畳の上
2022-9-1 UP
毎月、この不傳庵日記の書き出しには、けっこう頭を悩ませている。ありきたりな各月の季節的なことにするか、あるいは世の中でいま起こっていることを取り上げるか、あれこれと私なりのレベルで考えるのである。季節といっても、私の場合は二つの視点から言葉を選べるので助かっている。一つは当然のことながら、春夏秋冬、つまり四季の変化にふさわしい言葉。これに最近は、異常気象とか、温暖化などの変化が加わって幅が広がったというか、常套句だけではない表現が多くなった。もう一点は言うまでもない茶の湯のおりおりの言葉である。聞いたり読んだりすると、おのずから茶席の風景が想起されたり、点前座の置き合わせが目に浮かんだりする。いずれにしろ日本の国の文化は、恵まれた自然環境に根ざすものが多いから、季節は情緒豊かな雰囲気に導いてくれることが多い。だから政治・経済の問題を冒頭にもってくることはできるだけしないようにしている。
さて先月少し触れた小津安二郎の映画であるが、ほぼ私が生まれる前や、ごく幼いときのものが、なぜ私の心をとらえたか?それは前述した「小津調」なるものに含まれるのかもしれないが、言葉の美しさであると思う。かつての日本語は、これほど丁寧であったのだと感心させられる。
そして演じる役者の所作の一つひとつ。現代の日本とはすでに住宅環境が違うから、ひとえに昔だけがよいというのではないが、決定的な差異は、畳の有無である。つまり外出から家に戻ったとき、椅子に座るか畳に座るかの差である。これによって体の動かし方に相当の違いが生じるし、目の高さ、視線にも大いなる影響がある。家具の置き場所も異なり、壁に掛けたりする物の位置も自然と見やすい高さ、取りやすい位置になってくる。さらに、着るものが、人の動きに変化をもたらした。昭和三〇~四〇年代初期は、男性は帰宅すると正式なものではないが着物に着替えている。おそらくそれが、一家の長、あるいは主人としての形だったのかもしれない。女性の方は着物(といっても作業しやすい絣のような素材)に割烹着姿も多かったと思う。裾捌きや袂の扱いなど、男女ともにいまとはずいぶん違っていただろう。こういう日常生活のなかでこそ、所作という表現がふさわしいのかもしれない。
この畳の上で、茶道はさらに作法としての振舞いが加わる。かなり前に、私が一〇〇年後の日本に残したいものとして、畳の縁〔へり〕と答えたことがある。縁を越えるときの足の捌きの動作に、人としての節度やけじめ、敬意など大切な意味がたくさん含まれているからである。
いま、世界中があらゆる面で大きく変化している。そういうときだからこそ、日本人は美しく振舞いたいと思うのである。