釣り忍
2021-9-1 UP
今年の夏は私たち日本人にとっては、特異な夏となった。新型コロナウイルス感染症のパンデミックのなかに行われる東京2020のオリンピック・パラリンピックを始め、例年に増しての暑さの厳しさ、自然も人間の思考形態もなにもかも異常といわざるをえない。この文を書いているのは七月中旬であり、五輪競技はまだ始まってはいないが、おそらく熱中症などでアスリートの方たちはかなり苦労するであろう。生命の危険すら心配される。日本国中で、またぞろ論議を呼ぶに違いないが、はたして無観客という形式を引き換えにしてまでの開催の意義と理由は、私には見つけられない。最初から議題の俎上〔そじょう〕に載せることすらなかったということなのであろうが、あと一年、いやもしくは前回と同じ十月、つまり今年の秋への延期という英断を、大会運営に携わる誰かが主張すれば、形は変わったかもしれない。メジャーリーグのオールスター戦や、イギリスで催されたサッカー欧州選手権の来場客の熱狂ぶりを映像で見るたびに、声援のない競技場で各種目を行うことにした今大会の運営判断には無念としかいいようがない。あと少しの我慢と粘りが、日本国民をもっと幸せな気持ちにさせ、喜ばせたに違いない。アスリートファーストを標榜するならば、選手たちには余計な心配をさせてはいけない。今回のことは、ある意味で今後の日本のあり方にも大きな影響があると気にかかっている。
さて、後述するが、あまりの暑さに、自然界でも常とは異なることが起きてくる。一般に梅雨明けと同時に蝉が一斉に鳴きだす。さらにじりじりと照る太陽の光、風鈴の音色などが夏の風物詩といえよう。また、ときおり夏の挨拶として頂戴する釣り忍も懐かしいものである。子供のころ、舟形の釣り忍に、父が毎日たっぷりと水を与え軒先につるした風景は、いまも強く記憶に残っている。と同時に、私にとってシノブと呼ばれるシダ(羊歯)植物は、とても神秘的なものに感じられた。
以来私はシダ類に興味を持ち、大学生になるころまでは夏休みに蓼科の別荘に行くと、よく裏の山の中に入ってシダ植物を採取して、家に植えたりした。もともとシダ類は地球が誕生して陸上で初めて繁殖した歴史があるので、種類はどのくらいあるのかはわからない。とにかく、どこにでもあるので、私も何回か、それらを用いて釣り忍をつくろうとしたが、上手にできなかった。地植えにすれば簡単に増えてくるのに、やはり手を加え熱心にするということが大事なのである。そしていつの間にか、私のシダ熱も冷めて、今では人から頂戴する釣り忍待ちである。
いつもと今年は違うと思ったことは、実は鈴虫である。前にも書いたことがあるが、これもまた頂き物である。ところが今年は、梅雨明け前、蝉の鳴く前からわが家の廊下で大合唱である。秋の虫ならぬ初夏の虫と、この猛暑で変容したのかもしれない。