年齢
2022-11-1 UP
ようやく秋めいたと思った途端に冬支度。ぼやっとしていると、あっというまに師走、年の瀬も迫ってきてしまう。私自身、この九月には六十六歳となった。その昔は六十を超えればお爺さんと呼ばれた。しかし、私の父、紅心宗慶が還暦になったときには、そう思うことはなかった。むしろ先代の全盛期はまさに六十代であったといま思う。そして七十を超えたころからは、老境へと向かっていたような気がする。
さて、私はどうであろうか? とてもお爺さんとは思いたくもないが、はたしてそう言い切れるものか、最近とみに考えるようになった。私にとって一番比較するのは、やはり先代である。学校時代の同級生と一年に一度会う機会があるが、これはあまり参考にならない。人により環境が異なるからである。そういう意味からしても、同じ仕事、同じ立場にいた姿を、自分の目で確〔しっか〕と見ていたのは父以外にいない。茶の湯者として、同じ所作(つまり多くはお点前をさす)をすることが多い。しかも、同じ点前座にいて、同じ茶道具を使用して茶を点てる。となれば、あとはそこに座っている人間の違いである。帛紗の捌き方、茶筌通しの間〔ま〕、茶巾のたたみ方、柄杓の湯の汲み方、湯の注ぎ方など、遠州流の点前であり、まして宗家であるということは、寸分の違いもないという考え方もある。しかし一方では、体の大きさ(先代の方が大きい)、体の柔軟さ、年齢の重ねにもよって同じ人であっても様子に変化が出るのであるから、もちろん違いのあるのは当たり前という捉え方もできる。まあ、もう一つ言えるのはビジュアルの違いということか(これは自分で言うべきものではなく、他の人の好みかも)。
点前だけでなく、例えば字を書くときの姿勢等も比較の対象になる。先代は六十代前半までは、書きものはほとんど畳に座っていた。その後は書斎に作り付けのテーブルで書くことが多くなっていった。いま、まさしく私がこの原稿を書いている(私はいまだ原稿は手書きで、父が残した膨大な量の原稿用紙を使用している)のは、そのテーブルである。でも、書いている姿は、他の人がもし見たとすると、父の方が美しいだろうと思う。これ以外でも、和歌を詠んだり、茶杓を削ったり、香を焚いたり聞いたり、日常的に同じことをすることは、父と私の場合、けっこう多い。そういったときに、私の頭の中に父の姿が甦ることがある。あれは格好よかったなとか、またその逆もある。そして自分を振り返ると、いまの年齢が、果たして若いのか年をとったのか、よく判る。イメージ通りか、はたまた嘆かわしい状態になっているのか。こんなことを考えるようになったということは、やはりそれなりの齢になったということなのであろう。年末に向かってもう一度、フレッシュな気持ちで頑張りたいものである。