今月の菓子「初ほたる」
2017-7-7 UP
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2017-7-7 UP
2017-7-7 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
6月 5日は二十四節気の「芒種」
田植えの時期がやってきました。
そして5日から10日までの七十二侯は
「蟷螂生ず」
「蟷螂」とは「かまきり」のことを表します。
蟷螂は作物を荒らす虫を補食する益虫であり、
稲作が生活の中心となる弥生時代の銅鐸の文様にも
描かれています。
中国の故事に多く登場する蟷螂
『荘子』の「人間篇」には
蝉を狙う蟷螂、その蟷螂を狙う鵲、そしてその鵲を
とろうとする荘周。
己の利しかみえず危険に気づかない自分を恥じ、
弓を落としたという話があります。
また『淮南子』の「人間訓」や『韓詩外伝』には
斉の荘公の乗る車に対し、果敢にもその斧を振り上げる
蟷螂の姿に、人間であれば必ずその名を天下に
轟かせたであろうと、その蟷螂をさけて車を通ったという
話も。退くことを知らず、前に進むのみの蟷螂の姿から
弱い者が、自分の能力をわきまえず、強い者に
立ち向かうことを表した四字熟語として「蟷螂の斧」
と言いますが非力な者でも、ときによっては強敵に
身を捨てて立ち向かわなねばならない時がある
という意味で肯定的にも使われます。
この故事にになんで車軸釜の鐶付には、蟷螂の鐶付が
ついているものもあります。
また、東京国立博物館所蔵の「色絵 月に蟷螂文茶碗」
は、江戸時代の永楽保全作で、こちらに向って
草につかまり、鎌を振り上げる蟷螂は愛らしくもあります。
2017-7-7 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
6月は水無月とも言いますが、
梅雨時に水が無い?
と違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この名の由来としては、
そもそも「無」が「無い」ということを表すのではなく、
「の」を表すとする説があります。
また田植えをするとき、田んぼに水をはるので、
「水張り月」といったことから「みなづき」
になったとする説や、
旧暦の6月は現在の暦の7月上旬から8月上旬頃
にあたり梅雨が終わり、真夏の暑い時期であることから
とする説など諸説あります。
いずれにせよ水が人間にとって
大切であったことが伝わります。
2017-7-7 UP
梅雨入と入梅
ご機嫌よろしゅうございます。
爽やかな5月もそろそろ終わりを迎え、
6月にはいると梅雨の季節を迎えます。
昔は「入梅」は立春から数えて135目とされていましたが、
現在では太陽の黄経が80度に達した日で、
芒種から数えて5日目頃の最初の壬(みずのえ)の日を
「入梅」と呼ぶようになりました。
これは、壬が陰陽五行で最も水の気の強い性格を
もつことからだとか。
ちなみに今年の入梅は6月11日です。
またこれとは別に「梅雨入り」は実際に梅雨の期間に
入ることを指す気象用語で、日にちは毎年異なります。
この頃は大雨による被害が起きやすい時期であることから、
天候経過と1週間先を見越して、気象庁が「梅雨入り」と
「梅雨明け」を発表するのだそうです。
2017-7-7 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
毎年5月15日に行われる葵祭は京都の春の風物詩です。
花で飾られた牛車や、輿に乗った斎王代を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する雅な様子は
平安の昔を今にみるかのようです。
「源氏物語」の「葵」の帖では、源氏の正妻である葵の上と
六条御息所が、見物の場所をめぐっての車争いが引き起こされます。
車とは貴族が乗る牛車で「御所車」と呼ばれ、後世「源氏物語」の
世界を象徴するものとして、文様として多く描かれました。
草花や流水と組み合わせた華やかな文様は振袖や打掛にも
描かれます。しかしそういった華やかさだけなく、
車の廻るがごとく、人の世は巡り巡るもの・儚いものとした、
車輪を人生になぞらえた無常観を表すものとしての文様、
また仏の道である法輪を象徴するものとしてもとらえられます。
御所車の車輪は木でできていているため、乾燥やひびを防ぐため、
川の流れに浸し置かれました。
そうした当時の光景を文様化した「片輪車文様」は、
水の流れに任せて回転する車と流転する人生とが重ね合わされ
無情感や日本的世界観が構築されていきました。
「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は装飾経を収める経箱として
用いられたと言われていますが、その文様に託された隠喩が
関係するのでしょうか。
この図柄を原羊遊斎に模させた松平不昧共箱「蒔絵錫縁四方香合」
があります。また志野や織部にも片輪車を描いたものは多く、
「織部片輪車星文四方鉢」や、赤地に緑釉をかけた珍しい織部に
「山路」と銘をもつ茶碗がありこれにも水辺に上部のみ
姿を見せる片輪車が描かれています。
2017-5-22 UP
2017-5-19 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は五節句のうちの一つ、「端午の節句」です。
詳しくは昨年もご紹介しましたが、鎌倉時代から
男の子の節句として祝われるようになった節句です。
また男子の出世を願って「登竜門」という言葉もかけられます。
今日はこの「龍」の文様をご紹介します。
中国において龍は権力の象徴であり、皇帝を示すものでした。
日本には弥生時代、稲作とともにその図像が流入し、
以後水の神として崇められたり、時に人に仇するものとして描かれ
様々なお話に龍が登場します。
一口に龍といっても、その種類は実に多く、中国における龍の
存在の大きさを物語っています。
裂地においても、龍は牡丹唐草に次いで数の多い裂地で
文形は小形の角龍とやや大きい丸龍形式に大別されます。
中興名物「相坂丸壷茶入」の仕覆「逢坂金襴」は綺麗さびを
体現した美しさで、雨龍と七曜、霊芝文が施された吉祥文様
になっています。他に珠光が好んだと言われる竜三爪の
「珠光緞子」が遠州好・高取「下面」茶入の仕覆として、
祥雲寺金襴と片身替で用いられています。
また「龍」で思い浮かぶ茶の湯の道具といえば「雲龍釜」でしょう。
「茶話指月集」には「雲龍釜」がはじめてできたとき、利休が
気に入って釜をかける姿や口伝が記され、茶会で「雲龍釜」
をよく使用しています。
釜から立ち昇る湯気に、天を昇る龍の姿を想起させます。
2017-5-19 UP
織部焼茶入「不二」
ご機嫌よろしゅうございます。
織部焼の茶入に「不二」の銘をもつものがあります。
遠州公が
時しらぬ五月のころの色をみよ
いまもむかしも山はふしのね
との歌銘をつけています。
これは「伊勢物語」所載の
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか
かのこまだらに雪の降るらむ
をうけての歌と考えられます。詞書には、
さ月の晦に、ふじの山の雪しろくふれるを見て
よみ侍りける
とあり、五月になっても鹿の子斑に雪が降り積もる
富士山を歌っています。
五月といっても陰暦の五月なので、現在の七月初め頃。
夏のまばゆい青空に東路を進み、駿河の国に着いた男が見た
富士の山は頂に雪をかぶり鮮明な印象です。
後窯に分類される織部「不二」は背の高いすっきりとした形で
肩から胴体にかけて富士山の姿があらわれています。
黒釉が一面にかかり、それが柿色に変化して影富士のような
模様となっています。
2017-5-19 UP
ご機嫌よろしゅうございます。
「夏は青葉がくれのほととぎす‥」
と遠州公が書き捨ての文に記されていますように
新緑の眩い季節にほととぎすの澄んだ美しい声をきくと
心が洗われるような清々しさを感じます。
遠州公の茶杓「時鳥」には
行きやらで山路くらしつほととぎす
今一声のきかまほしさに
の歌銘が添えられています。
茶席でほととぎすといえば、風炉の季節に花を咲かせる
「ほととぎす」も茶花としても茶人に愛されています。
また、小倉色紙の秀次の逸話を昨年ご紹介致しました。
初夏の季節、その姿や声に思い巡らせながら茶を
楽しむ様子が目に浮かびます。
その姿をしのび美しい声をきかせるように、ほととぎすの
文様としてはあまり姿を見せてはくれませんでしたが、
尾形乾山の作品に「定家詠十二ヵ月和歌花鳥図」という
角皿があります。江戸時代前期、古典復興が高まる中で
藤原定家の和歌に基づいた花鳥図が流行し、乾山は、
狩野探幽による和歌花鳥図を角皿に描いたと考えられています。
時鳥しのぶのさとに里なれき
まだ卯の花のさつきまつ頃
この歌はそのうちの一首で、井伊宗観好十二か月月次
(つきなみ)茶器の四月はこの歌から画題を得て卯の花と
ほととぎすが描かれています。
ちなみに井伊宗観は井伊直弼の茶名です。