ご機嫌よろしゅうございます。
今日は五節句のうちの一つ、「端午の節句」です。
詳しくは昨年もご紹介しましたが、鎌倉時代から
男の子の節句として祝われるようになった節句です。
また男子の出世を願って「登竜門」という言葉もかけられます。
今日はこの「龍」の文様をご紹介します。
中国において龍は権力の象徴であり、皇帝を示すものでした。
日本には弥生時代、稲作とともにその図像が流入し、
以後水の神として崇められたり、時に人に仇するものとして描かれ
様々なお話に龍が登場します。
一口に龍といっても、その種類は実に多く、中国における龍の
存在の大きさを物語っています。
裂地においても、龍は牡丹唐草に次いで数の多い裂地で
文形は小形の角龍とやや大きい丸龍形式に大別されます。
中興名物「相坂丸壷茶入」の仕覆「逢坂金襴」は綺麗さびを
体現した美しさで、雨龍と七曜、霊芝文が施された吉祥文様
になっています。他に珠光が好んだと言われる竜三爪の
「珠光緞子」が遠州好・高取「下面」茶入の仕覆として、
祥雲寺金襴と片身替で用いられています。
また「龍」で思い浮かぶ茶の湯の道具といえば「雲龍釜」でしょう。
「茶話指月集」には「雲龍釜」がはじめてできたとき、利休が
気に入って釜をかける姿や口伝が記され、茶会で「雲龍釜」
をよく使用しています。
釜から立ち昇る湯気に、天を昇る龍の姿を想起させます。
ご機嫌よろしゅうございます。
「夏は青葉がくれのほととぎす‥」
と遠州公が書き捨ての文に記されていますように
新緑の眩い季節にほととぎすの澄んだ美しい声をきくと
心が洗われるような清々しさを感じます。
遠州公の茶杓「時鳥」には
行きやらで山路くらしつほととぎす
今一声のきかまほしさに
の歌銘が添えられています。
茶席でほととぎすといえば、風炉の季節に花を咲かせる
「ほととぎす」も茶花としても茶人に愛されています。
また、小倉色紙の秀次の逸話を昨年ご紹介致しました。
初夏の季節、その姿や声に思い巡らせながら茶を
楽しむ様子が目に浮かびます。
その姿をしのび美しい声をきかせるように、ほととぎすの
文様としてはあまり姿を見せてはくれませんでしたが、
尾形乾山の作品に「定家詠十二ヵ月和歌花鳥図」という
角皿があります。江戸時代前期、古典復興が高まる中で
藤原定家の和歌に基づいた花鳥図が流行し、乾山は、
狩野探幽による和歌花鳥図を角皿に描いたと考えられています。
時鳥しのぶのさとに里なれき
まだ卯の花のさつきまつ頃
この歌はそのうちの一首で、井伊宗観好十二か月月次
(つきなみ)茶器の四月はこの歌から画題を得て卯の花と
ほととぎすが描かれています。
ちなみに井伊宗観は井伊直弼の茶名です。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は醒睡笑のお話をご紹介します。
「茶は眠りを覚ます釣り針である」という。
また「茶は食べたものを消化させる」ともいう。
吾門にめさまし草のあるなへに
こひしき人は夢にだに見ず
自分の家には「目さまし草」があるから眠れず、
恋しい人を夢にさえ見ない。などと言って、
人々がほめそやしながら茶を飲んでいた。
その末席に百姓がいて、「それなら、私たち百姓は、
一生茶を断ち申しましょう。一日中頑張っても、
その夜じっくり眠ればその心労も忘れます。
また、食べるのに事欠くことさへあるのに、
すぐ消化してしまうのではなんの役にたつのでしょう。
ああ いやな茶ですよ」と頭を横にふった。
そこで「憂喜依人(好き嫌いも人の境遇による)」という題で、
ますらをが小田かえすとて待雨を
大宮人やはなにといはん
農夫が田を鋤きかえして心配して待つ雨を、
大宮人は花が散るので嫌うだろう。と詠んだ。
何となく人にことはをかけ茶わん
をしぬぐひつつ茶をものませよ
花をのみまつらん人に山さとの
雪間の草の春をみせばや
千利休は「侘び」の本意として、この歌を常に吟じ、
心にかける友に対しては、いつも心してお忘れにならなかった。
契りありやしらぬ深山のふしくぬ木
友となりぬる閨のうづみ火
これは牡丹花肖柏の歌で、古田織部は冬の夜の物寂しいときに
この歌を好んで吟じられた。
5月 12日(金) 茶の湯にみる文様
「かきつばた」
ご機嫌よろしゅうございます。
端午の節句は、この頃に見頃を迎える菖蒲を
飾りに用いることから「菖蒲の節句」とも呼ばれ、
武士の「勝負」にかけられ男子の節句として祝う
ようになりました。
しかし菖蒲湯の菖蒲はサトイモ科で美しい菖蒲とは別物。
葉が似ていますが、蒲(がま)の穂のような黄色い花が咲きます。
そして花菖蒲と同様この時期に咲く「かきつばた」は、
その上品な出で立ちから画材や工芸品の模様として
多く取り上げられてきました。
染料として使われていたことから「書き付け花」がなまり
「かきつばた」となったとする説があります。
この「かきつばた」が描かれる作品としては「伊勢物語」
の八橋を題材とした尾形光琳の作品「伊勢物語八橋図」
「燕子花図屏風」など多くの作品が残ります。
旅人は直接描かれず、歌意を表す留守文様によって、
物語のイメージが膨らみ、見る者の想像を一層掻き立てます。
光琳の弟・乾山は「染付銹絵杜若図茶碗」をつくっています。
優雅に咲き誇る杜若を大胆な構図で描き、口縁に銹絵を施しています。
また、黄瀬戸茶碗には「唐衣」と銘をもつものもあります
5月 1日(月)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日から五月に入り、初夏の爽やかな風が
心地よく感じられます。
5月5日は端午の節句です。鯉のぼりや兜飾りなど
男の子の健やかな成長を願って飾られます。
本日の床の間は
床 鈴木其一筆
八幡太郎義家朝臣
花 燕子花
花入 真塗 手桶
江戸時代後期の画家で、酒井抱一の弟子である鈴木其一の絵です。
八幡太郎義家は源頼義の長男で石清水八幡宮で元服したことか
ら八幡太郎と呼ばれています。義家と家臣が空を見上げている
様子から、陸奥の清原氏一族の争いをおさめた際の戦いで、
帰雁の列の乱れを見て伏兵あるを知り、隠れ潜む清原氏
の伏兵を討ち取った逸話が描かれていることを想起させます。
床の間左側には御家元ご長男の節句の兜や人形が飾られています。
平成23年4月24日
御先代の紅心宗慶宗匠が逝去されました。
終戦後四年間、シベリア抑留生活を送り復員。
昭和37年に遠州茶道宗家家元12世を継承され、
書画、和歌、建築、工芸等様々な分野において
の幅広い活躍
平成13年元旦に宗実御家元に遠州流茶道を
引き継ぎ、後見を務められました。
当代ご存命の内に家元を引き継ぐ形は
当時大変珍しく、その様子はドキュメンタリーで
放映されました。
家元を引退されてからも、展覧会や書の個展を開くなど
その才能を発揮されご活躍されていました。
本日は七回忌にあたり、
昨日23日には御先代を偲び追善のお茶会が宗家道場にて
行われました。
ご機嫌よろしゅうございます。
暖かい 陽ざし お花見に繰り出して、花を愛でながらお茶を一服
お稽古場でも花びらにかたどられた愛らしいお菓子を愛でながら
春の設えのお稽古に励みます。
今日のお菓子は赤坂塩野製「花衣」
本来黄身餡で店頭に並んでいますが、宗家では小豆餡に変えて
作られた止め菓子です。
こちらでしかいただけない貴重なお菓子、心して頂戴します。
2月 24日(金)茶の湯と文様
「石畳文」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州流茶道に親しまれている方にとっては
馴染み深い「石畳文」をご紹介致します。
正倉院の錦や、平安当時の宮廷で官位の制によって
定められた文様である有職織物にも「石畳文」は
見受けられ、「露文」と表現されていますが、
これは字の如く小さな文様であったようで
遠州緞子として知られる「大石畳唐花七宝文緞子」は
5センチ程の桝に四隅に星を持つ七宝文と、三種の唐花を
配しており、江戸初期日本に渡ってきた際には
大胆且つ新鮮な驚きを当時の人も抱いたことでしょう。
他にも色縞に小石畳を地模様とし、その上に宝尽しを散らした
「伊予簾椴子」。こちらは遠州公が中興名物の伊予簾茶入の
仕服に用いたことからの銘です。
また、星の文様が入った「尊氏金欄」または「白地大徳寺金欄」
とも呼ばれる「釣石畳」などがあります。
石畳文といえば京都にある桂離宮松琴亭の
一の間の床の貼付壁と襖障子が思い浮かびます。
青と白の配色による大胆な大柄石畳文様です。
江戸時代には多様な種類の石畳文様が能装束や小袖に
見られ、当時の流行が伺えます。
江戸時代の中期には京都から江戸に下った歌舞伎役者
佐野川市松が、中村座での初舞台「高野心中」に
小姓粂之助役で着用した袴の柄が石畳の文様でした。
その若衆振りが大変な人気を呼び、それ以降石畳文は
佐野川市松の名をとって市松模様と呼ばれるように
なっていったと言われています。
2月 17日 (金)茶の湯と文様
「春日山」
ご機嫌よろしゅうございます。
春日山は春日大社の背景ともなる山で
春日大社は藤原不比等が、常陸の鹿島の神である
タケミカヅチノミコトを春日大社に迎えたことにはじまり、
その際神を導いたのが白鹿であったことから、
現在でも鹿が神の使いとして大切にされています。
筑前芦屋釜で利休所持と伝わる「春日野釜」があります。
真形鬼面鐶付で、地紋に春日の神鹿が表現されています。
一面に振り向いた牝鹿、それを追うような牡鹿が
鋳だされています。
他にも「春日山釜」など「春日野」や「春日山」が
単に鹿の文様の総称にもなっており、筑前、伊勢、博多の
各釜作地に遺釜をみるといいます。
また根津美術館所蔵の「春日山蒔絵硯箱」は足利義満遺愛の品で、
ゆるやかな山に鹿、月に秋草、紅葉を配したデザインの中には
「盤(は)」「こ・と・に」「け」「連(れ)」の文字が
葦手とよばれる絵画化した文字を潜ませる手法で表され、
「古今和歌集」の壬生忠岑の歌
山里は秋こそことにわひしけれ
鹿の鳴く音に目をさましつつ
を暗示させる、文学的趣向が込められています。
お勅題「野」にちなみ、今年は特に多く取り上げられる文様
でなないでしょうか。
2月 10日(金)茶の湯と文様
「鶯」
ご機嫌よろしゅうございます。
2月4日に立春を迎え、8日から七十二候の
「うぐいすなく」に入りました。
「春告鳥」とも言われる鶯の
新しい季節の到来を教えてくれる可愛いらしいさえずりです
香道具の一つに「ウグイス」と呼ばれるものがあります。
続後拾遺和歌集の中に
あかなくに折れるばかりぞ梅の花
香をたづねてぞ鶯の鳴く
という歌があります。
後水尾天皇の中宮・東福門院が、
使用済みの香包をさす竹や金属製の棒状の香串を
この歌から「ウグイス」と命名したといわれています。
画題としても盛んに取り上げられる梅に鶯の取り合わせは、「鶯宿梅」と呼ばれ、
物事の適切な組み合わせの例えにも用いられますが、
逆に正岡子規はこの組み合わせを安易に用いることを嫌い、
月並俳句として戒めるようになりました。
鶯の描かれている茶道具に仁阿弥道八の「錆絵竹鶯図茶碗」
があります。滴翠美術館の所蔵で、竹の葉と、
枝にとまる一羽の鶯が描かれた一碗です。