6月10日 時の記念日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月10日、時の記念日です。
671年(天智天皇十年)に、天智天皇が
唐から伝えられたという漏刻(水時計)で、
「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行い
宮中に時がつげられるようになった日が、
太陽暦に直すと6月10日だったという故事によるものです。
この時代に水時計の管理をしていたのは
陰陽寮の漏刻博士で、二人交替で水量を確認し、
鐘や太鼓で時報を鳴らしたそうです。
この記念日は大正九年(1920)、生活改善同盟の発意で
時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを
進めることを目的として定められました。
ちなみに時報のサービスは、
1955年(昭和30年)6月10日の
「時の記念日」より開始されました。
6月7日 川越献茶式
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は埼玉・川越にてお家元の献茶式が行われます。
また6月15日には、恒例となりました「茶あそび彩茶会」にて
妖怪茶会・甲冑をつけての茶会などユニークな茶会も
催されています。
川越は、関東最古の茶の産地です。
平安時代には既にこの地に伝わり
鎌倉時代には明恵上人が河越の地に茶を栽植したとされ、
鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した「異制庭訓往来」
に全国の茶の産地の一つとして「武蔵河越の茶」
と記載されています。
江戸時代初期の川越城主だった酒井忠勝や堀田正盛、松平信綱は
遠州公との交流を通して、川越藩の茶業を活発にしていきます。
それ故川越藩と遠州流の関わりは大変深く、
市内の喜多院や蓮馨寺には遠州流の庭園が残されています。
献茶式にお越しの際は是非足をのばして
ご覧ください。
6月 4日 鮎(あゆ)
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。
11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。
鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。
春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。
塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。
6月3日 水無月(みなづき)
ご機嫌よろしゅうございます。
6月に入ると和菓子屋さんで
三角形の小豆を散らしたお菓子
を目にしたことはありませんか?
これは水無月というお菓子で、
外郎(ういろう)で氷をかたどったものです。
昔、宮中では氷室(ひむろ)といわれる洞窟のような場所に
氷や雪を冬のうちに保管していました。
ここから氷を取り寄せ、氷を口にして、暑気払いをしていましたが
高級品である氷は、とても庶民の口に入りません。
そのため、麦粉を練り、氷片に見立てて食べたのが「水無月」です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、
上の小豆は氷の中にある泡を表し、
また悪魔払いの意味をもつと言われています。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。
京都ではこのお菓子を6月30日の「夏越の祓え」でいただく
のが習慣なのだそうです。
6月2日 菖蒲(あやめ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう5月5日 端午の節句です。
5月5日には、邪気を払うとして菖蒲湯や、
宮中の薬玉に菖蒲が用いられました。
しかし、これらは、現在私達が連想する
艶やかな花を咲かせるアヤメ科の菖蒲とは
別の、芋サトイモ科の植物で
両者のうち花の咲く方を「ハナアヤメ」、
サトイモ科の方を「アヤメグサ」といって
区別していました。
邪気払いとして用いるのは、
その葉に特有の香りを持つ「アヤメグサ」の方です。
「ハナアヤメ」のほうも、茶花として用いられることは
昔から少なかったようで茶会記に名を見ることも
あまりありません。
昔から「六日のあやめ、十日の菊」などと言い、
節句(5月5日、9月9日)を過ぎて「役に立たないもの」
の例えなどに挙げられます。
5月30日 遠州好 「七宝文(しっぽうもん)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州公の好んだ「七宝文」をご紹介します。
遠州流の、様々なものにこの文様が入っておりますので
皆様にもお馴染みのものと思います。
正しくは「花輪違い」と呼ばれます。
以前は「鶴の丸と丸に卍」が小堀家の紋でしたが
遠州公によって小堀家の定紋と定められたもので、
多くの茶道具にあしらわれています。
七宝文自体を形どって作られているものは唯一
「七宝透蓋置(しっぽうすかしふたおき)」
が好まれています。
またオランダのデルフトへ注文したと思われる
箱書きは「をらむだ筒茶碗」にもこの文様を上部にめぐらせて
いて、今の時代にみてもモダンな茶碗です。
5月 27日 目に青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)
目に青葉
山ほととぎす
初鰹
ご機嫌よろしゅうございます。
江戸時代の俳人・山口素堂の
季節感をよく表した句ですが
正しくは「目には青葉…」なのだそうです。
初夏はのぼり鰹(かつお)のシーズン。
南の暖かい海で冬を過ごした鰹が、4~5月にかけて
黒潮に乗り太平洋沿岸を北上します。
「女房を質に入れても」といわれた初鰹ですが
鎌倉で水揚げされた「相州の初鰹」は特に珍重され、
江戸まで早舟で届けたといわれます。
文化九年(1812)には魚河岸に入った17本の鰹のうち、
6本が将軍家へ献上されました。
そして残りを高級料理屋の八百膳と魚屋が
そのうち一本を三代目中村歌右衛門が3両で買い
大部屋の役者に振舞ったという記録が残っており、
こぞって法外な高値で取引される
初鰹は庶民の話題の的となりました。
1両が現在の30万円ぐらい
これは当時の最下級の武士の一年分ほどの給料に
相当するようです。
5月25日 秀吉の初茶会
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日
官兵衛の時代のお話を。
官兵衛が有岡城に幽閉されてしまいました。
官兵衛最大の苦難の時です。
この少し前、
三木城の北東の平井山の本陣に入り
三木城の監視に当たっていた秀吉は
天正六年の10月15日に、
堺の津田宗及らを招いて茶会を開きます。
これが秀吉が信長に公許された
最初の茶会のようです。
この時、信長から拝領した乙御前の釜や
月の絵の掛物を使っています。
会席には生の白鳥の汁と飯。
播州の内池に下りてきた白鳥をつかまえたもので、
生きた白鳥を〆て汁に供するのは、
格式の高い料理です。
歴史に詳しい方いらっしゃいましたら
是非このあたりのお話でコメントただけましたら幸いです.
5月20日 あやめとかきつばた
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「燕子花」の花のお話を。
いづれあやめかかきつばた
物の区別がつかないことの例えとして用いられる
言葉の通り、一見すると
「あやめ」と「かきつばた」の見分けは難しいですね。
葉の形で言えば
葉の幅がやや広いのが「かきつばた」
花を見れば
花の中側に黄色と紫の虎斑模様があるのが「あやめ」
で「かきつばた」にはそれがなく、黄色だけ
というところで見分けがつきます。
宗実御家元は五月になると好んで用いています。
映画「父は家元」の花を入れるシーンは記憶に新しいところです。
5月19日 燕子花(かきつばた)
ご機嫌よろしゅうございます。
初夏に咲く花といえば
燕子花が思い浮かびます。
そしてかきつばたといえば
この和歌が浮かぶのではないでしょうか?
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ
歌の頭に
「かきつばた」と詠みこまれたこの和歌は
伊勢物語「東下り」の有名な和歌です。
失意の主人公が、東国で再出発しようと思い立ち
数人の連れと京から離れ、はるばる旅を続けます。
途中三河の八つ橋というところに行きつき、
かきつばたが大変美しく咲いていました。
着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ妻が
(京には)いるにもかかわらず、
はるばる旅をしてきたことよ
と詠むと、皆さめざめと泣き
その涙でもっていた干飯(かれいい・携帯用のご飯)
がふやけてしまったよというおちもあり、
泣かせながら、ほんの少し笑わせます。
この物語は後に人々に広く受け入れられ
尾形光琳の燕子花図屏風など様々な絵画のモチーフとして
好んで使われました。