初めてのこと
2023-9-1 UP
今年の夏は、いままで私が経験したなかでも、一番暑いに違いない。年々避けて通れないと頭では判っていても、自分自身の肉体が、そこまで理解して対応してくれないので、精神的にも堪える毎日である。暑さに関しては、全ての人々に共通しているはずで、言葉やスローガンではなく、全人類をあげての温暖化対策を緊急かつ効果的にとらなければいけない状況になってきていると思う。
例年、鈴虫を夏に送っていただき、その虫の音を楽しんでいるのだが、今年はいつもよりも早く届いた。あらかじめ虫篭(とはいっても、昔の風情ではなくプラスチックケースではあるが)にすべてがそろった形で宅配便で送られてくる。ケースを取り出し、私が餌を最初に与えて、家の中の少々薄暗い場所に置き据えると、やや間をおいてからリンリンと虫の音を奏でる。こういう形で来るわが家の鈴虫は、夕刻を待つことなく、一日中、朝から夜まで休むことなく鳴き続けるのである。餌は概ね胡瓜で、ときには茄子をあげることもある。今年は結構な数が入っていたので、餌の消費も例年より早く感じた。一日中休むことなく鳴くためなのか、わが家の鈴虫たちは9月、秋の声を聞くまでにほとんどがその寿命を終えてしまうことが多い。最後は、メスだけが生き残るので、その数匹はいつも庭の方へ放って自生の道を歩んでもらっている。
さて5月14日は京都孤篷庵での遠州忌であったが、今年は山雲床の濃茶席を私が掛けさせていただいた。例年は世話人の方が一席設けるのであるが、都合により宗家掛釜となった。山雲床は11月の江雲会では濃茶をした経験があるが、風炉の季節、特に初風炉の席持ちは、先代の頃にもなく、正真正銘、初の席主担当である。本年は大膳宗慶三百五十回忌と父、紅心宗慶の十三回忌。この年に濃茶をするのはなにかの巡り合わせである。その意にかなった道具組ができたつもりであるが、皆様にはぜひ会記を読み解いてほしい。そしていつもの其心庵は父の十三回忌に特化した薄茶の取合せにした。先代の好みを中心に、なかでも現在の樂直入氏の造った茶碗をそのなかに取り入れた。この茶碗は、黒楽でも赤楽でもない礫釉という白い釉薬を使用したものである。その製作のいきさつについてここに紹介する余裕はないが、初めて遠州流の宗家が造った楽茶碗である。そして私は、その父の思いを受ける形で、今回それを用いたのであった。宗家としてこれもまた初めて茶会記に掲載されることとなった。遠州公が楽を用いない理由は考察はできるが、それよりも現代に新たな試みを行った紅心宗慶の志の意味が大きいと思う。今年の正月以来、十三回忌をなにかしら意識していた私も、だいたいこの茶会の取合せで一段落したという気持ちである。