7月 25日 遠州公と朝顔
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公と朝顔にまつわるお話を
ご紹介します。
遠州公は手付きの籠に
朝顔の蔓を巻きつかせたまま床飾りにした
「竜の舞」という銘のついた花の記録があります。
切り花にしては、このようないけ方は大変困難ですが
ご先代は花の古書をもとに、この飾りは
朝顔の鉢ごと花籠に入れ育て、
手の部分に自然と巻きつかせた
ものであろうと推察されています。
朝顔のような蔓のあるものをいける場合は、
天体は左回りであることを受けて、
右めぐりのものを主に使うとされています。
利休時代にはまだ珍しい花だった朝顔は
遠州公の時代になってもなお珍花として貴重な
花でした。
また松花堂昭乗が朝顔の絵を
遠州公と江月和尚が賛を書いた合筆が大阪の湯木美術館に収蔵されています。
7月24日 河童忌(かっぱき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は芥川龍之介をご紹介します。
芥川の家は母方の実家で、龍之介は生まれて間も無く
母の発病により、この家に預けられます。
芥川家は代々江戸城の御数寄屋坊主
といわれる茶道全般を取り仕切る役を勤めていた由緒ある家柄でした。
そのため、茶道のみならず文化芸術への造詣も深く
龍之介の文学の道に大きく影響したと考えられます。
「羅生門」「鼻」など多くの傑作を残し、
後年には河童を好み、小説「河童」や絵をよく描いていたことから
命日を「河童忌」とされたといわれています。
35歳という若さで自ら命を断ち、菩提寺である
巣鴨の慈眼寺に葬られました。
境内にある龍之介の墓は、本人の遺言によって、
愛用していた座布団と同じ形と寸法で
作られた墓石なのだそうです。
今日7月24日は芥川龍之介の命日です
7月 23日 大暑
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の大暑にあたります。
快晴が続き、気温が上がり続けるころ。
一年で最も暑い時期とされ、
大寒のちょうど半年後にあたります。
『暦便覧』には
「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」
と記されています。
近年では温暖化などの環境問題を考える取り組みとして
この大暑の日に、全国で打ち水をするというイベントも行われています。
同日同時刻に、全国の参加者が一斉に打ち水をすることで、
気温を2度さげようというものだそうです。
7月 23日 大暑
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の大暑にあたります。
快晴が続き、気温が上がり続けるころ。
一年で最も暑い時期とされ、
大寒のちょうど半年後にあたります。
『暦便覧』には
「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」
と記されています。
近年では温暖化などの環境問題を考える取り組みとして
この大暑の日に、全国で打ち水をするというイベントも行われています。
同日同時刻に、全国の参加者が一斉に打ち水をすることで、
気温を2度さげようというものだそうです。
7月 22日 朝顔(あさがお)
朝顔は朝露をおびて咲くといへど
夕顔にこそ咲きまさりけれ
ご機嫌よろしゅうございます。
暑さのこたえる夏ですが、
早朝ばかりは少し暑さもやわらぎ、
人の往来の少ない静かな時間、朝顔の咲く様子を眺めるのも
涼を感じるひと時ではないでしょうか?
先ほどの和歌は万葉集に登場する朝顔です。
今日私達が目にしている花はヒルガオ科の一年草で、
朝に花を咲かせ、午前中にしぼんでしまいますが、
万葉集に詠まれる「あさがほ」はしぼみません。
どうやら現在の「朝顔」とは異なるようです。
「顔」というのは「顔花」という意味
つまり、朝に咲く顔花(美しい花)」という意味があります。
平安時代、薬用として渡来した「牽牛子(けにごし)」の花
蔓が牛を引ける程強いという意味がありますが
この「牽牛子」の花が、朝に美しい花を咲かせるので
「朝顔」と呼ばれるようになりました。
7月15日 中元(ちゅうげん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお中元のお話を。
お世話になった方へ贈り物をする現在のお中元
この習慣は古くは神や御先祖への捧げ物でした。
もともと中国では道教に由来する年中行事として
年三回、それぞれ天官、地官、水官
という神々にささげものをする日があり、
その中で15日に祀る地官のことを「中元」と呼びました。
この中元の神様は善悪を分別し、人間の罪を許す役目なので
さまざまな贖罪の行事が催されます。
この風習が日本にもたらせられ、お盆の祖霊供養に
お供えを贈った風習と混じり合って
仏に供えるお供物を親戚や隣近所に贈る習慣となった
といわれています。
7月10日 今日お参りすれば一生分の御利益あり
四万六千日
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は7月10日
この日には観世音菩薩の縁日が開かれます。
この日に参詣すると、四万六千日分お参りするのと
同じご利益があると言われています。
年に換算すると、約126年に相当し、一年で一生分
参詣できたことになります。
東京では浅草寺や護国寺の四万六千日が有名です。
徳川時代以来、江戸の庶民はこの日に浅草寺に詣でて
雷よけの赤玉蜀黍や、盆の草飾りのほおずきや
つりしのぶを買って帰りました。
この縁日に合わせて、現在でも境内でほおずき市が
催されており、夏にかかせない風景です。
7月 9日 瓢箪(ひょうたん)
ご機嫌よろしゅうございます。
夏になると瓢箪がその実をつけ、愛嬌ある姿を見せてくれます。
瓢箪はユウガオの変種とされ
「ひさご」とも「ふくべ」とも呼ばれ、
初夏に白い花を咲かせ、実は昔から器などにして親しまれてきました。
縦に割り、水をすくったりもされたことから
柄杓も「ひさぐ」→「ひしゃく」となり
「ひさご」から由来する言葉ともいわれています。
4月 18日にご紹介しました、遠州公の好む形としても
代表的なもので、禅の教えに通づるものがあります。
小堀家歴代の印にも瓢箪の形が用いられているのも
この教えに由来するものと考えられます。
この瓢箪という字、実は「瓢」と「箪」別々のものであることを
ご存知でしょうか?
「箪」は竹で編んだ入れ物で、これにご飯を入れ器として使う
ものでした。
「瓢」には飲み物を。これがいつしか一つになり、
瓢箪という名称になったと考えられます。
「一瓢の飲 一箪の食」という言葉もあります。
7月8日 素麺(そうめん)
ご機嫌よろしゅうございます。
七夕の昨夜、皆さんは何を召し上がりましたか?
朝廷ではこの日の夜の食事には、中国の故事に基づき
索餅という小麦料理を食べていました。
索には縄をなうという意味があり、
細く紐状にし、二本の縄のように合わせたものだと
考えられています。
中国では7月7日に亡くなった帝の子供が疫病を流行らせ、
その魂を鎮めるために7日の日に
好物だった索餅が供えられていました。
この索餅が奈良時代に日本に伝わり、
麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事に取り入れられ、
一般にも広がっていきました。
そして索餅はのちに素麺に変わり、
七夕に素麺を食ベるようになったといわれています。
また、そうめんを天の川や織姫の織り糸に見立てて、
七夕に素麺を食べるという説もあります。
この素麺の具、筆者はシーチキンを入れるのが定番です。
コクがでておいしいので必ず入れます。
皆さんのお気に入りの具はなんですか?
7月 5日 遠州公の愛した茶入「瀧浪(たきなみ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載「瀧浪(たきなみ)」
についてご紹介します。
この茶入の正面に流れる釉薬の景色が
瀧浪のように見えることから
遠州公が名銘しました。
なるほどよく見ているとまるで
目の前に滝がしぶきをあげて流れ落ちるような
景色が思い浮かびます。
家臣である勝田八兵衛が
この茶入を遠州公に献じたところ、
その褒賞として青江の脇差を与えたことから
「青江(あおえ)」とも呼ばれています。
青江は豊富な鉄資源の産地である備中の刀工の一派です。
後に松平不昧公にも伝わり、
「雲州蔵帳」にも記載されています。