姿勢
2021-7-1 UP
ものごとを途切れさせることなく継続するための方法の一つとして、私は工夫という手段をとると先月号に書かせていただいた。工夫は人それぞれであるので、考え続ける気持ちを持つということにこそ意味がある。なにかと家に籠りがちのいま、後ろ向きにならず、消極的な考え方に陥らないように心がけたい。
取り組み方も様々である。私の場合はどうかといえば、まず一番には姿勢である。前向きでいるためにも姿勢は重要だ。人間は身体の姿勢が正しくないといけないと思っている。
猫背になるとしっかりと自分の正面にある風景をとらえることができない。前のめりとか前かがみといったことは必ずしもすべて悪い意味ではないが、過度になってはいけない。良い姿勢とは、背筋を伸ばすことでもある。この表現は、単純に身体だけでなく、心や精神性にも共通するものである。健全なる肉体には健全な魂が宿るといわれるゆえんである。
身体面においても心においても、姿勢が整い、形が決まってくると、その後の動きや考え方を自在に変化させることができる。
身体のほうで考えてみる。たとえば茶道のお点前は、手足の動かし方や帛紗捌き、茶筅通し、柄杓の扱いといった定まった形、つまり一般的にいうところの型というものがあり、これにお点前の手続き、わかりやすくいえば順番が加わることで成立している。日常の稽古の繰り返しでここまでは身についてくる。
そしてこれ以降が本当の修業ということになる。定型をきっちりと理解したあとに、経験が積み重なることによって、その他の要素をどのように理解して取り入れていくか、無礙自在〔むげじざい〕の境地が理想である。茶道の点前は、それほど動きが大きくないので、すぐに結果が見えるわけではない。古い例で恐縮だが、名人といわれた歌舞伎の六代目菊五郎の解釈、十五世羽左衛門の華などというものが、その後を担っている役者に継承されているのと同様に、茶道でもそうありたいと考えている。
私は、遠州流茶道の宗家という立場であるけれど、流祖遠州公のお点前を見てはいない。私のお手本は先代紅心宗慶宗匠だけである。それも、私が点前というものを理解し始めたときから、先代の六十代以降、七十代、八十代、最晩年という限った年数である。
一方お点前に関しては、古文書が残っており、また現代も新しい教本ができている。
これらをよくよく考察、理解して、自分の姿勢というものが完成していくのであると思う。
緊急事態宣言をはじめ、私達は昨年来、本当に長いトンネルのなかにいる。この原稿が読まれるときに、東京オリンピック・パラリンピックがどうなっているか判らないが、いまに至るまでの日本の国の姿勢には、怒り、悲しみ、さらに多くの感情がわいてくる。その苦悩のなか、私達は正しい姿勢をもち続けたいと思う。