遠州公ゆかりの茶陶

2018-4-24 UP

〇上野焼の歴史

ご機嫌よろしゅうございます。
今月は九州の焼き物、上野焼についての
ご紹介をいたします。漢字だけみると
「うえの」?と読みたくなりますが
「あがの」と読みます。
上野焼は利休の高弟子で知られる細川忠興(三斉)が、
関ヶ原の戦いの後に豊前藩主となり、
慶長7年(1602年)に朝鮮出兵で渡来していた
李朝陶工の尊楷を招き、陶土に恵まれた上野の地
(釜の口窯)で窯を築いたのが
始まりとされています。
細川家が転封を命じられ尊楷も共に熊本へ移って
以後も尊楷の妻や孫が窯を守り、
小笠原家歴代藩主が愛用した藩窯として栄えました。
昭和58年には国(通産大臣)の伝統的工芸品の指定を受け、
現在は20以上の窯元が上野地区などに点在しています。

瀬戸窯の起源

2018-2-19 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は瀬戸焼の始まる前のお話を。
日本の焼き物の歴史は土器に始まります。
今から一万二千年前あるいはもっと前から
縄文土器が作られていました。
それから弥生土器、土師器、更に五世紀前半には
大陸の影響も受けて須恵器といった
新しい焼き物が各地で生まれていきました。
七世紀には三彩と呼ばれる緑釉陶器、

九世紀から十一世紀頃には灰釉陶器が生産されます。
灰釉陶器は自然の草木灰を原料とした高火度釉を
施した焼き物。このような焼き物の次に無釉の焼き物
「山茶碗」へと生産が移行していきます。                               山茶碗は猿投山など生産窯が多くある丘陵地で
大量に拾われることからの俗称です。
瀬戸では釉薬のかからない山茶碗から、13世紀あたりに
再び施釉の焼き物が生まれ、いわゆる「古瀬戸」へと
つながっていきます。

9月1日(金)茶の湯に見る文様「網」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

先週まで水辺のものにちなんだ文様をご紹介してまいりました。

今日は「網」についてのお話を

漁業で使用する網代も茶の湯の中によく登場します。

志野や織部などの美濃焼には網干はよく描かれる文様です。

昨年ご紹介した能「桜川」を題材とした西村道仁作の

「桜川釜」は肩から胴にかけ網目を表し、羽落ち近くに

桜の花二輪。

これは我が子を探す狂女が、子供と同じ名の桜を網で掬う

様子を想起させます。

また名物裂では織田有楽の所持と伝えられる「有楽緞子」

の地紋に網目文様が見られます。

他、文様ではありませんが、風炉先に網代を用いて

涼しげな様子を茶席に取り入れますし、

茶室の点法座の天井には、網代天井がよく用いられます。

落ち天井になったつくりは亭主の謙遜の意を表したもの

と言われています。

8月 28日(月)やきにくの日

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

明日、8月29日は「焼き肉の日」です。

「8(や(き))2(に)9(く)」の語呂合わせと

夏バテの気味の人に焼き肉でスタミナをつけてもらおうと、

平成5年(1993年)に全国焼肉協会が定めました。

そこで今日は肉にちなんだお話を。

675年の天武天皇の時代、仏教における殺生の禁の思想から

肉食の禁止令が制定されます。

以後日本で肉食を禁ずる歴史は続きますが、

その禁をかいくぐるようにイノシシを牡丹、馬を桜、鹿を紅葉

と呼ぶ隠語も生まれます。

江戸時代には「滋養強壮」のための薬として食べられていたので

やはり日常的に口に入るものではなかったようですが

鳥は食されていました。(鶏はたべません)

茶の湯の会席にも山鳥や鶉、雉などの焼き鳥が登場し、

特に鶴は貴重で一番のおもてなしとされました。

将軍も正月には鶴を食したそうです。

ちなみに松屋会記で有名な松屋家は、手向山八幡宮の氏子で

神の使いが鳩であることから、鳥肉を食べることは禁じられていました。

そのため、遠州公も松屋久政を招いた茶会では、他のお客様に

鳥を出しても、久政には鯛などの別の献立を用意していたことが

会記を見ると分かります。

8月25日(金)茶の湯にみる文様「青海波」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。これまで波の文様を
幾つかご紹介してきました。
今日は「青海波」のお話をしたいと思います。

「青海波」は同心円を幾重にも重ねた波文で、

ペルシャ・ササン朝様式の文様が中国を経由して

伝播したといわれています。

唐楽から伝わった雅楽の舞曲「青海波」で舞人が、

この形の染文の衣装をつけて舞うのが

名前の由来と言われています。

元禄の時代に勘七という漆工がこの波形を刷毛で

描くのを得意とし、大いに流行したため世間で

彼を青海勘七と呼びました。

名物裂では本能寺所伝とされる本能寺緞子や三雲屋緞子

織部緞子などがあります。

本能寺緞子は二重の青海波に捻り唐花と8種の宝尽しの図柄で

大名物油屋肩衝の仕覆として

三雲屋緞子はその色替りとされる裂で中興名物の「染川」や
「秋の夜」の仕覆に。また織部緞子とも呼ばれる
青海波梅花文緞子は大名物の松屋肩衝にそっています。

8月21日(月)今月の菓子

2017-9-1 UP

無題
ご機嫌よろしゅうございます。
今月のお菓子は「緑陰」です。
葛に包まれたお菓子ですので、冷蔵庫ではなく保冷剤などを
使って優しく冷やし、お客様にお出します。
木々の緑がつくってくれる木陰に一休み。
夏らしい情景が浮かびますが、
今週の関東はまるで梅雨に戻ったかのよう。
木陰に雨宿りしたくなる日が続いています。

8月18日(金)茶の湯にみる文様「波文様」②

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は先週に引き続き、波の文様についてのご紹介を

致します。

波の上ではねる、鯉のような魚の描かれた図柄

これを「荒磯」とよんでいます。

荒磯裂と呼ばれる名物裂には、有名な荒磯緞子がありますが

穏やかな水流と優しい魚の姿をしています。

一方、緞子に比べると知名度の低い荒磯金襴の

水流と魚形は、激しさと厳しさを持ち、

それぞれの裂地の生まれた土地柄や民間伝承を反映して

できた違いと考えられています。

ちなみにこの荒磯緞子ですが、遠州公がこれを好んで茶入の

仕覆としたことから、更に人気が高まったと言われています。

この仕覆の添う茶入は

中興名物 高取鮟鱇茶入「腰蓑」

瀬戸春慶「春慶文琳」

瀬戸金華山大津手本歌「大津」

丹波耳付「生野」

があります

8月7日(月)宗家道場の床の間拝見

2017-9-1 UP

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床  紅心宗慶宗匠筆

 日光霧降滝

 花  水引 遠州槿

花入  手付籠

ご機嫌よろしゅうございます。

暑さの厳しい季節が続きますが、床の間を拝見すると

勢いよく流れ落ちる滝と、心のあらわれるような白さの

槿に一時の清涼感を感じることができました。

この掛物は御先代が昭和41年10月直門の方と日光を訪れ、

霧降滝をご覧になり、落ちてくる水しぶきが霧となり、

全貌を現さない滝の姿に絵心を誘われ帰京して直ぐに

筆をお取りになり一気に描かれた一幅です。

8月4日(金)茶の湯にみる文様「蟹」

2017-9-1 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
磯遊びも楽しい季節
今日は、先週ご紹介した「笹」と合わせて「笹蟹」などの
文様としても親しまれている「蟹」をご紹介致します。

七種の蓋置と呼ばれるものの一つに「蟹」がありますが
これはもともと筆架・文鎮を蓋置に見立てたものです。
足利義政が慈照寺の庭に十三個の唐銅の蟹を景色として
配置し、その一つを武野紹鷗が賜って蓋置として用いたことが
蟹蓋置のはじまりといわれています。
この蟹蓋置が後に遠州公に伝わり、七代目宗友政方の代に
酒井家に渡り、酒井宗雅がこの写しを13個作ったと箱書きに
記しています。
また昨年、宗実御家元は華甲を迎えられました。
この華甲とは昨年にもご紹介しました通り、
蟹の甲羅は干支の最初である甲を想起させることから歳を表し、
華の字は分解すると六つの十と一となることから、還暦を表す
言葉として用いられます。
その華甲にちなんだお道具として、菊と蟹をあしらった
「交趾臺菊蟹香合」や高台を六角形にした沓形の御所丸茶碗を
好まれています

茶の湯に見られる文様「竹・笹」

2017-7-28 UP

ご機嫌よろしゅうございます。

七夕の頃には「笹の葉さらさら軒端に揺れる..」

と歌われ、夏には笹や竹の風に吹かれる音が

爽やかに耳に届きますが、七夕の飾りや短冊を

笹竹に飾る風習は、もともと盆に先立ち精霊の

訪れる依代として立てたことに由来します。

またお正月には門松として竹を用いるなど、竹は

神の依代として欠かせない存在です。

文様としては松・梅とともに三友と呼んだり、

その高潔な姿を君子にたとえ四君子(梅・菊・蘭・竹)

と称されてきました。

以前ご紹介した名物裂の「笹蔓緞子」の文様は、松竹梅の

意匠化であり、茶人に大変愛された文様で、笹蔓手として

類裂が多く作られました。

また、冬の季節には雪との組み合わせで描かれた「雪持竹・笹」

などの姿で好まれて佂や茶器などに多く描かれています。

茶の湯の道具としての竹も、「竹に上下の節あり」と

あるように、その精神性からも非常に密接なつながりの

ある素材として親しまれてきました。

竹の花入や茶杓は、他の道具の中でもとりわけ作者の

人となりを表す道具として扱われます。

遠州公が削った茶杓にこんな歌が添えられています。

歪まする人にまかせてゆかむなる

これぞすぐなる竹の心よ

しなやかな中に、決して折れない真の強さ

竹の心が詠まれています。