ音に誘われ、
夕霧と共に砧を打ち、心を慰めます。
そこへ今年も帰れぬという知らせが都から入り
妻は絶望のあまり亡くなってしまいます。
帰国した何某が故郷に帰り、妻の菩提を弔っていると、
妻の亡霊が現れ、妄執のため地獄の苦しみを
受けていると訴え、夫の不実を恨みますが、
読経の功徳により成仏します。
10月 17日(月)茶の花
ご機嫌よろしゅうございます。
晩秋から冬にかけて、お茶の木に
白く可愛らしい花が咲きます。
爽やかな香りが秋の風にのって運ばれます。
しかし原因は不明ですが、お茶の木は花が多いと
翌年の作柄がよくないといわれ、茶農家の方には
あまり喜ばれないようです。
茶の木はツバキ科の常緑低木で、開花後一年
かけて果実が成熟し、翌年秋に3個の種子ができます。
この種子の寿命は短く、夏を越すと70~80%は
発芽力を失うといいます。
そのため栄西禅師が宋から茶の種子を伝えた際
いったん肥前国背振山に仮播種し、数年後に
取れた種子を栂尾の明恵上人に譲り渡したと
考えられています。
このため佐賀県と京都の二箇所に日本最古と
言われる茶園が存在するのだそうです。