窓
2021-12-1 UP
一年を締め括る季節になった。この頃になると、あっという間と感じるか、ようやくと感じるか、人それぞれ、年齢、立場、環境などによってさまざまである。昨年から引き続くコロナ禍の一年間、活動が縮小され、日々の時の過ごし方が大いに変容した。なにもできないのに、一日一日がどんどん過ぎてしまう、不思議な一年でもあった。
一方、10月に入ってからの感染者数の激減には、多くの日本人が、ようやくと感じていると思う。この状況のままということは難しいかもしれないが、私達一人ひとりで守るべきこと、協調すべきことを考えるときである。
振り返ると昨年との大きな違いは、点初めの有無である。有るか無いかでは、一年のスタートの感動が違う。昨年何も判らないままパンデミックの中で身を潜めながら、対策を考えに考え抜いて開催の判断をし、年越しした上での中止は、かなりの喪失感があった。無念の思いというより、それ以降の見通しが全く不明になったという感覚であった。これから一年がどうなっていくのか、大いに不安な気持ちになった。一晩寝て三日の朝、私の頭に「点初めライブ配信」というアイデアが降りてきた。昨年から取り組んでいるオンライン茶会「温茶会」の豪華版である。落ち込みから復活した私は、七草粥を食べた後で、今年の茶杓の初削りをした。お題にちなむ歌銘も「去年今年 望の懸け橋 新しき茶の湯に託して 明日の実りを」とした。昨年の御題「望」と今年の「実」を入れ、「今年中にはこの時期の茶の形式をつくり将来へ」という心を込めた。その後、何回となく発出された緊急事態宣言のなかで苦闘を繰り広げた。
その結果、この10月23日から25日にかけて、岡山支部担当の全国大会の開催に至った。これは嬉しい限りである。一年延期を耐え忍んだ岡山支部員と、遠州流茶道連盟事務局の尽力の賜〔たまもの〕である。参会客の明るい笑顔に出会い、茶会の持つ力を再確認した。
さて来るべき令和四年の御題は「窓」である。窓は日常生活のなかで、空けたり閉めたりするものである。そういった意味から派生して心の窓という表現もある。心を閉じがちであった今までの状態から、来年は是非オープンに、全てを明らかにしていく気持ちで臨みたいと思っている。窓は内から外を眺めれば、外で起きていることを冷静に観察できる。外界から内側にはなんでも取り入れていく気持ちを持てばよいと思う。それを受け入れ身につけて充実した一年にしてゆきたいものである。この一年、お疲れさまでした。
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追記 昨年の春、学習院大学を卒業した長男正大は、4月8日から龍光院小堀月浦老師の膝下で修行、本年宗以の名を授かり、その後本人の意思により4月1日に大徳寺僧堂へ掛塔〔かた〕して今に至っていることをご報告申し上げます。