正快 号・宗有 瓢庵 明治42年4月23日(52才)
安政5年(1858)宗本46歳の時、江戸屋敷において誕生。幼時より祖父宗中、父宗本より茶法を伝授されていたが、7歳で父を、10歳で祖父を亡くしてからは、小堀家の茶頭である和田晋兵衛と共に研鑽を重ね 、遠州以来の茶法に通じ、点法書を記してその茶法を伝承している。
11歳の時に明治維新を迎え、茶道界も一時衰退の状態となったが、枢密顧問官の石黒況翁の勧めで、小堀家に伝承した流祖以来の茶道を一般に公開相伝する決意をし、遠州流茶道普及に専心した。
第2回観古美術会開催には、佐野常民伯爵の依頼もあり、小堀家伝来の器財を展観し、臨席された親王殿下、妃殿下などに御茶を供し、遠州の茶道を披露して名声を博した。
瓢庵と号し、明治42年52歳で没した。