継続

2021-4-1 UP

 先月号は決断について書かせていただいたが、その際、決断には、失うものと得るものの両面がともなうものであると述べた。ここでいう失うものとは、常日頃、当たり前であると考えていたことができない、あるいは、それをしないと選択するという意味を含んでいる。今まさしく、私達は日夜、その選択を迫られる状況下にある。

 茶の湯の世界には、毎年恒例の行事が、季節ごとにたくさんある。特に宗家においては、永代にわたり継続されてきたものは多い。言い換えれば、その継続こそが財産であり、宗家を精神的に支える柱である。

 そもそも継続を大辞林で引いてみると

 一、前からの状態が続くこと。また続けること。

 二、受け継ぐこと。継承。

 とある。これを見ても、私が宗家として活動している中心は継続であるといえる。ただし継続と聞くと、単に古いものをくり返すように思われがちであるが、常に新しい思考をもって行動をするという姿勢を持ち続けるということが大事である。よく伝統とは改新の連続であるといわれているのがこれである。

 さてこの継続の前段階にあるのが、習慣とか日課といわれるものである。現在の言葉で判りやすくいえば“ルーティン”である。手順が決まっているもの、お決まりの所作などがそれである。これは誰もが日々の生活のなかで、ごく普通にしているもの、例えば朝、起床して、洗顔をして、歯を磨くなどの一連の行動がその代表といえる。こういった無意識の生活習慣に加え、最近では新たに、自分はこうありたい、こうあるべきという目標を達成するための一助としてルーティンを取り入れることも多くなった。アスリートの多くが、毎日の生活をルーティン化し身体の変化を敏感に察知する、あるいは経営者の人達もルーティン化に熱心であるようである。

 これら習慣化されたものが、どれだけ継続できるかというのが最終的な問題となると思う。なぜならば、特にルーティンは、自分だけのという側面があり、その部分が強ければ強いほど、自分にとっての意味が深くなり重要となるのであるが、一方で誰にも知られない分だけ、するかしないかもその人の判断になってしまうからである。

 こう考えていくと、日頃なにげなくしていることや、明らかに意識的に行っているものは数多く計り知れないのであるが、それをいかに継続していくか、結局、本人次第である。決めたことは最後まで継続する、その心意気を持ちたいと思う。  終わりに、二月号でお約束した「点初めに代わるおもてなしの茶会を行う」という決意は、先頃のライブ動画配信で幾分かは果たせたかと考えている。今後も常に前を見て取り組む姿勢を継続していきたいと思う。