未曾有

2024-9-1 UP

 今年の夏の暑さは、私の生きてきた人生の中で、未曾有のことといってよいほどの苛烈なものであった。もとよりエアコン嫌いの私は、就寝時はクーラーを停めていたが、今年に限っては停止することはほとんどしていない。


 自宅に限らず、出張時、宿泊先のホテルにおいては必ずエアコンを停止させて眠りに就いていた。それは寒がりで、空調がどうしても効き過ぎるのと、もともと喉が弱いこともあり、つけたままでいると、乾燥のため、翌朝喉が痛くなるのである。そして喉の痛みが、その他の体調不良をまねく原因になる。それを防ぐためには、マスクをつけて休むことにしており、それは二十年以上前からの習慣となっている。しかし今年の熱帯夜ではそうはいかなくなった。従って家では寝間着ではないやや厚着の格好でベッドに入るし、ホテル等では、備え付けのパジャマや浴衣以外に、持参した衣類を下に来てから浴衣をはおっている。そうすると翌朝は、喉は問題ないのであるが、身体は汗がびっしょりとなっていることが多い。おかげで、一泊なら二泊分、二泊ならば三泊分と、着替えが一日分多くなり、どうしても手荷物が増えてしまうのが昨今である。


 ところが、不思議なことに、稽古の着物などはその滞在日数分でこと足りている。幸いにも稽古場では、あまり汗をかかないのである。これは、きっと昔の訓練が今でも役に立っているのだと思う。先月号に少し触れたが、以前は汗をかかないようにするための方法をいろいろ考えていた。そうなったのは、若いときに夏、お点前をして汗びっしょり、たらたらとなっていた時に、父に厳しく注意されたからである。一番簡単に思いつくのは、水分を抑えることであったが、実際そうしても、必ずしも汗が止まるわけでもなかった。また現代の熱中症の危険性を考える時代には、まったくするべきものではないだろう。となれば、古くさいかもしれないが、つまるところは心の問題のようであると、考えるしかないかもしれない。自分が未熟であったり、緊張したり苦手なことがあると、人間は汗ばむものである。脂汗や冷や汗という言葉がすぐ思いつくように、これはどちらかといえば人間の感情に起因するものである。であるならば、私達はお茶を点てるために点前座に座るときには、いつでも安定した心を持たなければいけないという話になってくるのである。


 茶道を学んでいると、そこでさまざまなものに出会うことはご承知の通りである。暑さや寒さ、静けさや湯のわく音等々、自然のなかで感じられるものを、茶道ではあるがままに受け入れたり、あるいは意図的に提供する両面がある。それは視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚への思いの投げかけであるともいえる。暑さの中でいかにして涼を感じるように工夫するか、それを考えることこそ、茶道の豊かさである。


 今年の暑さは、また来年にはどう変化するであろうか。今から備えるべきと、大自然は私達に教えているように思えてならない。