1月 2日(月)新年のご挨拶
皆様明けましておめでとうございます。
本年も茶の湯を通じて心を豊かに
更なる精進を致して参ります。
本年は酉年
酉は鶏のことを指します。
十二支を決めるために神様の御殿に向かっていた際、
猿と犬が喧嘩しながら向かっていました。
間に鶏が仲介に入り、何とか御殿までたどり着きました。
その為、猿と犬に挟まれているのだそうです。
またそこから『犬猿の仲』という言葉が生まれました。
さて、鶏にちなんだ道具としては
南宋時代末期の蘿窓(らそう)画「竹鶏図」が有名です。
日本でも馴染みのある動物で古くから画題として
多く取り上げられてきました。
他に、遠州公所持で鶏をかたどった
「宋胡録鶏香炉」
また祥瑞の茶碗や水指には「家鶏図」が描かれているものも数多くあります。
遠州公のお好みとして、
鳥差瓢箪や瑠璃雀の香合など鳥にちなんだものが知られています。
12月 30日(金)能と茶の湯
ご機嫌よろしゅうございます。
今年の初めから一年に渡り、能と茶の湯について、
そのゆかりの茶道具とともに
ご紹介してまいりました。
他にも「野の宮」「竹生島」「熊野」等々
今回ご紹介できなかった能も沢山あります。
中世、世阿弥によって完成した能の理念、
ここからおよそ150年程のちに利休によって
大成した侘び茶の精神
この侘びの世界に遠州公は幽玄の世界を重ね合わせ、
茶の湯と能とがつながって、豊かな世界が広がります。
同時に茶人の教養として、茶の湯の他に能などの
文学的教養が下地にあったことも伝わってきます。
普段何気なく目にしている茶の湯の道具の意匠にも
能の世界が隠れているかもしれません。
是非探されてみてはいかがでしょうか?
さて、明日はとうとう大晦日。
年越しのご準備で大忙しの皆様
一息つきましたら、まずはお茶を一服。
良いお年をお迎えくださいませ。
12月 26日(月)干支のお道具
ご機嫌よろしゅうございます。
今年も残すところあと5日となりました。
年越しの茶の湯にはその年の干支の道具を
登場させて、一年を振り返ります。
本日は申にちなんだお道具をご紹介致します。
遠州公命銘の「猿若」については以前ご紹介しましたので
ご参照ください。( 21014年 11月29日)
もう一つ、
猿の形をした茶入に「不聞猿」があります。
名物瀬戸後窯。上部のくびれた瓢形で、「不見猿・不言猿・不聞猿」
の三猿のうち、耳を塞ぐ不聞猿に姿が似ていることから
つけられました。
全体的に黒飴釉の中に光沢のある黄釉が掛かっています。
また土見の底が高台の様に立ち上がっているのも特徴的です。
根津美術館、香雪美術館などに同手の茶入が存在します。
12月 23日(金)能と茶の湯
「米一(よねいち)」
ご機嫌よろしゅうございます。
先週は狂言「米一」をご紹介しました。
年末に貧しい人に配られる慈善米がもらえない
ことが話の始まりです、
また、このお話の背景には滋賀県ムカデ退治で有名な
俵藤太の娘が「米一」であったといわれていることが
お話の背景にあることを頭にいれておくと、狂言が
一層楽しくご覧になれるでしょう。
今日はその「米一」にちなんだ茶入を
ご紹介します。
中興名物瀬戸破風窯茶入「米一」
狂言の「米一」に登場する俵と、その茶入の
姿が似ていたことから遠州公が命銘しました。
遠州公自ら所持していましたが、その後
稲葉美濃守正則に伝わり、更にいつの頃からか
鴻池家の所有となりました。
口造りは厚手で胴のやや下部で閉まり、銘の
由来となる俵型になっています。
肩の少し下から黄釉が斜めに流れ、その周りに
茶釉が取り巻いて景を複雑なものにしてくれています。
なお、この茶入の為に遠州公が仕立てた仕覆は米一金襴と
呼ばれ名物裂の一つとなっています。
12月 16日(金)能と茶の湯
「米一(よねいち)」
ご機嫌よろしゅうございます。
なにかと慌ただしく過ぎていく年の瀬
皆様もお忙しい日々をお送りのことと思います。
今日は年末にちなんだ狂言をご紹介します。
「米市(よねいち)」に登場する太郎は、
年越しの時期にもかかわらず先立つものがありません。
年末にいつもお米と衣類をもらうことになっていましたが
音沙汰なく、思いたって有徳人(うとくにん・お金持ちのこと)のところに行きます。
なんとかお米と小袖を手に入れた太郎。
重い米俵を背中に担ぎ、小袖はどうやって持とうか
悩むと、有徳人が背負った米俵に着物を掛けて、
両の袖を太郎の手に通してやります。
後ろから見ると人を背負っているようで怪しいから、
人にとがめられたらどうしようと太郎が心配すると
有徳人に「俵藤太のお姫御 米市御寮人」のお里帰りだと
言ってやりなさいと言い含められます。
案の定、帰り道に若者達に声をかけられ、
教えられたとおりに答えると、若者達は御寮人に
お酒のお酌をしてもらいたいと言い始めます。
揉み合いの末に若者の一人が小袖を取ってしまい、
背負っていたのが女ではなく俵だということが分かり
若者達は逃げていきます。
米俵を背負い、姫に見立てたやり取りがユーモラスな
狂言です。
12月 12日 (月) 猿の歌
ご機嫌よろしゅうございます。
ついこの間新しい年を迎えたと思ったら、
もうあっという間に一年が過ぎようとしてる
時の流れの早さを感じずにはいられません。
さて、今日は今年の干支である「猿」が詠まれた
「和漢朗詠集」をご紹介します。
和漢朗詠集巻下 猿
胡鴈一聲 胡雁(こがん)一声
秋破商客之夢 秋、商客の夢を破る
巴猿三叫 巴猿(はえん)三叫
曉霑行人之裳 暁、行人の裳を霑す
北方から訪れた雁の鳴き声は、
秋、旅の行商人の夢を覚ます
暁の巴峡で、猿が哀しげに三度叫ぶ声は
舟行の旅人の袂をしぼらせる。
和漢朗詠集にはこの詩を含め猿の部に
八首がありますが、いずれも猿の声に
寂寥・望郷の念を感じるものが多く、
「巴東の三峡猿の鳴くこと悲し
猿鳴くこと三声にして涙衣をうるおす」
とあることから
当時、暁方の峡谷で猿が悲しげに三声鳴く
様子が旅情をかき立てる
というのが類型化していたようです。
和漢朗詠集については、松岡正剛氏の千夜千冊
でも紹介されていますので、そちらもご覧ください。
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12月 9日(金)能と茶の湯「岩橋」ご機嫌よろしゅうございます。利休作竹一重切花入「岩橋」をご紹介します。竹が侘びた錆味を見せ、裾に未完成とも思える鉋目(かんなめ)があることから遠州公が、明けぬ間をたのむ一夜の契だに尚かけわぶる久米の岩橋の古歌より引用し命銘されました。「久米の岩橋」は能に登場しました伝説上の石橋で、役行者が大和国葛城山の一言主に葛城山から吉野金峰山に架設を命じますが、一言主は己の醜い要望を恥じ、夜だけしか働かなかったため工事は完成しませんでした。この伝説になぞらえて遠州公が命銘されています。
12月 5日(月)宗家道場の床の間拝見
ご機嫌よろしゅうございます。
いよいよ師走。慌ただしい日々の中にも閑かなひと時を
今年という一年を振り返りながら
お茶をいただきます。
床 不傳庵宗実家元筆 寸陰一尺璧
花 加茂本阿弥椿 蝋梅
花入 信楽
床の間の掛け物「寸陰一尺璧」の
「寸陰」とは、ほんの少しの時間、「尺璧」とは、直径一尺もある大きな宝玉の事です。
中国・前漢時代の哲学書『淮南子』にある「聖人は尺璧を貴ばずして寸陰を重んず」
を表した言葉として知られています。
年末にあたり、時間の大切さを述べた言葉です。
11月28日(月)木枯らし
ご機嫌よろしゅうございます。
寒さも次第に厳しくなり、木々の色も鮮やかに変化してきました。
はらはらと落ちる木の葉を、木枯らしが軽やかに舞わせます。
その風に乗って、黄色く染まった銀杏の葉が
宗家研修道場にも届いています。
源太萬永堂製 銘 木枯らし
11月 28日(月)冬籠り
雪ふれば冬ごもりせる草も木も
春に知られぬ花ぞさきける
ご機嫌よろしゅうございます。
師走ももうすぐそこ
場所によっては雪が舞っていることでしょう。
先の歌は古今集所載の紀貫之の歌です。
雪が降ると、冬ごもりしている草も木も、
春に気づかれない花が咲いている。
草木に積もった雪を「春にしられぬ花」と表現し、
桜散る木の下風は寒からで
空に知られぬ雪ぞ降りける
の和歌の「空にしられぬ雪」の表現と対称をなしています。
貫之の好んだ理知的な趣向です。
遠州公作の共筒茶杓にはこの歌を踏まえて
冬こもり空に知られぬ花なれや
よしののおくのゆきの夕くれ
の歌銘があります。