ハイかスローか?
2021-10-1 UP
新型コロナウイルス感染症と、それに伴う緊急事態宣言の繰り返しのうちに、早くも十月を迎えることになってしまった。年齢を重ねると時の流れを速く感じると、昔からいわれていることではあり、私自身も実際に、この十年間はまさにそう感じていた。
しかし、去年から今年にかけては、いままでの感覚とはいささか異なってきている。以前はスケジュールの過密と、仕事を成し遂げた達成感と、気力の充実からくる時間の経過の速さであった。ところが、昨今の場合は、何事も未達成・未消化によることに起因する時間への感じ方である。日常のペースが異様なまでにスローダウンしたことで、いつの間にか月日が過ぎているといった捉え方であろうか。従って去年と今年では、私の中ではずいぶんと違っている。去夏は、忙しさに感〔かま〕けてさぼっていた身の回りの整理整頓や、蔵の掃除など、いろいろ片付けるものがあった。しかしこの夏は片付けるものがなくなったとはいわないが、それほど熱心に取り組まなくなったとの反省の思いが強い。
昔から忙しい人ほど、時間をつくるのが上手いといわれている。私もその一人であるという自負があった。人に、自分の好きなことや得意にしているものについて語ると、「いったいどこに、その時間があるのか」と尋ねられることも多々あった。しかし最近は、時間の使い方がむしろ下手になったような気がする。外出が少なくなった、控えるようになったことも、その原因の一つである。
私はせっかちな性分と、効率よく無駄なく行動したいという性格が相まって、時間に関しては一分一秒を気にする方である。そして一分一秒でも早く取り組んで、あとにわずかでも時間の余裕をもちたいと思う方である。わかりやすい例えが、新幹線の使い方である。これはもちろん、一人での場合であるが、一本でも早い便に乗ろうといつも時刻表と睨〔にら〕めっこしている。それがたとえ三分程度しか違わなくてもその姿勢は変わらない。余った三分をどう活用するかという方に、私の気持ちは既に向かっている。
そのせいで、以前失敗したことがあった。地方の支部出張に行った際、すべての行事を終えて駅に到着。何人もの方々とともにホームに上ると、一本前の列車が停車中であった。地方に行くと、乗り遅れるといけないという周りの方の配慮から、時間に余裕をもって出発駅に向かうことが多い。そこで私は、見送りの人達をたくさんホームに待機させては、という気持ちと、ふだんのことから一本前に乗車して皆さんと別れた。
ところがあとから聞いたところ、私の乗るはずだった列車の時間に合わせて駅に到着した先生がいらしたとのことであった。大きな枠の中での活動には配慮しなければいけないということを学ばせてもらった。
さあ今年も残り数ヶ月。ハイかスローか、どうなっていくのであろうか。