清窓浄机
2022-2-1 UP
令和四年の正月は、どのように迎えられたであろうか。和やかに、穏やかにという思いは年々歳々強くなっている。私自身が、年齢を重ねてきていることもあるが、やはり、一昨年来の私達にとって最大の問題である、新型コロナウイルス感染症の影響と世の中の状況に、平和を願う気持ちが増してくるのはやむを得まい。
年末から年頭にかけて私は本年の歌会始のお題「窓」について、多くの機会で発言したり著述したりさせていただいている。閉塞感を感じていた日常から、窓を解放してフレッシュな空気を取り入れ、新鮮な心持ちで物を考え新しいことを創造する姿勢をもつ一年でありたいと考えている。
私の好きな言葉に「清窓浄机」という四字熟語がある。日の光が窓から差し込んで部屋を明るく照らしだし、そこには塵の一つもない机があるということを表している。つまり清潔で集中して勉強できる状態を意味している。同義語には「明窓浄几」がある。
そしてこの言葉を、単に机が汚れていないことと思わないでほしい。周辺が綺麗であるとは、部屋のことではなく、自分自身のことであるととらえる姿勢が肝要である。私が以前門人の方に、掃除をするという本来の意味は単に周りを掃き清めるのではなく、一つ一つの動作をする自分の心の内を磨くことに通じていると話したことがある。茶の湯の点法で、帛紗を使って茶入や茶器を清めるのは、単に道具を清めるのではなく、清める動作をする本人を清めているのと同じである。
本年の点初めには、こういった思いをもって臨んだ。もとより床の間の掛物は何にしようかと第一に考えるものである。私には二通りの禅語が頭に浮かんだ。一つは「明歴々露堂々」であり、もう一つは「放下著〔ほうげじゃく〕」であった。どちらも窓についての私の考えに合致するものではあったが、その気持ちを強くするのは「放下著」であった。遠州公と最も親交の深かった大徳寺百五十六世の江月宗玩禅師の横一行書である。その三文字の筆致の力強さはいうまでもない。向栄亭の床の間には、サイズ感もピッタリである。表装も色糸入上代紗で、正月に文句ないものである。前年一二月に、あらかじめ一度床の間に掛けると、さらに思いがけない驚きがあった。それは三文字の脇にある小書きである。内容は省くが、その細字のなかになんと今年の干支の寅と通じる虎の一文字があったのであった。こういうことがあると本当に嬉しい。茶の湯の取り合わせの醍醐味でもある。