時の記念日

2014-6-10 UP

6月10日 時の記念日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月10日、時の記念日です。

671年(天智天皇十年)に、天智天皇が
唐から伝えられたという漏刻(水時計)で、
「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行い
宮中に時がつげられるようになった日が、
太陽暦に直すと6月10日だったという故事によるものです。

この時代に水時計の管理をしていたのは
陰陽寮の漏刻博士で、二人交替で水量を確認し、
鐘や太鼓で時報を鳴らしたそうです。

この記念日は大正九年(1920)、生活改善同盟の発意で
時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを
進めることを目的として定められました。

ちなみに時報のサービスは、
1955年(昭和30年)6月10日の
「時の記念日」より開始されました。

川越献茶式

2014-6-7 UP

6月7日 川越献茶式

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は埼玉・川越にてお家元の献茶式が行われます。

また6月15日には、恒例となりました「茶あそび彩茶会」にて
妖怪茶会・甲冑をつけての茶会などユニークな茶会も
催されています。

川越は、関東最古の茶の産地です。
平安時代には既にこの地に伝わり
鎌倉時代には明恵上人が河越の地に茶を栽植したとされ、
鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した「異制庭訓往来」
に全国の茶の産地の一つとして「武蔵河越の茶」
と記載されています。

江戸時代初期の川越城主だった酒井忠勝や堀田正盛、松平信綱は
遠州公との交流を通して、川越藩の茶業を活発にしていきます。
それ故川越藩と遠州流の関わりは大変深く、
市内の喜多院や蓮馨寺には遠州流の庭園が残されています。

献茶式にお越しの際は是非足をのばして
ご覧ください。

2014-6-4 UP

6月 4日 鮎(あゆ)

ご機嫌よろしゅうございます。

この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。

11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。

鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。

春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。

塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。

水無月

2014-6-3 UP

6月3日 水無月(みなづき)

ご機嫌よろしゅうございます。

6月に入ると和菓子屋さんで
三角形の小豆を散らしたお菓子
を目にしたことはありませんか?
これは水無月というお菓子で、
外郎(ういろう)で氷をかたどったものです。

昔、宮中では氷室(ひむろ)といわれる洞窟のような場所に
氷や雪を冬のうちに保管していました。
ここから氷を取り寄せ、氷を口にして、暑気払いをしていましたが
高級品である氷は、とても庶民の口に入りません。

そのため、麦粉を練り、氷片に見立てて食べたのが「水無月」です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、
上の小豆は氷の中にある泡を表し、
また悪魔払いの意味をもつと言われています。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。

京都ではこのお菓子を6月30日の「夏越の祓え」でいただく
のが習慣なのだそうです。

2014-6-2 UP

6月2日 菖蒲(あやめ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう5月5日 端午の節句です。
5月5日には、邪気を払うとして菖蒲湯や、
宮中の薬玉に菖蒲が用いられました。

しかし、これらは、現在私達が連想する
艶やかな花を咲かせるアヤメ科の菖蒲とは
別の、芋サトイモ科の植物で
両者のうち花の咲く方を「ハナアヤメ」、
サトイモ科の方を「アヤメグサ」といって
区別していました。

邪気払いとして用いるのは、
その葉に特有の香りを持つ「アヤメグサ」の方です。

「ハナアヤメ」のほうも、茶花として用いられることは
昔から少なかったようで茶会記に名を見ることも
あまりありません。

昔から「六日のあやめ、十日の菊」などと言い、
節句(5月5日、9月9日)を過ぎて「役に立たないもの」
の例えなどに挙げられます。

遠州好 「七宝文(しっぽうもん)」

2014-5-30 UP

5月30日 遠州好 「七宝文(しっぽうもん)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公の好んだ「七宝文」をご紹介します。

遠州流の、様々なものにこの文様が入っておりますので
皆様にもお馴染みのものと思います。

正しくは「花輪違い」と呼ばれます。
以前は「鶴の丸と丸に卍」が小堀家の紋でしたが
遠州公によって小堀家の定紋と定められたもので、
多くの茶道具にあしらわれています。
七宝文自体を形どって作られているものは唯一
「七宝透蓋置(しっぽうすかしふたおき)」
が好まれています。

またオランダのデルフトへ注文したと思われる
箱書きは「をらむだ筒茶碗」にもこの文様を上部にめぐらせて
いて、今の時代にみてもモダンな茶碗です。

目に青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)

2014-5-27 UP

5月 27日    目に青葉 山ほととぎす  初鰹(はつがつお)

目に青葉
山ほととぎす
初鰹

ご機嫌よろしゅうございます。

江戸時代の俳人・山口素堂の
季節感をよく表した句ですが
正しくは「目には青葉…」なのだそうです。

初夏はのぼり鰹(かつお)のシーズン。
南の暖かい海で冬を過ごした鰹が、4~5月にかけて
黒潮に乗り太平洋沿岸を北上します。

「女房を質に入れても」といわれた初鰹ですが
鎌倉で水揚げされた「相州の初鰹」は特に珍重され、
江戸まで早舟で届けたといわれます。

文化九年(1812)には魚河岸に入った17本の鰹のうち、
6本が将軍家へ献上されました。
そして残りを高級料理屋の八百膳と魚屋が
そのうち一本を三代目中村歌右衛門が3両で買い
大部屋の役者に振舞ったという記録が残っており、
こぞって法外な高値で取引される
初鰹は庶民の話題の的となりました。
1両が現在の30万円ぐらい
これは当時の最下級の武士の一年分ほどの給料に
相当するようです。

秀吉の初茶会

2014-5-25 UP

5月25日 秀吉の初茶会

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日
官兵衛の時代のお話を。

官兵衛が有岡城に幽閉されてしまいました。
官兵衛最大の苦難の時です。

この少し前、
三木城の北東の平井山の本陣に入り
三木城の監視に当たっていた秀吉は
天正六年の10月15日に、
堺の津田宗及らを招いて茶会を開きます。
これが秀吉が信長に公許された
最初の茶会のようです。
この時、信長から拝領した乙御前の釜や
月の絵の掛物を使っています。

会席には生の白鳥の汁と飯。
播州の内池に下りてきた白鳥をつかまえたもので、
生きた白鳥を〆て汁に供するのは、
格式の高い料理です。

歴史に詳しい方いらっしゃいましたら
是非このあたりのお話でコメントただけましたら幸いです.

あやめとかきつばた

2014-5-20 UP

5月20日 あやめとかきつばた

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「燕子花」の花のお話を。

いづれあやめかかきつばた

物の区別がつかないことの例えとして用いられる
言葉の通り、一見すると
「あやめ」と「かきつばた」の見分けは難しいですね。

葉の形で言えば
葉の幅がやや広いのが「かきつばた」

花を見れば
花の中側に黄色と紫の虎斑模様があるのが「あやめ」
で「かきつばた」にはそれがなく、黄色だけ
というところで見分けがつきます。

宗実御家元は五月になると好んで用いています。
映画「父は家元」の花を入れるシーンは記憶に新しいところです。

燕子花(かきつばた)

2014-5-19 UP

5月19日 燕子花(かきつばた)

ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に咲く花といえば
燕子花が思い浮かびます。

そしてかきつばたといえば
この和歌が浮かぶのではないでしょうか?

からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ

歌の頭に
「かきつばた」と詠みこまれたこの和歌は
伊勢物語「東下り」の有名な和歌です。

失意の主人公が、東国で再出発しようと思い立ち
数人の連れと京から離れ、はるばる旅を続けます。
途中三河の八つ橋というところに行きつき、
かきつばたが大変美しく咲いていました。

着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ妻が
(京には)いるにもかかわらず、
はるばる旅をしてきたことよ

と詠むと、皆さめざめと泣き
その涙でもっていた干飯(かれいい・携帯用のご飯)
がふやけてしまったよというおちもあり、
泣かせながら、ほんの少し笑わせます。

この物語は後に人々に広く受け入れられ
尾形光琳の燕子花図屏風など様々な絵画のモチーフとして
好んで使われました。