歴代の遺すもの

2023-8-1 UP

 4月22日の亡父 紅心宗慶称名忌(13回忌)を滞りなく勤めた後、翌日には京都へと向かった。24日に、孤篷庵で開催される松平不昧公の追善茶会に参加するためである。ご承知のように、出雲の太主、不昧公は、茶道具収集に大変熱心であった。その原点というか、お手本になったのは遠州公である。『雲州蔵帳』という茶道具の一大分類をされた功績は大きい。『遠州蔵帳』とならび、現在の茶道美術界において名物といわれる道具や価値などの一つの指標にもなっている。不昧公も遠州公の綺麗さびに憧れ、そしてそれに倣〔なら〕うことも多かった。孤篷庵がかつて焼失した後の復興には多大な力を添えている。4月24日は、偶然にも亡父の命日でもある。時代を越えて、茶道具の目利きであり収集に心を注いだ両人の命日が同じというのも不思議な縁である。

 翌25日は名古屋へと移動した。翌日の名古屋遠州茶会の準備のためである。数えて29回目、コロナで4年ぶりの開催である。この茶会は、名古屋美術倶楽部の世話人の方々が釜を掛け、濃茶席では私が濃茶点法をするというのが恒例になっている。その経緯(いきさつ)は省略するが、毎年のこととはいえ、私にとっては結構な仕事になる。今年は14回ほどお点法をした。最後の席の後は、達成感とともに、膝や脛にかなりの疲労も残る。しかしながら、参会客の笑顔のほうがそれより勝る。茶会の醍醐味ともいえる。 この茶会が終わると、すぐ孤篷庵での遠州忌茶会が待っている。こちらは、私の主催である。今年は紅心宗慶13回忌と、大膳宗慶350回忌の年である。前に書いたとおり、流祖の遺徳を偲びつつ、今年はこの遠州流の歴代でも重要な二人の遠忌でもあるので、そこにも取合せという形で配慮をした。正月からいろいろ考えて、1月は何々、2月には……、3月にはあれがぴったり、等々といった具合である。それにしてもありがたいと思うのは、小堀家歴代の人たちは、ずいぶんと優れた遺稿や書き残したものが多いということである。例えば百人一首などでいえば遠州直筆のかるたや、各代の書が帖としてある。これはある意味、定家様〔よう〕の人それぞれの差異を判断するのにも役に立つ。有名な、小堀遠州が東海道の往復を書いた「道の記」も、2世宗慶、その弟の権十郎篷雪や十左衛門政貴がそれぞれ書写している。一軸だけを見ると、これは誰かと迷うこともあるが、並べると同じ書風でもやはり字の当たりや癖などが微妙に違うのである。今年はそういった意味では、特に大膳宗慶公のものを拝見する機会が多い。幼少から、寛永の三筆の一人、松花堂昭乗に手習いを受け、八歳の時には御所において後水尾天皇、東福門院の前での御前揮毫の栄にあずかったのは、つとに有名な話である。父はその名を継承するにあたり、小堀家で最も能筆家であった大膳宗慶を手本にし、そして最終的には歴代一の名筆になっている。私にとっては重いテーマの一つである。