年末から新年へ
2025-2-1 UP
令和七年の皆様のご多幸をお祈り申し上げます
毎年のことではあるが、年末から正月にかけては、なにかと忙しい。大掃除や新年の飾り付けなど、自らの身体を動かす作業と、あれこれ頭を働かすことの両面をフル回転するのが常である。
除夜釜の取合せは、その年の振り返りと翌年へのバトンの受け渡しを、茶道具を以て表現するのだが、これは結構、行ったり来たりと頭脳を悩ますものである。これで万全と一旦収まっても、最後に思いもせぬ偶発的なことを見つけて、それを取り入れることによって、もう一度仕切り直すこともある。もちろん、点初めの道具組みも同様である。というより、私にとっては年初の心意気を示しながら、大勢のお客さまにお慶びいただきたいという気持ちが強いので、当然点初めのほうの比重が大きくなる。
そういうなかで、今回はこんなエピソードがあった。
令和七年は、何度も周囲からいわれているように、私は古稀ということになる。実際は68歳であるが、数え年という訳で、逆らうこともできない。本年の私の年間予定は既にぎっしりと埋まっているのであるが、なかでも私にとって初めての行事は、寛永寺創建400周年慶讃記念献茶式の奉仕である。このことで私がさっと思いついたのが薄茶席の茶杓であった。それは、遠州流八世和翁宗中公に指導を受けた田村堯中作の品である。堯中は、上野寛永寺の代官であった人で、宗中門人のなかでは特に有名な人である。実は30年位前に、堯中が70歳の時に削った茶杓を入手して、古稀の時になったら使おうとずっと蔵の中に収めていた一本である。それを、今年に両方の意味合いをもって茶会に使用できるのは、なんとも不思議な出来事といってもよい。
さて、そうして正月使用の茶杓は決まっていたので、除夜はどうするか。前述のように、旧年と新年を繋ぐなにかが欲しい。そこで考えたのは、昔から家伝の堯中の茶杓である。これは五本入りの作で「本」「来」「無」「一」「物」と、それぞれ筒に本人の書き入れがある。どれにしようか、年末だから最後の「物」にするかと箱から取り出すと、なんとその筒には「物」の字の下に「堯中六十八歳造」と書いてあった。
これには私は本当に驚いた。こんな偶然があるだろうかと。ちなみにほかの四本の茶杓の筒を確認すると、単に堯中造とのみの記載であった。なにげなく最初に思いついて取り出した茶杓が、私の実年齢とピッタリと符合したのである。これだから、茶の湯は楽しいと感じた瞬間であった。